漢字ドリルの宇宙
「米を配給する」「防空頭巾をかぶる」「勇ましい軍歌」「兵隊になる」……。
小学校の漢字ドリルの画像とともに「軍国主義教育では?」と眉をひそめるツイートが目に留まった。
「軍国主義教育では!?」疑惑
戦時中を想起させる例文が並んだ漢字ドリル。それだけを見ると、「この漢字を覚えさせるのに、なぜこんな例文?」とハテナが浮かぶ。
実際、ツイートに連なるコメントにも「これはひどい」という声、現政権に絡めて憂う声が見られた。その中に、「教科書の作品で使われている表現では?」という声があり、具体的な作品名が挙げられ、「その作品は反戦を訴えるもの」という指摘が続く。どうやら事実は「軍国主義教育では?」とは逆のようだ。
一年前にも同様の憂いツイートをされた区議会議員さんがいて、同じようなコメントが交わされていた。引用されているドリルの画像は違うが、例文は重なっている。同じ教科書に準拠した別会社の漢字ドリルらしい。
一連のツイートから得られる教訓は、
「漢字ドリルだけを見てはいけない」
何事も、そこだけ切り取って判断するのは危険だ。とくに、漢字ドリルは危険だ。「勇ましい軍歌」などという火のつきやすい例文が教科書の文脈を離れて一人歩きすると、軍国主義教育だと早合点する人が出てきてしまう。
「漢字ドリル作文」で日本語と遊ぶ
漢字ドリルの手前には教科書があるが、漢字ドリルの向こうには物語の宇宙が広がっている。
そのことをわたしが発見したのは、娘が小学生のときだった。
「ママー、見てー」と満点の漢字テストを見せに来た娘の楽しそうな顔に誘われて、
「よし、この漢字10問でママがお話作ってあげようか」と言った。
それが始まり。こんな10問だった。
こういうものはライブ感が大事。目で一問ずつ追いながら、しゃべるスピードでお話を作っていった。例文に応じて反射的に言葉を繰り出す作文プロレス。自分の口から即興で飛び出す物語に、作りながら「へーえ」となる。
連想ゲームのように文をつなげていって、お話のできあがり。
「水を注ぎやがりました」のオチに、娘は大笑い。「わたしもやる!」と言って、漢字ドリルをランドセルから出し、開いたページの例文からお話を作り始めた。
娘が読み上げたお話をわたしが書き留めた。
「ぼく」と別人格になりきって、一人称の語りにしているところ、「店がはんじょうすると世界が平和になる」という味付けを即座にやったところがいいねとほめた。例文を使いこなしつつ、例文にない言葉でどうつなぐかに個性が出る。
脈絡のない例文が物語を引き出す
母も負けてはおれぬと、続いては、こちらの10問で作ってみた。
「助走」の連呼に、「それも助走するの~?」と娘は大笑い。同じパターンを繰り返すと笑いが増幅されることを発見。
続いてはこちらの10問に娘が挑戦。
「ママのお話だよ。ママとは、ちがうせいかくだけどね」と娘。
瞬時に主人公を選びつつ、キャラをずらしてくるあたり、なかなか高度。
「わたしは幸い、元気だ」のカギカッコ使いに、「やられた」と思った。その前の「幸せがほしいな、と雅子さんは思いました」にも唸った。
それからも作文バトルは続き、漢字ドリル一冊分の例文を物語に変換。ある程度長い例文のほうが膨らませやすく、単語だけの10問だと話を作りにくいことがわかった。
娘に一番ウケたのは、この10問からわたしが作ったお話。
右ページにある10問から「太い柱の根元から熱い湯が出て、二倍の数の人が訪れた。学級新聞に書いたら賞をもらって国際空港からグリム童話の故郷ドイツへ旅行にでかけることに。あ、忘れ物!算数の宿題やってない」という物語を作った。その続きという設定で。
娘は「三葉虫」と「水を注ぐと人になる」が気に入ったらしい。筋の通ったお話よりもナンセンスなお話が生まれやすいのが漢字ドリル作文。例文を力技で繋げるので、頭の中で順序立てて考えてたら出て来ない変化球の発想が引き出される。
コピーライター時代、「コピーが思い浮かばなかったら、適当に開いた雑誌のページに商品を置いて、その組み合わせにコピーをつけてみろ」と上司に教えられた。化粧水のボトルを砂漠の写真と組み合わせると、「肌砂漠に救世主」、車でデートしているカップルの写真に組み合わせると、「至近距離で毛穴大丈夫?」といったように、コピーが変わる。(詳しくは「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」に)
面白い物語、ヘンテコな物語を作りたいけど、うまくブッ飛べないという人は、漢字ドリルをとっかかりにしてみると良いと思う。飛んで来た球を咄嗟によけようとしてアクロバティックな体勢を取ってしまうように、予測不能な言葉の乱れ打ちに反射神経で応じると、思わぬ離れワザが決まり、自分でもビックリとなる。
「親指姫」に「水をかける」と「人に化ける」なんて発想が飛び出すのは、そこに例文があるから。脈絡のないところに脈絡をつけようと言葉の橋をかけると、いつもと違う回路が開いたりつながったりする。
人間ほど面白いソフトはない
このnoteを書くにあたり、自分の過去ツイートで漢字ドリルについて書いたものを掘り出していたら、娘とのやりとりが見つかった。
《長生きしたいね》と《長生きしたいぬ》。たったひと文字で将来の願望になったり過去形になったり大違い。漢字ドリルは日本語の天才ぶりを知る入り口でもある。
学校講演でも「漢字ドリル作文面白いよ」とネタにしている。2018年10月に堺市立榎小学校で話したときは、「助走をつける」を繰り返すうちに、子どもたちが「助走をつける!」と唱和してくれ、盛り上がった。まさかのコール&レスポンス。
講演の感想で「漢字ドリル作文を自分でもやってみたい」と書いてくれる子も多い。正解を絞り込む漢字テストでは点を取れない子が、漢字ドリル作文ではホームランを放つかもしれない。何より、「こんな面白いことを考えられるんや」と手応えを得られるのがいい。「オレって天才ちゃう?」とうぬぼれて、どんどんお話を作ってくれたら最高。
学校で、家庭で、言葉遊びの時間を作れるなら、ぜひ。
日本語ほど面白い言語はないし、人間ほど面白いソフトはない。漢字ドリル作文は、日本語と人間を面白がれる最強の遊びだと思う。
clubhouse朗読をreplayで
2023.5.7 宮村麻未さん
2023.8.30 宮村麻未さん
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。