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【第6号】気持ちの揺さぶりを明らかにしながら勢いをつけて攻める

2月某日|時間を無視した過ごし方のはなし

noteの使いかたのひとつとして1週間の振り返りの場所にしている。手帳にメモ書き程度にまとめた1週間分の感情の記録を見ながら振り返っている。やり方は大きく3パターンある。その時の自分にタイムスリップする。noteを書いてるときの自分だったらどう思うか俯瞰して考える。今後同じような心境になったときにどうするのが自分らしいか未来に思いを馳せる、だ。

noteを書く日は家にひとりなので、時間の感覚がなくなる日でもある。リビングのカーテンを開けているから外の明るさでなにかを判断する非日常的な空間。

この日に気づいたこと。それはnoteを書き終わると音楽を流しはじめているということ。なにを流すかはその時の気分なんだろうけど、この日は90年代の邦楽。iTunesから聴いたりYouTubeから聴いたり、曲によってプレーヤーを変えている。一貫しているのはこの音楽の聴き方をしているときはDJになっているということ。次はなにを流そうか、この曲の流れからすると次はあの曲がいいな、と気分や雰囲気に合わせて選曲している。

この日は3時間くらい音楽を聴いていたみたい。那覇から成田まで飛行機移動が余裕でできるくらいの時間。時間を無視する過ごし方は自分に集中している証拠。外の明るさで過ごし方を決める過ごし方は自然。


2月某日|懐かしさを買うのはなし

月に何度か日用品をまとめて買う日がある。この日は近所のドラッグストアにいったり、少し離れたドン・キホーテに行ったり、スーパーマーケットに行ったりして欲しいアイテムを手に入れるRPGのような過ごし方をした。RPG中のわたしたち夫婦は途中で外食をする。この日はマクドナルド。

1月の値上げはなんのその、地方のマクドナルドのお昼どきは長蛇の列ができるから少し時間帯をずらして行く。買ったのはビックマックのセット。今年、初マックなのだが何回食べてもおいしいと感じる。

わたしはマクドナルドに行くたびに懐かしさを思い出す。小学生の頃のはなし。わたしの地元では高学年になると隣町まで行くことができた。学校ルールとしては、ヘルメットかぶること、親に行先を伝えることだったと思う。平日は習いごとをしていたから週末ぐらいしかまとまった時間を友だちと過ごすことがなかったので晴れた土曜日は冒険びより。

おこづかい片手に自転車に乗り、ヘルメットをかぶって向かうのは隣町のマクドナルド。とはいっても家から10分くらいの場所にある。このマクドナルドは独立した店舗型ではなく、スーパーの一角にあったテナント型で少しこじんまりしていた。

当時のハンバーガーは確か80円だったから、お決まりのハンバーガーとコーラを買って友だちとゲームの話をしながら過ごす時間。おこづかいが貯まったときの冒険はハンバーガーがビックマックになる。小学生のわたしにとって贅沢な瞬間。田舎のマクドナルドだからか、小学生だけで買いに来るのが珍しいのか、店員のお姉さんに覚えられていたわたしたちはビックマックを買うときは驚かれたのを思い出す。

そんな思い出のあるマクドナルド。いまでは年に数回しか行くことがないけど、行くたびにこの風景を思い出す。このおいしさは思い出にあるなつかしさからきている。


2月某日|自分の活動のコアのはなし

わたしは支援者として活動をしている。参加者が気づきを持って帰る対話の場を開く活動。この日、友人のファシリテーターの記事を読む。内容は、得意を活かす視点は長期的に考えると良いことなのか、ということ。

自分の活動のコアはなんなのか改めて考える時間をつくった。やり方はあり方に基づくと思っている。やり方は外側のもの、あり方は内側にあるもの。あり方のふり幅はそこまで広くないと思っている。逆にやり方は無限にあると思っている。仕事の進め方はきっとそうだと思いたい。会社のやり方、チームで築いてきたやり方を無視するのは絶対よくないとは言い切りたくないが、もっといいやり方を見出せるのであれば見出した方がいい。本人にとってもチームにとっても。これが改善というのだろう。

わたしの対話の場ではやり方を決めていない。決まっているのは始まりと終わりの時間だけ。場がはじまって一番最初に話し始めた人から展開していく。違う日に似た内容で始まっても同じ道筋はたどらないし、まったく違う内容からはじまっても、あの日と似た着地点にたどり着くこともある。

これが対話の場の面白さだと感じている。久しぶりに友人と話したい。


2月某日|いたくなる会議のはなし

パートナー企業の打ち合わせに参加。内容は企画会議。この日のわたしは先約が控えていたため会議の7合目くらいまで来たところで中座を迫られた。時間は無情。こう思ったのはこの会議にまだいたいと思ったからだ。どうしてこう思ったのか、その日の夜に考えてみた。

会議にはいくつか種類がある。何かを決める会議。何かを決めるためのアイデアを話す会議。進捗を共有してブラッシュアップしていく会議。細分化したらキリがないくらい種類がある。

会議の場で大切なことは、その場に自分がいるかということ。開く側も呼ばれて参加する側も参加する意識があるかどうかで進み方や着地が大きく変わる思っている。

参加する意識は自分でもつくれる。今日の会議はアイデアを出す場だから、3個くらいアイデアを出そうとか、今日は担当業務の進捗を発表するから要点をまとめて伝えようなど。場にいるからには一人ひとりが場に何かしら貢献した方が有意義な時間の使いかたになるだろうと思っている。

この日の企画会議の話に戻る。私だけかもしれないがこの人たちの開く場は参加している感がとても高い。一人ひとりが話す時間があるし、話した内容が的外れであっても、場に置かれていることが分かる。その後の何かに紐づけられる仕組みがある。そう思っている。つまり参加している感を強く感じさせてくれる場。こんな場が心理的安全性が高いといえるのだろう。いてもいい場、受容されている場だからこそなのか。次の予定が迫っていてもいたくなる。

次回の会議からは次に予定を入れるのを控えようと思う。


2月某日|きっかけは外からやってくるのはなし

なにか新しいことをはじめたいときのきっかけ作りは重要だと思う。必要な道具を揃えてからはじめるのも一つの手だし、深く考えず行動に移していくのも一つの手。

わたしにはものごとを後回しにするクセがある。ギリギリまで考えたいからこうしていることを自覚している。なので後回しにするのが全部良くないとは思わない。でもこの日は違った。行動しようと思ったきっかけが外からやってきた。それも3つもだ。

ひとつ目は暮らしのリズムについて。先週まで体調を崩していたことで家と仕事先の往復しかしない暮らしを数週間していたせいか自然に触れたくなった。自然とは花や緑のこと。なんとなくの感覚で花を観たいなぁとなんとなく思っていた矢先、妻から桜を見に行こうとお誘いがあった。自然に触れることができた。

ふたつ目は身なりについて。これも体調を崩していた&年末年始のあわただしさにかまけて散髪をせず後回しにして伸びきった髪を切りたくなっていた。髪はスタイリングをすれば問題はないので優先順位は低い。伸びに伸びきっていたにもかかわらずです。気乗りしたら髪を切りに行こうくらいで2か月ほど放置していた。そんな矢先、結婚式の招待状が届く。髪を切る必要性が高まった。

みっつ目は交渉が必要な作業について。わたしには毎月、作成が必要な作業がある。それはパートナー企業のひと月分のリワークプログラムを作成する作業。中身については割愛するがプログラム作成を進める次月のとある日は、とあるプログラムを差し込みたいと思っていた。これは他のスタッフと交渉したうえでないと定められないたぐいのもの。

わたし自身、時間に追われるのが好きではないため、早めにプログラム作成に着手をしているのだが、交渉事は後回しにしていた。そんな矢先、交渉したい人から交渉したかった内容について交渉されたので交渉成立した。

自分がやらないといけないと思っていたことがだれかの行動がキッカケで実現することはあると思う。だけど1日に3つが実現できたのは偶然なのだろう。きっかけはいつ現れるか分からない。自分の行動できっかけをつくることもできるし、できないこともある。この日のように外からのきっかけで実現できてしまうこともある。面白い日。


2月某日|見えない価値は必ずあるのはなし

仕事のこだわりを聞くのがわたしは好き。なぜならそのこだわりはその人が時間をかけてていねいにやっていることですてきだと思うし、その人だからこそ成立するその人の結晶。周りから見たら不思議なパワーが潜んでいるように思うもの。

この日、県内に最近できた洋菓子屋に妻と行ってきた。そこのパティシエはコンクールで賞をもらった方で、昨年独立して自分のお店をかまえたようだ。

妻もパティシエなのだが、仕事のこだわりを聞くのが好きなわたしは妻に聞いた。聞いたのはケーキ作りの技術のこと。

ケーキ作りは大きく分けて3つの工程があるそうだ。「計量」といった必要な材料を事前に計る工程。「焼き」といった計量したものを交ぜたり、専門的な技術を使って整え、オーブンで焼き上げるまでの工程。「仕上げ」といったケーキをショーケースに陳列できる状態にするためにクリームを塗ったり、カットした果物やチョコレートをデコレーションしたりする工程。

妻との会話に戻す。わたしが気になって質問したのはクリームを塗る作業のこと。専門用語でナッペというのだが、人によってやり方が異なるようだ。私もたまにお菓子作りをするのだが、ナッペはクリームを入れた絞り袋の先の口金の形だけでデコレーションのされ方が変わるとかんたんに思っていた。

妻の言い分はこう。絞り方は道具より人で変わるということ。パティシエの技量しだい、とひとくくりで言ってしまえばそれまでだが、たくさんの要素がナッペの作業には詰まっていることが分かった。

パティシエの身長、絞り袋を握る手の形、大きさ、回転台を使うか使わないか、回転台を回すスピード、クリームの種類、固さ柔らかさ、絞り出す角度や量、そのスピード、絞りの止め方などのさまざまな要素が絡み合ってデコレーションされているということ。

クリームを絞る作業だけでもこれだけの要素があるのだから、計量から仕上げまでの作業には無数の要素が重なってることがわかる。これらを経てひとつのケーキができていると思うとこだわりを感じる。

いまの世の中、値上げが叫ばれている。仕方のないことだし、わたしも財布のひもが固くなる瞬間が増えてきたように思う。だけど安い方がいいだけの買い方には気をつけようと思う。

素人目には分からない作り手の思いや培われた技術が商品には詰まっている。大量生産されたものでもそうだと思う。努力と言われる目には見えない結晶として商品はできあがっている。

パティシエ業界も人手が不足しているととある記事で読んだ。どの業界も人手不足と聞く。これだけ人手が不足していると言われているのだから、そもそも人がいなくなっているのだろう。

先日の新聞では、沖縄の人口が初の自然減少したと書いてあった。人自体がそもそも減っている。ということは技術者も減っていくということ。そうなるとこだわりに触れる機会も減り、できる人が貴重な存在になる。

数十年後は伝統工芸の技術者のように、パティシエも貴重な存在になるのかもしれない。安さや利便性を追求しすぎると起きてしまう弊害なのだろう。だけどこだわりを持って活動している人は間違いなくたくさんいる。それをていねいに伝える場所は世の中に必要だと思う。

「お客さまは神様です」という言葉をもじるなら、「作る側も神様」であっていい。仕事のこだわりを広めるために、世の中のいろんな方にインタビューして記事にしていってみようかなと思った。

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