ついに京橋にベンチを設置!ベンチプロジェクト、ここにはじまる!目指すは「東京ベンチアベニュー」.
noteに最初のベンチの記事を書いて、大きな反響をいただいたのが2017年でした。
それから約4年、ついに先日、京橋の東京スクエアガーデンの公開空地、中央通り沿いに恒常的なベンチを設置させていただくことができました! たかがベンチですが、これ実は大きな一歩なんです。
今回はそのレポートを。
ベンチのない国日本・ベンチのない都市東京
まず、「ベンチの基本」のおさらいです。
日本は鬼のようにベンチのない国です。たとえば、 NHKの名番組「世界ふれあい街歩き」を見ていると、だいたいどの都市でも、街を歩きはじめると番組開始1分以内で、最初のベンチが画面に映り込みます(我々はこれをファーストベンチと呼んでいます笑)。で、日本はどうか? たとえば東京で、上野から銀座まで約5キロを歩いたとしても、ベンチはひとつも存在しません。そんな感じなのです。
では、どうしてベンチがないのか?
歩道を管轄するのは、行政や警察。ビルの足元にちょっと広場があったりしますね。あれを管轄しているのはビルの事業者です。でも、公開空地となるとまた複雑で、そこに利用・使用には行政の許可が絡んできたりします。
そんな中で、さまざまな立場の方々とお話させていただく中で、わかってきたことがありました。それは、ほとんどの日本人は、ベンチを表面的にしか捉えていなくて、一度も哲学したことないんだな、ということでした。
趣味でベンチの起源をずーーっと考えてきました。すると、世界の都市には、なぜベンチがあるのか。それは、ベンチが何者かということをよくわかっているからなんだなと。これはnoteのベンチ研究所でも書いてきました。
「休憩する場所」「座る場所」という物理的なモノとして捉えてこなかった日本には、ベンチが設置さない。一方で、人々の心の支えになる重要なインフラとして当たり前に捉えてきた海外の都市では、積極的にベンチが設置されてきたのでした。
浮浪者が寝たらどうするんだ!一緒に寝るんだよ!!
同時に、行政の人も、ビルを所有する事業者も、ベンチの話をすると、二言目には「浮浪者が」と言います。この台詞を吐いてしまう人は、完全に思考が停止しているようで、自分で考えてそう言うのではなく、挨拶のように自動的に話してしまっている。
人が暮らす街をつくることに関わる人が、それではいけません。
もっと、しっかりと考える。
そういうとき、私も田中もこう言い返します。そうではないですよ。浮浪者も同じ人間です。排除するべきモノではない。浮浪者をいいわけに、ベンチを設置しないという判断はまったく合理性がゼロ。
ベンチを無数に設置する。その恩恵を市民は最大限得る。浮浪者も寝る。そして、私たちも寝る。それが目指す世界だと。
そんなやりとりを方々で続けながら、ベンチを増やすべきだ!と発信し続けていたところ、アーツ千代田3331の中村政人さんに、東京ビエンナーレの一作家としてグランドレベル(田中元子+大西正紀)が何かできないかと、お声がけをいただきました。そして、与えられた東東京のフィールドに対して私たちが提案したのが、東東京にベンチがあり日常の街に人々が居る光景を増やしていく、つないでいくというプロジェクトでした。
場所は、東京建物さんに協力いただいて、京橋の東京スクエアガーデンの足下の公開空地を提供いただけることになり、また、ベンチの設計デザインには、ツバメアーキテクツさんに協力いただき、こんな素敵な赤いベンチが誕生。
そして、約1ヶ月にわたり素晴らしい光景が生まれたのでした。
ベンチは撤去、でも終わらなかった
既存の、ありもののベンチを設置することはしたくありませんでした。日本の屋外や公園にあるベンチは、どれもデザインとしての表情がネガティブな印象がありました。私たちの理想のベンチは、何よりも普遍的な「ベンチ」の表情をしていること。そして、誰に対しても「ようこそ!」と両手を広げているものでした。
だから、ツバメアーキテクツさんにデザインをしていただきました。そして、ベンチにたたずむ人たちを含め、その場を絵に描きたくなる光景を目指しました。実際に、それくらい良い光景を生み出すことができました。結果、わぁ!と声を上げながら過ぎていく人や、写真を撮られる方も少なくありませんでした。
それでも、ベンチは1ヶ月の期間を経て、予定通りすべて撤去されました。
素晴らしい1ヶ月感の余韻は、自分だけのものだったのだろうか?
そんなことを想いながら、数ヶ月経った頃、連絡が入りました。
ベンチがなくなったあとも、やっぱりここにはベンチがあってほしいという声を事業者である東京建物さんは、いただくようになっていたそうです。ビルのテナントさんはもちろん、働く人や、街を行き交う人々からも。
そして、東京建物さんは、恒常的なベンチの設置を決断されたということだったのです。
新しいベンチのデザイン イトーキさんの底力
できるなら、京橋という土地に縁のある会社と共にということで、ちょうどスクエアガーデンの前に本社を構えるイトーキさんがデザインと製作を、われわれはデザイン監修ということで、具体的なベンチのデザインをゼロから進めて行くことになったのでした。
イトーキのデザインチームの皆さんは、私たちのベンチに対する考えを理念のレベルからきちんと理解していただいた上で、毎回打合せの度にデザインをブラッシュアップしてくださり、そのやりとりは本当に爽快なものでした。
人間工学といった理屈よりも、あの京橋の街の中で、どのような顔をして存在するべきなのかということに、向き合ってくださいました。さらにまた、イトーキさんが培ってきた知恵と技術がふんだんにベンチのデザインに注ぎ込まれていきました。
デザインを進めて行きながら、田中は岡田准一さんのラジオでベンチの話をさせていただいたり、ほぼ順調にデザインは仕上がっていきました。でも、そんな時、ひとつの懸念事項が持ち上がってきました。
浮浪者・スケートボーダー・ディスタンス問題
一年前の社会実験としての赤いベンチで、肘掛けをつくらないことは、われわれのビジョンとしては絶対条件でした。なぜなら、ベンチというものは、あまねく人々を迎え入れる顔をしていなくてはいけないからです。そこにつきます。誰かをコントロールしたり、排除したりする顔はひとつも必要のないことだから。
しかし、ベンチのデザインがほぼ完成し、モックアップをつくろうという段階で、クライアントかた届いたメールには3つの項目がありました。
1.スケートボーダー対策
2.浮浪者対策
3.ディスタンス対策
なるほど。実験において完全フラットなベンチで何も問題が起きなかったのに、それでもさまざまに問題を想定して求めてくるのか。。でも、日本のベンチをめぐる理解度を考えれば、当然のことでした。
どうやら、その声をくださったのは、ビル管理に携われる部署の方々のようでした。その方々にとってのお客さんは、テナントに入ってくださっているお店(企業)やオフィスで働く人々(企業)というわけです。たまにあるんだそうです。この前、浮浪者が公開空地にたたずんでいたとか、スケートボーダーが遊んでいたとか、そういう報告(クレーム)がビルの管理者サイドに入ると。それに返す言葉と哲学を備えるには、まだまだ時間がかかるというわけです。
しかし、ベンチに肘掛けを追加し、あからさまに浮浪者が過ごすこと、スケートボーダーをはねのけること、そういうメッセージをベンチに持たせるべきだという要求は、私たちにとっては、キリストの踏み絵のようなもの。
それはできません。
私たちも、またイトーキの皆さんも悩みました。そして、ここからのイトーキさんによるデザインの格闘がみごとだったのです。
まず、通常のいじわる肘掛けのように、一つ一つの席を区切るものにはしないこと。そういうネガティブな存在にならない、新しい肘掛けのデザインとして、生み出されたのが、幅広の区切りでした。実際に肘はかからないので「肘掛け」とは言えない。まさに新しい「何か」です。
ちょっとモノを置きたくなる。ペットボトルでも、スマホでも、鞄でも。そういう行動のアフォードがここに込められていました。(実際に竣工後の使われ方を観察していても、とても面白い!)
さらに!なんと!動くの!?!
おもむろに、動かされたのは、その新しい区切りの板。なんと横にスライドするようにデザインしてくだったのです。少し浮かせるとスライドできて、たとえば3つを1つにもできる。すると小さなテーブルが出現します。すごいですよね。将棋もできるし、ちょっと惣菜とワインでも買ってきたら、最高に違いありません。
ポジティブにデザインを昇華させていき、結果として、先の浮浪者やスケートボーダーに対してクライアントが求める防御も兼ねているというライン。イトーキさんの手によって、われわれも許容できるギリギリのラインにたどり着くことができました。
そして、その後もミリ単位の交渉と調整が続いていきました。結果として今回の京橋に置かれるのは、下のような写真のベンチとなりました。ベンチの商品としは、あくまで区切りがないものが標準です。オプションとして簡単に区切りは装着でき、また平行移動が可能となりました。
そして、設置の日がやってきた!
早朝6時より、運ばれていくベンチたち。
そしてベールが脱がされると、もう最高で!
時を待たずに、こうなる。見上げれば桜満開。
中央通り沿いの、この寂しい光景に
ベンチが設置され
こうなる。
ニューヨーク市のcitybenchのプロジェクトでは市長が市民とテープカットをしている光景は、とても素敵で感動しました。だから、私たちも、ただ設置するだけではなく関係者の皆さんにも集まっていただく会をつくらせていただくことに。
自分たちで、簡易的にお手製でベンチを設えて
こんな感じに。かわいいでしょ? 街ゆく人も気になって立ち止まり見かれます。
左から、われわれグランドレベルに、東京建物さん、イトーキさん、中央通りに綺麗な花壇をつくり続けられているはな街道さんにも来ていただきいて、みんなでテープカットを。(東京ビエンナーレさんを含めて、すべての関係者の皆様、ありがとうございました!!)
いやはや、ベンチがある光景は、やっぱり最高。この日は感動の一日でした。
まちに賑わいがほしい。ベンチを設置せずに何を言っているんですか。
ダイバーシティ。ベンチを設置せずに、多様性も糞もないでしょう。
浮浪者も、スケートボーダーも、受け入れるのが、あるべき真の街です。
(個人の想いとしては、区切りの板もいつかなくなればと思っています。事業者さんがそうしようとなったとき、それは街の成熟の一歩と言えるでしょう)
(東京ビエンナーレの中村さんも、秋田犬ののとかけつけてくださいました!)
ベンチは、ただの休む場所ではありません。
子供も、大人も、高齢者も。
笑顔の人も、涙を流している人も
いかなる気持ちの人も受け入れてくれる、大切なインフラなんです。
そこにベンチがあって、まちに棲むさまざまな人が居る。
ただ人が居るという光景に、私たちは精神的な癒やしと支えを得る。
出会いと会話が増える、ベンチは人の人生をもポジティブに変えるもの。
そういう理念と一緒に、ベンチをもっともっと増やしていきたい。
そう強く改めて思いました。
京橋からはじまり、中央通りが「東京ベンチアベニュー」へ。最初の企画書に描いた一枚。数年前は夢だったけど、一歩目が踏み出せたので、ついにはじまった。今回がはじまりということです。(今回は、あくまで公開空地での設置です。次は、歩道への設置へ向けたチャレンジも)
実はこのあと、2021年はいくつもベンチのプロジェクトが目白押しになっていきます。東京ビエンナーレでもまた、別のエリアにベンチが展開していきます。別の形のベンチも2社と制作中です。それぞれに最高に楽しい仕上がりになってきましたので、お楽しみに!
私のまちで、私たちのビルの足下で、どんな要望にも、最高なベンチの光景がつくれるサポートができる体制ができつつあるので、「ベンチでまちづくり」に興味がある方はいつでも気軽に声をかけてくださいね!
というわけで、今日はこの辺で。
1階づくりはまちづくり。
入門書「マイパブリックとグランドレベル」をどうぞ!
大西正紀(おおにしまさき)
ハード・ソフト・コミュニケーションを一体でデザインする「1階づくり」を軸に、さまざまな「建築」「施設」「まち」をスーパーアクティブに再生する株式会社グランドレベルのディレクター兼アーキテクト兼編集者。日々、グランドレベル、ベンチ、幸福について研究を行う。喫茶ランドリーオーナー。
*ベンチの話、喫茶ランドリーの話、グランドレベルの話、まだまだ聞きたい方は、気軽にメッセージをください!
http://glevel.jp/
http://kissalaundry.com/
多くの人に少しでもアクティブに生きるきっかけを与えることができればと続けています。サポートのお気持ちをいただけたら大変嬉しいです。いただいた分は、国内外のさまざまなまちを訪ねる経費に。そこでの体験を記事にしていく。そんな循環をここでみなさんと一緒に実現したいと思います!