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「格差」【エッセイ 意見文】八〇〇字

そろそろ「筆が腐る」。五本に一本くらいは書いておこう。

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 前リーダーが、派手にぶち上げた「シャンパンタワー」の話、あったよね。「〇〇〇ミックス」の序章にあった。ピラミッド状に積んだグラスの最上段から注げば、トリクルが下に落ちる。上が潤えば、下も潤う、大企業が発展すれば、中小・零細企業も、発展する、日本経済が豊かになれば、国民も豊かになる。
 「あのぉ皆さま・・・潤いました?」。
 「トリクル」は零れてこなかった。「トリクル」は、「しずく」、「おこぼれ」。雫ほども流れてこなかったよね。「序章」そのものが崩れていたことに、なる。しかし、そのたとえ話でさえも、いつの間にか、消えた。いや、国民の記憶のなかから消えた。お得意のパフォーマンスだけだった。そもそも、上から下に恩恵が流れていくということが幻想だったのではないだろうか。なぜか。大企業は儲けても内部留保という形で貯め込み、富裕層も、自分たちで貯め込み、下には流さないから。
 「完全に『格差』がない社会は、ありえない」「原始共産主義」でしか、ありえない。多くの人が資本主義を「良し」としている以上は、無理だ。片や、中国、ロシアなどの共産主義の社会であっても、大きな格差はある。
 「適度な格差」は、必要と考える。一定のモチベーションを保つために。なので、下からグラスの大きさを徐々に大きくしていく。努力すれば大きくなる。ただし、注がれれば下に零れる穴をあけておく。穴の位置の調整が、「税制」だ。国全体の富を、国民が「豊かさ」を感じることができる標準までならす。
 憲法第二十五条「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。「最低限度」ってどのくらい? 住むところと、健康を保つだけの食・医療があり、文化的な暮らしができるレベル。その権利を享受できる大きさが最下位にある、グラスになる。 
 稼げるひとには、大いに頑張っていただく。ハンデあるひとには、そこで「公助」がある。
 「サウイフクニニ ワタシハスミタイ」

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