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歌舞伎町辨財天(歌舞伎町1-13-3)
明治期の歌舞伎町は池がありそれを湿地と森が囲む地でした。
大正時代に上野寛永寺の不忍弁天様の分祀として池のほとりに祠が祀られたのがこの辨財天の始まりだそうです。
その後、池は埋め立てられましたが、この祠は残り、今でも毎年5月に歌舞伎町商店街振興組合が組合員の古希の祝いと併せて上野寛永寺から僧侶を招き、ここで祭礼を行っています。
明治期の歌舞伎町は池がありそれを湿地と森が囲む地でした。
大正時代に上野寛永寺の不忍弁天様の分祀として池のほとりに祠が祀られたのがこの辨財天の始まりだそうです。
その後、池は埋め立てられましたが、この祠は残り、今でも毎年5月に歌舞伎町商店街振興組合が組合員の古希の祝いと併せて上野寛永寺から僧侶を招き、ここで祭礼を行っています。