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霧【エッセイ】一〇〇〇字

 失意の車旅、だった。
 47年前。「デニーズ」などのファミリーレストラン・チェーンの展開が始まった頃。大学在学中、早稲田・馬場下にあるバイト先のバーガー店のオーナーに誘われ、卒業後、群馬・太田で始めたチェーン計画チームに加わった。だが、わずか2年で頓挫。一緒だった大学同期の安久津との、旅だった。
 太田から、岩手の彼の実家に寄り一泊。翌日、三陸海岸を経由。私の故郷、北海道・滝川までの1500キロ。当時、盛岡の先は一般道であったし、ルートは海岸沿い。地図の1センチがかなりの時間を要し、遅々として進まない。しかし、暇つぶしに駄洒落(「これをセンチメートル・ジャーニーと、言う」とか・・・)なんか飛ばしながらの、楽しい(楽しくしようとした)往路だった。

ドリス・デイ(松本伊代じゃなく)
『センチメンタル・ジャーニー』

 やっとの思いで青森・野辺地に着き、フェリー(いまはない)で函館に渡る。
 早朝に函館につき札幌に向かった。当時は高速道路がなかったので、中山峠を越える6時間の走行で、札幌に着いたのは10時位だった。満足に睡眠をとっておらず、亡き母の姉、ハルヱ伯母さんのマンションに転がり込んだ。夕方まで爆睡だった。
 その夜は、久しぶりのススキノで安久津と従妹とで呑み、翌日、父母の墓を守る、滝川の2個違いの弟夫婦の家に着く。
 その後、安久津は北海道の旅を続けたいらしく、1人で、列車で戻ることになった。
 10日ほどが過ぎ、帰る必要があった。計画チームで知り合った、大阪の店舗設計の社長と、会う約束があったのだ。
 早朝に出て、宿泊予定の函館に着いた。
 海鮮料理屋で呑んでいると、隣席の30半ば位の男と仲良くなった。彼はフェリーの乗務員をやっているらしく、「コーラ6本持ってくれば、タダで乗せるよ」と、言ってくれた。
 翌朝、コーラを渡し、そのフェリー(内緒なので、特別室)で青森に渡る。帰路は、天童に向かう国道341号線を選んだ。中学の頃、父が内地への出張の折、天童で将棋の駒を買ってきてくれた。一度訪れたかった。まっすぐ南下すれば着く。 
 十和田を通り、 鹿角かづのを過ぎると、山道ばかり。霧が出てきた。視界が悪くなる。カーブが多い片側一車線。対向車もほとんどない。身も心も、揺れる。中間点の田沢湖に着けるだろうか。不安のなか、就職のことを考えていた。
 濃霧のトンネルを抜けると、急に田沢湖の標識が視界に。すると、霧が芝居の幕が開くように晴れた。湖畔に車を停め、水面を見つめながら、決心した。行こう、大阪に、と。


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