「誰が買うの?」から生まれる外伝─女子高生がオヤジに膝枕されてみた
こちらで公開している「女子高生がオヤジに膝枕されてみた」(近道は目次から)は2021年5月31日からClubhouseで朗読リレー(#膝枕リレー)が続いている短編小説「膝枕」(通称「正調膝枕」)の派生作品。
二次創作noteまとめは短編小説「膝枕」と派生作品を、朗読リレーの経緯、膝番号、Hizapedia(膝語辞典)などの舞台裏noteまとめは「膝枕リレー」楽屋をどうぞ。
なんでヒサコは「二股」と言った?
誰にでも脚本は書ける。必要なのは、「なんで?」と「そんで?」で思いつきの石ころを転がして、光らせること。学校講演や企業セミナーで「石ころ式脚本術」と題して、そんな話をしている。
朗読リレーと並行して二次創作リレーが盛り上がっている「膝枕」リレーでも、「なんで?」「そんで?」で数々の派生作品が生まれている。
「なんでヒサコは膝枕商品に頭を預けている男を見て『二股』と言ったのか?」
という疑問が
「以前も膝枕商品に浮気されたのでは?」
「ヒサコも膝枕商品の愛用者なのでは?」
「ヒサコは元々膝枕商品だったのでは?」
という憶測を呼び、
「やっとマトモな男と出会えたと思ったのに、またしても膝枕商品に浮気されたら、そりゃ『最低!』と言いたくもなる」
「ヒサコも膝枕商品を話し相手にして自信をつけ、モテ期を迎えたとすると、男とは似た者同士」
「せっかく膝枕商品から人間になったのに、膝枕商品に浮気されたら、やりきれない」
と妄想をかきたてる。その矢印はあちこちに向き、仮説の数だけ新しい物語が生まれる。
「親父のアグラ膝枕」って誰が買うの?
つけ入る隙だらけゆえに派生作品が生まれる鉱脈(ここ掘れワンワンスポット)が散りばめられている「膝枕」。
「膝枕カンパニー」(藤崎まりさんのアレンジ設定以来、膝枕erたちの間で製造メーカーはそう呼ばれている)の商品ラインナップ紹介のくだりは、こうなっている。
それぞれの商品から派生作品を作れそうだが、わたしが一番気になるのは、
《頬を撫でるワイルドなすね毛に癒される「親父のアグラ膝枕」》
「一体、誰がどんな気持ちで企画したのか?」
「どうやって企画を成立させたのか?」
「どんな人が買うのか?」
自分で書いておきながら、謎が尽きない。
「なんで?」「そんで?」で考えたのは、こんな設定だ。
まあ、ベタな設定だ。脚本家100人で企画コンペをかけたら、同じようなことを思いつく人は、わたしの他に13人くらいいるだろう。
女子中学生の初見アドリブ膝枕
膝枕リレーが始まって、ひと月ほど経った7月の頭、女子中学生に「膝枕」の原稿を見せて、初見で読んでもらった。
派生作品と区別して「正調」と呼ばれる「膝枕」はこんな書き出しだ。
主人公は「独り身で一人暮らしで膝枕の到着を心待ちにしている男」だが、初見読みの女子中学生は「男を女にしていい?」と言う。どうぞと言うと、
正確な再現ではないが、こんな感じで、主人公は「膝枕を注文した覚えのないふてぶてしい女子高生」に変わった。
正調「膝枕」では、ダンボール箱を開ける男は喜びに打ち震えている。
それに対し、女子高生のテンションは低い。
後から出てくる「親父のアグラ膝枕」の存在を知らず、アドリブで「親父のアグラ膝枕」が飛び出した。
女子高生とオッサン。
この組み合わせは思いつかなかった。
正調「膝枕」では、男は箱入り娘膝枕を温かく迎え入れる。
親父のアグラ膝枕を迎える女子高生は、オヤジに冷たい。
正調「膝枕」では、つき合い始めのカップルのような蜜月が始まる。
外出先から帰宅する主人公を箱入り娘が出迎えるシーン。女子高生版では、
めんどくさがられている。
作中の女子高生は親父のアグラ膝枕の動きに「めんどくさい」を連発し、アドリブ読みの女子中学生も「めんどくさい」と途中で読むのをやめてしまったが、「女子高生の元に親父のアグラ膝枕が届く」という設定だけはわたしの頭の片隅に残り、時折思い出しては転がされていた。
今井雅子作「女子高生がオヤジに膝枕されてみた」
私には関係ないけど、カレンダーでは休日の朝。部屋のドアに遠慮がちなノックがあった。返ってくるはずのない返事を一応待つ間があって、ずしりと重みのある音がした。床に荷物が置かれたらしい。
足音が遠ざかるのを待って、ドアをそっと開けた。オーブンレンジでも入ってそうな大きさの箱があった。手を伸ばして箱をつかみ、ずるずると部屋に引っ張り込む。
伝票には「枕」と書かれていた。
「また枕か」
母親の思考回路の単純さに、ため息をついた。こないだ届いたのは、アザラシの形をした抱き枕。抱きつくものがあれば、あらぶる心が鎮まるとでも?
心の穴をふさぐかわりに、直径15センチのドアの穴にアザラシ枕を突っ込んで、ふさいでやった。
ドアに穴を空けたのは、私だ。
黙れと言うかわりにダンッとぶつけた拳がドアを貫通したときは、一瞬、へんなパワーがついたのかと焦った。山にこもって修行した忍びの者みたいに。だけど、私が強くなったんじゃなくて、ドアが脆いだけだった。薄いペラペラの板を貼り合わせたドアの中は空洞だった。
穴に突っ込まれたアザラシ枕は、部屋の中のほうに顔を向けて、廊下におしりを出している。母親はドアの前に来るたびに、ドアからつき出たアザラシのおしりを見ていることになる。深い意味はないのだけど、いい気持ちはしないだろう。
ドアに穴が空いて以来、母親は黙ってドアの前に物を置くようになった。ダンボールに入った荷物だったり、トレーにのせたケーキと紅茶だったり、畳み終えた洗濯物だったり。
母親が家にいるあいだ、私は自分の部屋に閉じこもっている。トイレに行くときだけは、ささっと部屋を出て、ささっと戻る。母親が仕事に行くと、部屋から出て、母親が作り置きした食事を食べ、シャワーを浴びる。
あるいて20歩くらい。それが、今の私の世界の大きさ。
もちろん母親を部屋には踏み入らせない。やたらデカくて重い箱。まさか中に母親が入ってたりしないよな。トロイの木馬作戦か。いやいや、ありえない。ガムテープでしっかり留めてあるし。
そのガムテープをビリビリはがして箱を開けると、
「うわっ」
箱の中で、オヤジの腰から下がアグラをかいていた。もちろん生身じゃなくて作り物で、断面はグロテスクじゃなくて、膝と同じ色をしている。
肌の色は肌色というより茶色。しかも、くすんでる。透明感も弾力もない。水をかけても弾かなさそうな肌。
新品なのに中古感。いや、中年感。
くすんだ肌に、びっしりとすね毛が生えている。植毛か!というくらい生え方がリアルだ。
「それ海パン? ピチピチなんだけど」
オヤジがはいている黒いショートパンツにツッコミを入れた。まとまった文章っぽいものをしゃべったのは久しぶりだ。
すると、オヤジの膝がモニョっと動いた。
「え? 今、動いた?」
今度は、オヤジの膝頭が小さく上下した。うなずいているつもりらしい。
オヤジの太ももの脇に薄い紙が挟まれている。抜き取ると、トリセツだった。
「親父のアグラ膝枕」
商品名を読み上げると、オヤジは、ゆっくりと膝頭を上下させた。名前を呼んだつもりはなかったけど、返事された。
「親父のアグラ膝枕」の商品名から吹き出しが出ていて、「ワイルドなすね毛に癒される」とキャッチフレーズらしいことが書いてある。
すね毛に癒されるってなんだよとツッコミを入れてから、あー、多分この言葉に引っかかったんだなと気づいた。
「うちの母親が『癒やし 枕』で検索したら、『親父のアグラ膝枕』がヒットしたんじゃないかな。癒やしのつもりがオヤジだったってね」
オヤジが拍手するみたいにアグラした左右の膝でかわるがわる床を叩く。ウケてる、のか。
「いちいちリアクションしなくていいよ」と言いつつ、自分の言葉に誰かが反応するというのが新鮮で、コミュニケーションってやつを久しぶりに取っている気持ちになる。
相手は人じゃなくて、膝だけど。ロボットだけど。
ん? これってロボットなのか?
「オヤジってロボット?」
オヤジの膝が微妙に傾く。首がないので膝をかしげている。自分がロボットなのかどうか、オヤジにもよくわからないらしい。
「膝動かしたりするのって、プログラミングで組み込まれてんの?」
オヤジの膝が、さっきと反対側に傾く。「さあ、たぶんそういうことなんじゃないかと」ってニュアンスだろうか。
「母親がさ、いろいろ通販で頼んで、置いてくんだよね。最初は心理学の本とか、自分探しの本とか。最近は癒しグッズになって来て。気分が落ち着くフレグランスとか。あのドアに突き刺さってるアザラシの枕もそう」
オヤジの膝がドアのほうを向いたように見えた。へーえ、そうなんだと見上げてる感じ。
「そんなわけで間違って注文しちゃったから、返品するね」
オヤジは「了解」とうなずくように、軽く膝頭を下げた。返品されるのには慣れているのだろうか。ちょっとオヤジが可哀想になった。すぐに返品しなくても、いっか。ちょっと相手してやろう。
「はーい。なぜか間違って届いた親父のアグラ膝枕だよ。オヤジ、みなさんにご挨拶して。『初めまして、何卒よろしくお願いします』って言ってんの? ちょっと固いかな。もう少しリラックスしたの、もらえる? 何そのリズム? ラップのつもり?『YO!! YO!! オヤジだYO!!』って? チャラいね。中間はないのかな? ま、いっか」
オヤジと何して遊んでいいのか思いつかないので、動画を撮ることにした。ヘタクソなコントみたいなかけ合い。日記代わりのオヤジ訪問記。鍵アカにしておこうかと思ったけど、公開してみるかという気になった。
私には失うものなんて、何もないし。
そう言いつつ、顔は出さず、声だけで。
動画のタイトルどうしよう。「間違ってオヤジ膝枕が届いた件」でいっか。
バズるかもしれないなと思ったけど、まったく反応がなかった。すごいな私の透明人間っぷり。リアルでもネットでも見事にスルーされてる。
1日経って、1件だけコメントがついた。ハンドルネーム「マドレーヌ」さん。アルファベットの「w」が1文字だけ。
たった一人でも、たったひと文字でも、リアクションがあると、うれしい。
「草」と読み上げると、オヤジの膝がビクッと反応した。
「あ、自分のことだと思った? オヤジが臭いって意味で言ったんじゃなくて、大草原のほうの草だから。wって書いて、草」
そう言いながら、オヤジの膝に指で「w」と書いてやった。オヤジがくすぐったそうに膝をよじらせる。
元々は「warai」の略だから「わら」って読むのが公式っぽいけど、「w(ダブリュー)」が並ぶと草が生えてるみたいに見えるから「草」って呼ばれるようになったんだよとオヤジに教えてやった。
オヤジは膝を傾げて、考え込む顔つき、いや、膝つきになっていた。
もしかして、オヤジは草を知らないのか。だから、においの「臭(くさ)」と生えている「草」の違いがわからないのか。
「草ってのは、こういうの」
私とオヤジの下に敷いてる芝生カーペットを触って、教えてやった。へーえというようにオヤジの膝頭がうなずく。
「これは人工だけど。いつか本物の草が生えてるとこ、連れて行ってあげる」
お願いしますと言うように、オヤジは膝頭を軽く下げた。
みんなが学校に行っている時間、私はオヤジと遊ぶ。ロボットでも、膝だけでも、壁に話しかけるよりはいい。
2本目の動画は、オヤジと一緒にトリセツを読んでみた。
「この商品は親父のアグラ膝枕につき、アグラもかきますし汗もかきます。暑苦しいですがギャグは寒いです。少々においますが、返品交換は固くお断りします。体脂肪はなかなか燃えませんが、処分の際は燃えるゴミに出してください」
オヤジギャグを狙ってるけど滑りまくりのトリセツ。オヤジがアグラの膝を揺らしてウケる。
1本目よりはリアクションがあった。コメントは2件。マドレーヌさんのコメントは「w(ダブリュー)」が2つに増えていた。
「草草」と言いながら、オヤジの膝に「w(ダブリュー)」を2つ書いてやった。オヤジは膝を右と左に2回よじらせて、くすぐったがった。
3本目の動画は、オヤジと一緒にメーカーのオンラインショップを見てみた。会社名は「膝枕」カンパニー。そのまんまの名前だ。オンラインカタログにはオヤジの仲間の膝枕商品がたくさん並んでいた。いや、仲間じゃない。いいにおいがしそうな色白の女の子の膝枕が居並ぶ中で「親父のアグラ膝枕」は完全に浮いていた。
「オヤジの異物混入感すさまじいな」
オヤジはアグラの膝を微妙に内側に向けて照れた。「それほどでも」と言っているのではないだろうか。ほめたつもりはないが、ほめられたようなリアクションだ。「可愛いな、おい」とうっかり口にして、和んでしまった。
オヤジは自分が好きなのだろうな。膝しかないのに。その自己肯定感、どっから来るんだ?
3本目の動画はコメントが3件ついた。マドレーヌさんの「w(ダブリュー)」は3つに増えていた。
「草草草」と言いながら、オヤジの膝に「w(ダブリュー)」を3つ書いてやった。すね毛、いや、もも毛の上に草が生える。オヤジは膝を3回よじった。
「親父のアグラ膝枕ってことは、膝枕できたりすんの?」
8本目の動画を撮影しながら、オヤジに聞いてみた。オヤジは膝を上下に動かしてうなずいてから、もぞもぞと左右の膝をこすり合わせた。
膝に来いと誘っているつもり、なのか。
気乗りしないが、頭を預けてみる。
「うわ」
オヤジの膝は、じっとり濡れていた。汗の湿り気なのか。はっきり言って気持ち悪い。おまけに、なんだかにおう。中年の酸っぱいにおい。これが加齢臭ってやつか。うちの父親からは、こんなにおいがしなかった気がする。最後に会ったときは、まだ中年じゃなかったのかもしれない。
「ごめん。無理」
頭を起こすと、オヤジは微妙に膝を内側に向けた。うなだれているように見える。
しょげてるのか? オヤジのくせに?
オヤジは膝をこすり合わせる。いじけているらしい。
乙女かよ。ウザ。
「あーいや、ちょっと汗かいてるから。タオル敷いていい?」
オヤジの膝が小さく弾む。機嫌を直してくれたようだ。なんで私が気を遣わなきゃいけないんだ? めんどくさいな。
スマホを固定して、オヤジに膝枕されてる私を背中側から撮影することにした。
オヤジの膝枕にタオルを敷いてから頭を預けてみる。固い。ゴツゴツしている。膝枕って、やわらかくて沈み込むイメージだったけど。オヤジの脂肪に沈み込むよりは筋肉に弾かれるほうがマシか。
母親が間違えてポチってしまった「親父のアグラ膝枕」。中身を確かめずにドアの前に箱を置いた母親は、まさかすね毛ボーボーのオヤジの膝に娘が頭を預けているとは思っていないだろう。
「ずっと学校休んでるし、母親なりに、なんとかしたくて必死なんだろけど、願掛けてるみたいでイタいんだよね。ほっとけばいいのに。未成年だし、親としての責任を果たそうとしてるのかな」
アグラしているオヤジの膝がゆっくり上下する。「そうなんだ」と相槌を打っているスピードだ。
「話題のスイーツなんかも、わざわざ買いに行って届けてくれるんだよね。甘いもの食べたら、ほっこりすると思ってんのかな。誕生日には『お誕生日おめでとう』のプレートがついたケーキを買ってくるし。何がめでたいんだって思うんだけど、いくつになっても親にとっては大事な日なのかな」
私は、自分が聞きたい言葉をしゃべっているような気がしてくる。
母親がどんな気持ちで、どんなつもりで、ドアの前に食べるものや着るものや小物やどうでもいいものを置いていくのか。わからないけれど、ドアの前に足音が近づいて、何かが置かれる音がすると、まだ見捨てられてないことを確認する。その足音が明日も明後日も続くと思っている。
「ずっとこんなことしてられないとは思うんだけど、終わらせるきっかけがないんだよね」
オヤジに膝枕されながらとりとめもない話をする8本目の動画に「女子高生がオヤジに膝枕されてみた」とタイトルをつけた。
「女子高生。オヤジ。膝枕」のパワーワード3連発。初めてバズった。スマホの通知が鳴り止まない。
コメントが100件を超えた。桁違いだ。コメントに埋もれていたけど、マドレーヌさんの「w」は8つに増えていた。
「大草原」と言いながら、オヤジの膝に「w(ダブリュー)」を8つ書いてやった。オヤジは膝を8回よじった。
コメントが増えると、アンチも増える。アンチのコメントは「親父のアグラ膝枕がキモい」というのが多かった。
うん。たしかにキモいよね。
他には「女子高生ってウソだよね?」と疑うコメント。
嘘じゃないけど、ホントとも言いきれない。学校行ってないし。
あとは「イタい」ってコメント。
アンチのコメントを読んでも、へこまなかった。私のこと見えてるんだ、透明人間じゃないんだって確かめられて、なんだか安心した。
「女子高生がオヤジに膝枕されてみた」がバズったから、そのタイトルでチャンネルを開設することにした。
カタ、とオヤジが音を立てた。アグラを傾けて、片方の膝で床を打ったらしい。私を振り向かせると、オヤジはドアのほうに膝を向けた。
「ん? ドアがどうした?」
そう言えば、カレンダーは休日なのに、家の中が静かだ。胸騒ぎがして、ドアを開け、リビングへ向かうと、母親が倒れてた。
「お母さん?」と思わず呼びかけた。半年ぶりに。
返事がない。でも、脈はある。
急いで部屋に引き返して、オヤジを抱き上げると、リビングに引き返した。
「お母さん、倒れちゃってるんだけど」
キッチンカウンターの上にあるコードレス電話に親父が膝を向けた。
「そっか。110番! じゃない、119番!」
救急車が到着するのを待つ間に、うちにある一番大きな旅行鞄にオヤジを無理やり詰め込んで、一緒に乗り込んだ。アグラの膝頭が飛び出してしまうけど、まさか中にオヤジの膝枕が入ってるとは誰も思わないだろう。
病院に着くと、母親は救急車からストレッチャーに移されて救急処置室に運ばれた。付き添いの方はこちらでお待ちくださいと廊下の突き当たりにあるベンチに案内された。
まわりには誰もいない。オヤジを旅行鞄から出して、カメラを向けた。
「お母さんが倒れて、生まれて初めて救急車に乗りました。オヤジも一緒です」
ベンチの上でアグラをかくオヤジがシュールだ。
「お母さんが倒れてしまいました」とタイトルをつけて、「女子高生がオヤジに膝枕されてみた」チャンネルに上げた。
「病院で撮影すんな」とか「お母さんをネタにすんな」とか、アンチコメントが来そうだなと思った。アンチでもいいから誰かに何か言って欲しかった。
オヤジを旅行鞄に戻すと、ベンチに腰を下ろして膝に置いた。鞄の外からオヤジを抱きかかえると、体温が伝わる。じんわり汗をかいているのも伝わる。うちに帰ったらこの鞄を洗濯しなきゃ。そんなことを考えてると、ちょっと気が紛れる。
洗濯物は、洗濯機の上のカゴに入れておくと、母親が洗って干して取り込んで畳んで部屋の前に置いといてくれる。でも、もし、母親の意識がこのまま戻らなかったら。母親の看病なのか、介護なのか、することになったら。
そしたら学校に行くほうがマシかもしれない。
「自分の心配ばっかり。最低だな」
鞄の中のオヤジに向かってつぶやくと、オヤジの膝が小さく揺れる。貧乏揺すりっぽいけど、大丈夫と言ってくれてるんだと思うことにする。
母親が意識を戻したと看護師さんが知らせに来てくれた。旅行鞄を抱きかかえたまま、救急処置室に向かった。
「一緒だったんだ?」
旅行鞄から飛び出したオヤジの膝頭を見て、母親はそう言った。
「これ、注文間違ってるよね?」
半年ぶりに母親と口をきく。思ったよりフツーにしゃべれた。
「間違いじゃないよ」と母親が言った。
「お父さんの膝枕、大好きだったでしょ」
いやいやいや、そんなこと覚えていないし。いつの話だよ?
旅行鞄からオヤジを出して、母親に触らせてみた。すね毛がリアルだねと母親は笑いながら、オヤジを撫でた。飼い犬をふたりで撫でながらほのぼのとしゃべってる、フツーの親子みたい。こんなにカンタンなことだったんだ。
次の日、学校に行った。半年ぶりに着た制服が少しきつくなっていた。
教室の前で、名前を思い出せないクラスメイトの女の子と目が合った。
「何してた?」と聞かれて、「オヤジと遊んでた」と答えた。
「何して遊んでたの?」
「膝枕」
「ヤバイね」
「ヤバイね」
通販商品の膝枕に頭を預けて話を聞いてもらってただけだよとわざわざ説明したりしない。同じ場所に立っていたって、見えてる景色は違う。
久しぶりの学校は、それなりに面白かった。うちにいるより退屈しなかった。うちにいても、学校にいても、時間は同じだけ流れる。今日から明日に流されていったら、いつの間にか大人になる。
「ネタ切れだし、緊急企画考えました。『10日後に売られるオヤジ』」
10本目の動画で、オヤジにドッキリを仕掛けた。オヤジの膝は固まっている。
「オヤジ、ショック受けてんの? ウケる」
オヤジは動かない。静止画像になっている。
「私といたかったら、いたいって言っていいんだよ」
やっぱりオヤジは固まってる。何か言ってよ。私がいじめてるみたいじゃん。
「オヤジが可哀想なので、新ルール考えました。10日以内にチャンネル登録者数が1万超えたらオヤジ売るの、やめます」
チャンネル登録者数は7800人。毎日200ちょっとふえたら1万に届く。
「オヤジを人質にして数稼ぐのズルい」
想定内のアンチが湧いた。アンチの声は、どうだっていい。私はオヤジの反応が知りたい。自分で自分を止められないから、オヤジが止めてくれるのを待っている。そんな自分がめんどくさい。
10日後、チャンネル登録者数は9700で止まった。約束通りネットオークションに出すと、あっという間に値段が吊り上がって取引が成立した。「これだけあったら一人暮らしできる」って反射的に思って、すでにあたしの未来からオヤジを抹消してる自分の残酷さというか執着のなさに呆れた。
「オヤジ、売れちゃったよ」と話しかけると、オヤジは膝を固くしていた。すね毛ごと固まっている。
「死んでる?」と聞いても、返事はなかった。
シカトかよ。いいよ、もう関係ないから。
次の朝、目を覚ますと、オヤジがダンボール箱の中でさかさまになっていた。膝をにじらせて、頭から箱に突っ込んだらしい。すねが箱から飛び出して、薄汚れた足の裏が天井を向いている。
「オヤジが身投げしました」というおいしいタイトルが思い浮かんで、箱の中で逆立ちしているオヤジにカメラを向けた。
でも、録画ボタンを押せなかった。
荷造りされる前に自分から箱に飛び込むオヤジがバカすぎて、いじらしくて。箱から抱き上げると、オヤジはじっとりと汗をかいていた。いつもより加齢臭がきつかったけど、それより哀愁が上回っていた。
「ごめん。ずっと一緒だよ」
オヤジをにおいごとギュッと抱き寄せたそのとき、母親の声が蘇った。
「一緒だったんだ」
救急車で病院に運び込まれたあの日、意識が戻った母親は、旅行鞄から飛び出したオヤジの膝頭を見て、そう言った。
あのときは、半年ぶりに顔を合わせる母親にどんな顔して会おうかということに気を取られていたし、一人じゃなくてオヤジがいてくれたおかげでスムーズに話せたことにホッとして、違和感をやり過ごしてしまった。
だけど、今思うと、母親の反応はスムーズすぎた。
親父のアグラ膝枕を注文したのは母親だけど、実物を見るのはあのときが初めてだったはず。それなのに、鞄から飛び出した膝頭を一瞬見てただけで、注文した膝枕と結びつけたのは物分かりが良すぎるし、病院に連れて来たことに驚かないのも不自然だ。
「一緒だったんだ」という言葉がすんなり出てくるということは、娘が普段からオヤジと「一緒に」過ごしているのを知っている証拠だ。
マドレーヌさん。
動画に寄せられたコメントをたどる。
やっぱり。病院の廊下のベンチにオヤジを座らせた動画にも、その後の動画にもマドレーヌさんのコメントはなかった。マドレーヌさんのコメントは、母親が倒れた日から途切れていた。
あの日、ドアに膝を向けて母親の異変を知らせたのはオヤジだった。母親とオヤジは連絡を取り合っていたんじゃないだろうか。
オヤジがロボットなら、通信機能がついてたっておかしくない。マドレーヌさんが1本目の動画にコメントをくれたのは、通りすがりじゃなくて、オヤジが母親に知らせていたからじゃないのか。
私がオヤジを返品しようとしたけど気が変わったのも、私が学校に行く気になったのも、オヤジの人工知能に操られてたのかもしれない。何を信じていいのかわからない。母親が倒れたのも演技だったのかもしれないと疑ってしまう。
なんだ。全部仕込みかよ。
急にバカバカしくなって、オヤジを乱暴にダンボール箱に戻すと、ガムテープをきつく留めた。
コンビニで荷物を出し終え、帰宅すると、母親はダイニングでコーヒーを飲んでいた。
オヤジを売りに行ったことをわざわざ報告する必要はない。
「マドレーヌさんだよね?」
「何のこと?」
とぼけてるのか、本当に知らないのか、わからない。どっちだっていい。オヤジはもういない。
アザラシのおしりが突き出ているドアを開けて、部屋に戻る。アグラの膝を広げてたオヤジがいなくなると、部屋が広く感じられる。
芝生のカーペットを敷いた床に倒れ込むと、カーペットについたほっぺたがひんやりした。
「うわっ。なんで?」
カーペットがじんわり濡れている。
酸っぱいにおいもする。
「何これ⁉︎ オヤジの汗⁉︎」
カーペットからはね起きて見てみると、濡れてるところと濡れてないところがある。
「あれ? もしかして、これ」
濡れている部分が文字に読めた。
アルファベットの「w」だ。
「草」と思わず読み上げた。
においの「臭(くさ)」でもある。二重の意味で、クサ。
オヤジ、文字書けたのかよ。
オヤジ、汗かきすぎだろ。
膝をペンにして、汗をインクにして、文字を書く機能がついてたなんて、知らなかったよ。
私にメッセージを残そうとしたのは、何機能なんだろ。
置き手紙機能? それか、遺言機能?
オヤジ、どういうつもりで「w(ダブリュー)」って書いたんだよ?
私へのツッコミ? ウラミ? ダイイングメッセージ? それとも……。
オヤジ、どんな顔して書いたんだよ?
オヤジ、楽しかったのかよ?
オヤジの膝に「草」って言いながら、オヤジの膝に「w」って書くたび、オヤジは毛だらけの膝をよじらせて、くすぐったがった。あれが楽しかったのかよ?
草の感触も、「大草原」の意味も知らないくせに。
本物の草が生えてるところにいつか連れて行ってあげるねなんてテキトーな約束したっけ。そんなことも、今の今まで忘れてた。
私は弾かれたように立ち上がると、アザラシが突き刺さったドアを勢いよく開け、部屋を出る。スニーカーを引っかけながら玄関を飛び出す。さっきのコンビニまで400メートル。オヤジはダサいから、さっさと宅配便のトラックに引き渡されてしまっているかもしれない。それでも私は走る。
いつかじゃダメなんだ。今じゃなくちゃダメなんだ。
そう思えるものができたんだ。
膝開きは思春期ボイスの堀部由加里さん(膝番号14)
読んで真っ先に手を挙げてくれたホリベさんが9/20(月)14時からclubhouseにて膝開き(初演)。オヤジに少しずつ心を開く女子高生もオヤジもどんどん可愛く愛しくなって、疾走感とともに涙も走るラスト。早くも再演希望!
「くさ枕」(オヤジ臭&「w」の草)と膝番頭の河崎卓也さん(膝番号26)が命名。「臭い」と「草」をかけたセリフをもう少し足すことに(9/25加筆)。
Clubhouse朗読をreplayで
atsukaさん
2022.2.16 小羽勝也さん(note本文+朗読)
2022.4.7 河崎卓也さん
2022.4.19 小羽勝也さん「こんな昼間に膝枕かよ」
2022.5.9 宮村麻未さん
2022.11.17 鈴蘭さん
2023.1.5 鈴蘭さん
2023.3.7 小羽勝也さん
2023.7.7 中原敦子さん
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。