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建築・都市・まちづくりが目指すべき人本主義でつくるグランドレベルの世界。それでも高密度を恐れず、私たちは人間らしいまちをつくっていく。

1階づくりは、まちづくり。久し振りの投稿です。

コロナで世界中のまちは焼け野原になりはじめています。戦争時や震災時のように物理的に建物が破壊されていないので、見た目の風景はそれほど変わっていないのに、近づいて見ると1階のお店は閉まっていて、まちの人気は少なくなっています。また家に閉じこもっている人たちの気持ちは、日に日に沈んでいく。確実に、私たちが暮らす日常が“見えない焼け野原“になりつつあります。(下写真:今日の上野駅)

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経済は世界恐慌以来の落ち込みと言われはじめ、メディアでは、価値感が変わる、ビジネスモデルも変わる、旧来のやり方では立ち行かなくなるだろうと言われはじています。

では、建築や都市・まちづくりの世界は、どのような流れになっていくのでしょうか。いや、状況はもはやそんな呑気なことは言ってられないようです。むしろ、どうなっていくべきなのか、自分が自分の頭で考えることが、私たちに今、課されていることなのでしょう。

日々考えていることも、今だからこそリアリティを持つと思いました。そこで、「アフターコロナのまちづくり」と題して、思ったこと、考えたことを、五月雨式に書き綴っていくことにしました。

もし、読者の皆さんのまわりで、設計や開発、企画に関わらず、今なおプロジェクトとして動いているものがあるとしたら、一度立ち止まって考えてみてもらえたらと思います。もし、それをつくる、デザインする人自身が、自分の言葉で、これからはこうあるべきだ!と言える哲学や理念を持っていないとしたら、そこに生まれようとしているものは、負の遺産になることは確実です。

これ以上ダメージを与えてしまうものを、未来につくらないために、今日から書いていくものを、あなたのビジネスや生き方に当てはめて、自分なりに解釈して、妄想を膨らましてみてもらえたらより嬉しいです。そして、とても共感する方々がいたとしたら、私たちグランドレベルはその人たちと、次の時代の社会を変えうるものを、これからの未来に一緒につくりだしていきたいと考えています。

では、今日は3つのポイントについてです。

01-1 人はそれでもアクティブであり続ける

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コロナのワクチンが開発されるまで、日本をはじめ、多くの都市である種のロックダウン的状況は断続的に続くでしょう。私たちは人との距離、ウイルスとの距離を常に図りながら、ワクチンが完成するまでの数十ヵ月を過ごしていかなくてはいけません、

そしてまた、例えワクチンが開発されたとしても、数十年、数百年おきに起きてしまうパンデミックの可能性を背負い続けなくてはいけません。その上で、コロナ以後、わたしたちはどのような建築・都市・まちを目指していくべきなのでしょうか。

そこを考えていく上で、最も大切なことの再確認が必要だと思いました。

それは、いかなる状況に悩まされたとしても、私たちは未来永劫、人間としてアクティブであり続けなくてはいけないということです。なぜか? それは、人間が生きる最大の目的が、真の健康と幸福だとすると、アクティブで、活動的であり続けること、それなしには人間たり得ないからです。

外気を感じて身体を動かす肉体的な健康はもちろん、他者と出会いコミュニケーションを図る精神的な健康もまた、アクティブ度合いを高めるほど得られるものです。そして、それを最も高めるキモは、建築・都市・まちの1階、パブリックとプライベートの交差点に詰まっているのです。そのことについては、これまでも書き続けてきましたが、詳細は、田中の著書を参考としてください。

つまり、アフターコロナにおいても、ひとびとの活動性については、何一つ諦めてはいけないということです。未来に起こりうる次のパンデミックを想定したとしても、人々の活動性を遮るようなデザインは、建築・まち・都市レベルにおいて行われてはいけないということです。人と人との高密度な出会いを避けるようなデザインは、恒久的な建築・都市・まちにこれからも不必要なのです。

世界のメディアに目をやると、すでに1ヵ月以上前から、ポツポツとそのような記事や議論を目にすることが増えてきました。たとえコロナが起きている最中でも、私たちは、コミュニケーションを、コミュニティーをあきらめてはいけない。リアルな場で日常的に人々が出会い、ちょっとした会話が起こる場所の必要性を、むしろコロナが巻き起こっている現状だからこそ、再確認すべきなのです。

MORE ACTIVE!!! まずここを最低抑えておかなくてはいけません。(下写真:パーソナル屋台

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01-2 人が居られる無数のグランドレベルをつくる

先日、週末の自粛要請が言われる中、商店街や公園に人が殺到しているというニュースが流れました。

どうして外出するんだ!!と怒りの声をメディア上でよく目にしました。まちづくり界隈では、公園というパブリックスペースが、困った場所として捉えられることに悲しみを持つ方も少なくなかったようです。

では、この原因は、市民の危機感の薄さにある!ということで片付けられることなのでしょうか。

私は、その原因の一端には、日本特有のまちの1階の状況にあると考えています。

その答えはシンプルに、日本のまちの1階には、やはり人が居られる場所があまりにも少ないことにあります。あなたの暮らすマンションのエントランスまわりは心地良く過ごせる場所になっていますか? あなたの暮らす一軒家の門扉まわりは、お庭はどうでしょう? すぐ近くの歩道に、川辺に、小さな児童公園に、人々が心地良く佇める、気持ちよく過ごせる場所はあるでしょうか?

おそらく世界一、家の周りに心地良く過ごせる場所がないのが、日本だと思います。

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上の写真は、台北へ行ったときの写真の一部です。このように、家のまわりにちょっと心地良く過ごせる場所があれば、少し遠くの大型の公園へ行こうという人は、確実に少なくなります。近くにちょっと心地良く過ごせる小さなお店がいくつもあれば、少し遠くの大型の商店街へ行こうとは思わないのです。

つまり、公園や商店街に人が殺到する事態は、大小に関わらず、まちのあらゆる1階を、建物の足元まわりを設計、デザインしきた人たち全員でつくりだしてきたツケなのです。

大きな公園の密な状況で感染してしまう人がいるのだとしたら、それはあなたがデザインした人が居ることができない1階が、間接的に人の命にまで影響したということです。それを、きちんと認識する必要があります。まちの1階はつくられ方は、人をもコロスのです。

だからこそ、建築・まち・都市に関わる人たちは、小さくても良い、一坪でも良い、その建物、施設、プロジェクトの1階部分に、最高に居心地が良い無料で過ごせる場所をデザインすることに自覚的にならなくてはいけません。(下写真:「TOKYO BENCH POROJECT 2019-2020」)

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さらに大切なのは、ポーズとして人の過ごせる場所をつくることではなく、最高レベルの居心地を死ぬ気でデザインしなくてはいけないということです。そこまで突き詰めないと、心地良い場所など作り得ないからです。

一方で、デザインする側だけではなく、ポーズとしての適当な植栽、適当なベンチなどを許さない、デザインを支える仕組み・制度・ガイドラインが、行政によってつくられるべきという話も重要になってきます。これらを海外のコピーではなく一から構築していく必要があります。

いずれにしても、人が居られる無数のグランドレベルをつくることは、そのまち、そのエリアの価値を大きくものの基準として、より明確になっていくことになるでしょう。いや、そうならなくてはいけないのです。

01-3 徒歩10分の日常世界を密度高くつくる

さて、今回は最後に、もう少しリアリティを持つために、自分の家から徒歩10分(一般的な徒歩圏:800メートル)の世界、自分の暮らすまちを改めて見つめ直してみましょう。働いている方は在宅勤務(テレワーク)に、またそれ以外の方も外出自粛となり、家に籠もる日常が広がりつつある今だからこそ、考えやすいこととのひとつだと思います。皆さんの生活は、実際、どのようになりつつあるのでしょう。

たとえば、下記についてはいかがでしょうか。

・家とコンビニ・スーパーの往復だけになっていませんか?
・まちの1階に、それでも開いている個人店がいくつもありますか?
・お家の外に、ふらっと立ち寄って心休める場所はありますか?
・お家の外に、こんにちは!おやすみなさい!と言える場所はありますか?

もし、あなたがコンビニやスーパーとの往復しか叶わないまちに住んでいるとしたら、そのまちは残念ながら、幸福度や健康度が高まる人間の暮らすべきまちの対極だと言えます。

逆に、コンビニやスーパー以外で、野菜や肉、パンや花、洋服やアクセサリー、雑貨屋やレコードまで、さまざまなものに触れられるまちだったのか!と再認識できたとしたら、それはかなり豊かなまちに暮らしているということになります。

前者のまちは、人との出会いもなく、コミュニティも生まれず、カルチャーなどは生まれ得ません。後者のまちは、人の出会いが日常的に発生し、同時に小さな無数のコミュニティがあふれ出ていき、さまざまな活動ごとが自ずと小さなカルチャーの種になっていきます。

(下写真:最近の喫茶ランドリーは、来客の大幅減少で大変な経営状況だが、地域のコミュニティハブとしての役割を果たすためにも、時短営業を継続。仕事をする人、お茶をする人が、自然と距離を保つ秩序が生まれていることに日々感動している。また、この時期に軒先八百屋をされたい方が現れ、全力で応援してきたところ、密なスーパーを避けられると地域の方々のリピーターが増えてきた)

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建築・都市・まちをつくる、つくり手目線からすると、そこに暮らす人々の健康や幸福を真の目的とするのであれば、たとえば徒歩10分(800メートル)の日常世界をどのように密度高くつくるかということを、具体的なビジョンとして描き、目指さなくてはいけないということです。

そのような日常を築き上げられるまちであることこそが、無数のコミュイティを生み続け、かつコロナはもちろん、さまざまに起こりうる災害に対しても、もっとも効果のある防災につながっていくのですから。

01-1 人はそれでもアクティブであり続ける
01-2 人が居られる無数のグランドレベルをつくる
01-3 徒歩10分の日常世界を密度高くつくる

そのための、制度ルールはどうあるべきなのか、つくられ方はどうあるべきなのか、あらゆる施設や建築の1階はどうあるべきか、具体的なデザイン、スケール、素材はどうあるべきか、日々のコミュニケーションや運営体制はどうあるべきか... 考えることがたくさんあります。

一つひとつについて考えていくことは大変なことではありますが、その先につくりだせる未来のまちは、確実に豊かで幸せに包まれるものです。そう思うとどれだけ楽しく可能性に満ちたことなのでしょう。それを確実に獲得しないわけにはいきません。

流れで、トヨタのまちづくりの話についても触れようと思いましたが、それはまた次回以降、今日はこの辺りで。ぜひ皆さんも、自身の視点からまちの1階に想いを馳せてみてください。

1階づくりはまちづくり。(下写真:密な状況は割けつつも、元気?おやすみ!またね!と言うためにフラッと立ち寄るレコードコンビニ

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大西正紀(おおにしまさき)

ハード・ソフト・コミュニケーションを一体でデザインする「1階づくり」を軸に、さまざまな「建築」「施設」「まち」をスーパーアクティブに再生する株式会社グランドレベルのディレクター兼アーキテクト兼編集者。日々、グランドレベル、ベンチ、幸福について研究を行う。喫茶ランドリーオーナー。

*喫茶ランドリーの話、グランドレベルの話、まだまだ聞きたい方は、気軽にメッセージをください!

http://glevel.jp/
http://kissalaundry.com

多くの人に少しでもアクティブに生きるきっかけを与えることができればと続けています。サポートのお気持ちをいただけたら大変嬉しいです。いただいた分は、国内外のさまざまなまちを訪ねる経費に。そこでの体験を記事にしていく。そんな循環をここでみなさんと一緒に実現したいと思います!