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りあるマザーファッカーの告白

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”りある”マザーファッカー★ノンフィクション★アルコール依存症克服【出生】1977 年新宿【教育】歌舞伎町・都営団地【中毒経験】アルコール(寛解※通院中)・軽ドラッグ(寛解)・ギ…
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2019年7月の記事一覧

腐った死体<母親>が死んだ

給食後、担任から告げられたアッパーカット病院に運ばれてから、母親のもとへ行きたがらなかった父親も病院に向かったみたいだ。オレが学校に行ってからだったのか、その前に出ていたか、覚えていない。 オレは救急車で運ばれた次の日も普通に学校に行った。 学校では普通に過ごし、普通に給食を食べ、 20分間の昼休みに外に遊びに行こうと思っていたら、 教卓から担任に呼び止められた。 深妙な顔を浮かべて話し出した女性担任は、 オレに向かって驚くことを言い放った。 お母さん、亡くなら

腐った死体は仲間を呼んだが現れなかった

限界 両親はアルコール依存症との戦いの末に、オレの環境を重視して父親が離婚を切り出し、それに母親が応じる形ですんなり離婚が成立した。離婚はしたが自宅近所に部屋を借りた母親は、少しでもオレに会いたいと思っていたに違いない。 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシャルという特異な両親に囲まれ、酩酊した母親と強制的に初体験をさせられ、その後30年近くに渡り自身もアルコール依存症に苦しみ、

腐った死体が現れた

母親が体育の時間に突然現れた。 校庭で薄汚れた日常を忘れてスポーツ万能少年が躍動的に運動している時に。 何らかの理由で授業参観に出られなかった母親をオレが学校で1番輝いている体育の時間に呼んでくれた。 気を利かせてくれた担任の計らいだったが、戸惑いと羞恥が襲ってきてかなり混乱した。 とにかく母親をなるべくみんなに見せたくなかった。 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシ

まんびき団【中学生編(B)】

昭和のチクらない文化 硬貨偽造だぞ!お前ら!万引よりタチが悪い。 どうする?牢屋に入るか?? いいえ、入りたくありません。 そんなやり取りを中学に入ってすぐに担任に言われ、反省をしたフリをした。 新宿西口でファミカセ窃盗で捕まった友人は、先生から言われた反省文にオレの名前と共に他の悪さも書いてしまっていた。チクリという言葉は友人間ではご法度であったが、不良・ヤンキーからの洗礼をまだ受けていない捕まった彼は素直に全てを吐いてしまった。昔は友人をかばい、自己犠牲の精神

まんびき団【中学生編(A)】

無敵のジャンパー 授業と授業の合間、黒板にリアルでグロいナニの絵を枠からはみ出すぐらい大きく描き、女子の目線をかっさらう友人は<無敵のジャンパー>で狙った獲物を逃さなかった。 漫画レイプマン(今では考えられないタイトル)が大好きな<カラテマン>はエロに対してオープンだった。小学校の時、エロ要素をひた隠しにしてきた自分にとっては衝撃的で、新鮮で、とにかく誰も傷つけない笑いが大好きだった。オレはやっちまっているし、ひたすらしごきまくっている時期だったが、ムッツリではないエロ

まんびき団【小学生編】

大昔、大好きだった志村けんが 「抜弁天」「抜弁天」「ぬけべんてん」 とテレビで音の響きを楽しんでいた。 エロい響きなのか、行きつけの店があったのか、女がいたのか。 どうなのか。色々想像できる。 志村けんは当時オレの中の神様だった。 ※正式名称は「厳嶋神社」であるが、苦難を切り抜けたと云う由来や、参道が南北に通り抜けできる事から、古くから「抜弁天(ぬけべんてん)」と呼ばれ親しまれている。江戸時代には江戸六弁天の一社に数えられ、現在は新宿山ノ手七福神の弁財天を担う。近

悪魔再降臨

入院 母親は、オレが小学校3、4年ぐらいの時に女子医大に入院した。 たぶん入院した時は母親の病気は前向きに捉えていた時期だから、3年生ぐらいだと思う。色々調べれば正確な時期はわかるが、頭の中には残っていない。たしかあの担任の先生時だったと思うぐらいの記憶だ。 (これまで書いてきた出来事との前後関係は覚えていない。) 父親の苦肉の策だった。 母親を説得し、納得させた上で前向きに病気に向き合った。 少なくともオレと父親は心底向かい合った。 母親も瞬間的にだが今後の人

りあるマザーファック(F)

あの睨まれた朝から 台所の母親の睨み(にらみ)。 これはかなりダメージがあった。 何が正しいのか、何がダメなのか、何をすればよいのか、 完全にわからなくなった。 小学生にして社会不適合者のできあがりだ。 オレに向けた目つき。 一般社会と隔絶するような母親の睨みは、 母親不信に変わった。 植え付けられたのは恐怖というより不信だった。 だが99%不信に思っていたオレは、 自分の挿入勧誘で開始することになる。 4回目の話。 もう一度やりたいと思ってしまっ

りあるマザーファック(E)

こういう下世話な身の上話を展開する事自体全然問題なく、大したことはない。とっくに乗り越えたし、とっくに消化していると思っていたが、数日間完全に精神がぶれている。ある方に言われた症状がそのまま出ている。だが、今まで乗り越えてきた諸々の経験と自分がしっかり見据えるビジョンのために今日も書くことにした。不思議と書いている最中は落ち着いている。 2回目マザーファックの次の朝。 悪いことをしているのか、していないのか、わからない。 完全にはわからない。 でも、やっぱり友達には言

りあるマザーファック(D)

MJ いま文章を書きながら思い出している。 母親とのフェスについて。 おそらく回数は4回だ。 性交渉と呼ばれるのは4回。 1回目はMJを握られた。それで終わりだった。 2回目は「お尻に入れてみて」だった。 2回目のあとの話がよく思い出せないのだが、3回目、自らそういう行為をやりたいと自分が思った記憶がある。 おそらく3回目は自分から行為におよぶように促したと思う。 すんなりと了承を得て、おしりに入れようと頑張ったが無理だったので、 母親が 「お口に入れて

りあるマザーファック(C)

菊のラビリンス 2回目は母親の目的がはっきりした握り込みだ。 実の子のちんちんを立たせ、自分の快楽のために使用するマジカルスティック(MJ)にするためだ。 オレの視点だとMJの目的は定かではなかったが、しっかり反応し、生物としての性を全うしていた。 「おしりに入れてみて」 かな。 重要な言葉をよく覚えていないが、ファミコンではしゃいでいる小学生に、母親の言葉は非合法に認定して欲しいほど性暴力極まりなく、人生を変える強烈な淫語だった。 とにかく菊のラビリンスへの

りあるマザーファック(B)

3年生の終わりか、4年生の始めか、いつ頃だろうと思い返すたびにいつなのか正確な時期がわからない。 正確な年齢がわからない。 夏なのか、冬なのか、わからない。 時間帯はわかる。 毎日繰り返される睡眠の時間は、何が起こるかわからない予測不能の魔の時間であったが、その日は何事もなく六畳の部屋に布団を並べて母親と寝ていた。 2人とも右を向いて押入れの方を見ながら寝ることが多く、その日も同じスタイルで右向け右で寝ていた。父親は、狭いアパートに似つかわしくない上段にベッドが付

りあるマザーファック(A)

オレはやっちまっている 小学校の時、友達の家に行くと胸が絞られるような違和感を覚えた。 幸せそうな家族がオレの心を締め付けた。 仲良さそうな夫婦に、3つぐらい上の兄貴、まだ幼稚園に通っていた妹、そして三階建の一軒家。友達の家は当時日本テレビのゴルフガーデン横、新宿5丁目にあった。 数分で四季の道の入口だ。かなりのところに建っていた。そんな立地とは思えないぐらい柔らかく、しなやかな時間の流れ。遊びに行くと今でも忘れられないぐらいの締め付ける感覚が毎回あった。 その経験は

アル中のトマトケチャップの使い方(C)

グダグタなアル中痛がる母親を見て不安と焦りが入り混じる。 解決できず、近所のにいちゃんばあちゃん宅に逃げ込んだ。 大量出血じゃないし、母親は大人だし、救急車を呼ばなくても解決できるはずだから、その場を離れても大丈夫。 そんな感じだったと思う。とにかく不安と見えない先々で最悪だった。 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシャルという特異な両親に囲まれ、酩酊した母親と強制的に初