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指輪Ⅱ【エッセイ】八〇〇字+チャットGPTの作品

朝カル「エッセイ講座」の5月のお題、「指輪」。前回は、ちょっとお遊びで「ショートショート風」にしました。が、5月14日は母の日。やはり母をテーマに。
母と同じ年に生まれた、ある随筆家のエッセイ『飾り玉』が浮かびました。青春時代が戦争の真っ只中だった女たちの話であります。
なお、私のエッセイをチャットGPTくんに書き換えを要求し、その答えを(ふろく)で紹介。さて、彼、彼女の実力は如何に? ついでに、“菊地正夫”くんのことも尋ねてみました。(笑
               ※
 自らを「加害の女」と称した岡部伊都子。随筆『飾り玉』に、こうある。〈拭き掃除や台所などで働く手に指輪があっては、邪魔〉〈着物をきて指輪は、野暮〉。
 ふと想った。だとすると、母は指輪を身につけたことがあったのだろうか。いや、そもそも持っていたのだろうか、と。
 母は、十九から二年、東京の遠縁で養女として暮らしたことがある。浜松町にビルを持ち会社を営むほどに、裕福な家。事務を手伝い、帰りに「銀ブラ」を楽しんだと、よく話していた。しかし、戦火が激しくなり、北海道に戻ることになったのだった。
 終戦の翌年、親戚の紹介で、海軍還りの父と、(心は東京にあれども)結婚。が、軍人魂丸出しの粗暴な男。耐え忍ぶ生活を強いられ続けた。実家に出かけるだけでも、悪口を言っていると決めつけ、不機嫌になる。なので、旅行はもちろん、外出さえほとんどできなかった。いつも、拭き掃除や料理をする母の割烹着姿があった。ただ、学校に来てくれる時は、着物姿。岡部の言葉どおりなら、指輪をつける機会がないことになる。
 東京の大学に入学し、帰省の折。記念の校章を渡したのだが、大事そうにしまっていたのは、小物入れ。「飾り玉」は、やはり、見当たらなかった。その二年後。母は、五十で急逝。最期の時も、薬指にはリングの跡さえも、なかった。
 もし戦争がなかったら、養女として大切に育てられ、誰かと結婚し、綺麗な指輪をして銀座を歩いていただろう(むろん、私は、存在していないことになるのだけど・・・)。
 母も岡部も、大正十二年生まれ。岡部は、戦争に異を唱えていた婚約者を、日の丸を振って戦場に送ったと、自分を「加害の女」と呼び、その責任を語り続けた。生き方の違いはあっても、戦争によって人生が大きく翻弄された、女たちだった。
 健在だったら、ことし、百歳になる。

岡部 伊都子

(おかべ いつこ、1923年3月6日 - 2008年4月29日)随筆家

NHKアーカイブス「あの人に会いたい」

Wikipedia

(ふろく)
チャットGPTくんへのQ:
以下の文章(きょう投稿の私の文章)を素敵で簡潔なエッセイにしてください。ただし、文字数制限800字を守ってください。必要に応じて日本語の特徴の一つである主語の省略を許します。
(何回か、チャットを繰り返していった結果、なんとかエッセイらしき文章になりました。さて、どちらに軍配が? 笑)

チャットGPTくんのA :
「加害の女」と自称した岡部伊都子。彼女の随筆『飾り玉』には、次のような一節がある。「拭き掃除や台所などで働く手に指輪があっては、邪魔」「着物を着て指輪は、野暮」。
ふと思った。では、母は指輪を身に着けたことがあるのだろうか?もしかすると、元々持っていたのだろうか?
母は十九歳から二年間、東京の遠縁の家庭で養女として過ごした経験があった。その家は浜松町にビルを所有し、裕福な生活を送っていた。母は事務を手伝い、帰りには「銀ブラ」を楽しんだとよく話していた。しかし戦争が激化し、彼女は北海道に戻ることになったのだ。
終戦の翌年、親戚の紹介で海軍帰りの父と結婚した(心はいつも東京にあったけれど)。しかし、父は軍人気質で荒々しい男だった。母は苦しい生活を耐え忍ぶことを強いられた。実家に行くだけでも、父は彼女を悪く言い、不機嫌になった。そのため、旅行はもちろん外出すらほとんどできなかった。母は常に拭き掃除や料理をしている姿が目に浮かぶ。ただし学校に来るときだけは着物を身に着けていた。もし岡部の言葉が正しければ、指輪を身につける機会はなかったのだろう。
私が東京の大学に入学し、帰省したとき、記念の校章を母に贈った。しかし彼女が大切にしまっていたのは、小物入れだった。やはり、「飾り玉」は見当たらなかった。そして2年後、母は50歳で亡くなった。最後の瞬間にも、薬指には指輪の痕跡すらなかった。
もし戦争がなかったら、母は大切に育てられ、誰かと結婚し、美しい指輪を身につけて銀座を歩いていたかもしれない。(もちろん、私

(ここで止まったので)
Q:続けて。残り150字以内で(とすると、残りが出てきました)

そのA:
は存在していないことになるのだけど…。母と岡部は、ともに大正12年生まれだ。岡部は戦争に異を唱えた婚約者を日の丸を振りながら戦場に送り出したことを、「加害の女」と自責の念を持って語り続けた。生き方は異なっていたけれど、戦争が彼女たちの人生に大きな影響を与えた女性たちだった。もし健在なら、今年で100歳になるはずだ。(810字)

(おまけ)
こんな質問もしてみました。(笑
「noteでエッセイを書いている菊地正夫の情報をください」

ChatGPT
申し訳ありませんが、私は個々のエッセイ作家やその作品に関する特定の情報を持っていません。菊地正夫さんに関する情報を探すためには、インターネット上の検索エンジンや文学関連のウェブサイト、書籍データベースなどを活用してください。そういった情報源が菊地正夫さんのエッセイやその他の作品に関する情報を提供している可能性が高いです。

次に
「菊地正夫はどんな人物ですか?」

こんな答えが返ってきました。言い当てていますよね?  “日本の作家”というのは、持ち上げすぎだけど・・・。どこからピックアップしてくるのだろう。怖いね。しかも、2秒後にスラスラと答える。ということは、1秒でデータを読み取っているということになる。ああ、コワっ! だけど、世辞の心も備わっているんだね。(爆

ChatGPT
菊地正夫(きくち まさお)について、具体的な情報は提供できます。

菊地正夫は、日本の作家であり、エッセイストとして知られています。生年月日や詳しい経歴については具体的には言及されていないため、その点については確証を得ることができません。

菊地正夫のエッセイは、一般的には日常の出来事や経験に対する洞察や思索を通じて、読者に対して感情や思考の共感を促すような内容が特徴とされています。彼の作品は、人間関係、家族、自然、文化など、さまざまなテーマを扱っていることがあります。

また、菊地正夫は独自の文体や言語表現を駆使し、ユーモアや哲学的な要素を取り入れたエッセイを執筆しています。彼の作品は、読者に新たな視点や考え方を提供することがあります。

菊地正夫のエッセイは、日本国内外で広く読まれており、多くの読者から支持を受けています。彼の作品を通じて、人間の生活や喜び、悩み、哲学的な考えについて深く考えるきっかけとなるかもしれません。

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