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新宿日撮り歩記

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仕事に遊びに縁の深い新宿の写真を自分の思いと共に載せています。(芸術性ゼロ)
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2020年9月の記事一覧

花園神社(新宿区新宿5-17-3)

花園神社(新宿区新宿5-17-3)

新宿へ行って、時間があるとふらっと訪れたくなる場所。
行くたびに新たな発見があります。

花園神社は徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より移されたとされています。
寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にありましたが、その後現在の場所を拝領することになりました。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・

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夏目漱石

夏目漱石

【夏目漱石誕生之地と夏目坂】(新宿区喜久井町1番地)
夏目漱石というと愛媛県松山市ですね。
「坊ちゃん」の舞台だし、漱石が教師として赴任していた地でもあります。
ですから、漱石の名から新宿を思い浮かべる方は少ないのではないでしょうか。
実は漱石は新宿区で生まれ育ち、その生涯も閉じたもの新宿区でした。
漱石誕生の地は漱石の父、直克が名付けたという「夏目坂」の途中にあります。

【漱石山房記念館】(早

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株式会社舟藤(歌舞伎町2-38-10)

株式会社舟藤(歌舞伎町2-38-10)

朝の歌舞伎町に活気のある声。
その声の方に行ってみると...魚市場!
歌舞伎町に魚市場があるとは。
同社のウェブサイトによれば設立は昭和42年(1967年)。
業者向けの卸専門かと思いましたが、魚1本から販売するそうです。

伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)

伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)

伊勢丹・新宿店の建物は「東京都選定歴史的建造物」になっています。

入口に貼ってある銘版によると、

『店舗は、ゴシック的モチーフと、アール・デコ的意匠を混在させた折衷様式のデザインでまとめられた。』

『この建物の外装は垂直線を強調した構成で、2~3階までの下層階は、ブロンズ製の精緻なレリーフ、照明用ブラケットなどを配し、装飾はアール・デコを思わせる単純明快な意匠でまとめられている。』

買い物

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新宿歴史博物館(四谷三栄町12-16)

新宿歴史博物館(四谷三栄町12-16)

旧石器時代から近代にいたる「新宿」の歴史に関するものが展示されています。
「新宿」という名前の意味とその由来。
目立たない場所にあるので来館者が少ないのが残念なくらい充実した展示内容でした。

SHUKNOVA(西新宿2-11-5)

SHUKNOVA(西新宿2-11-5)

2020年7月16日に新宿中央公園内にできた商業施設。
1階には「スターバックス」と「むさしの森Diner」。
2階は「PARKERS TOKYO」というヨガスタジオ/ボルダリングジム/ランステーションを備えたスポーツジム。
SHUKU「宿」は新宿の「宿」で人が集まる場所。
NOVAはラテン語で「新しい」という意味だそうです。
私の勝手なこじつけですが、「宿」の「場」とも読めますね。
私の職場は後

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馬水槽(新宿区新宿3-38-1)

馬水槽(新宿区新宿3-38-1)

赤大理石で造られた水槽で、前面の上部が馬用、下部が犬猫用の水飲み場、その裏面が人間の水飲み場になっています。世界でも数少なく貴重な史跡として、新宿区指定文化財に選ばれています。(新宿観光振興協会のウェブサイトより)

【林芙美子記念館】(新宿区中井2-20-1)

【林芙美子記念館】(新宿区中井2-20-1)

「放浪記」や「浮雲」の作家である林芙美子が昭和16年(1941年)から昭和26年(1951年)に生涯を終えるまで住んでいた家。
「芙美子は新居を建てるにあたり、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、その思い入れは格別でした。山口文象設計によるこの家は、数寄屋造りの細やかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着

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都電荒川線・早稲田駅(西早稲田一丁目)

都電荒川線・早稲田駅(西早稲田一丁目)

東京に唯一残る都電。
路面電車としては東急世田谷線と二つ運行されています。
三ノ輪橋(荒川区)と早稲田を結んでおり、30の停留所があります。
全長12Kmを約50分で運行しています。
そういえば、私が子供の頃は新宿の靖国通りにも都電が走っていたのを思い出します。
あと、今はなくなりましたが、トロリーバスなんてのもありましたね。

歌舞伎町辨財天(歌舞伎町1-13-3)

歌舞伎町辨財天(歌舞伎町1-13-3)

明治期の歌舞伎町は池がありそれを湿地と森が囲む地でした。
大正時代に上野寛永寺の不忍弁天様の分祀として池のほとりに祠が祀られたのがこの辨財天の始まりだそうです。
その後、池は埋め立てられましたが、この祠は残り、今でも毎年5月に歌舞伎町商店街振興組合が組合員の古希の祝いと併せて上野寛永寺から僧侶を招き、ここで祭礼を行っています。