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「得意を活かす」という罠

これまで私は「自分の得意を活かす」ということを意識して働いてきた。けれども今、それが大きく揺らごうとしている。というよりも「得意を活かす」という視点は本当に長期的に考えて良いことなのか?という疑問を持ち始めたのだ。


そもそも何かができるようになる、得意になる状態の手前には、物事を好きになる、またはたくさん経験する機会がある、またはその両方があったりする。


もちろん、自分がしていることが大好きで、自ら時間を投じた結果得意になったものがあることは幸せだ。でも、他の人と比較して秀でているように見えても「本当に今後それを伸ばすべきなのか?」という視点で見ると疑問が湧くことが増えてきた。


例えば「家事は女性の方が得意なんだから、女性がやればいいじゃん」という発言をする人がいたとする。私の周りは流石にこんなことを言う人はいないのだが、広い社会の中でまだこういう発言をする人がいたとしてもおかしくない。でもこれって、女性が聞いたらかなりおかしな発言だと言うことがすぐ分かる。

これまでの社会の中で役割分担として女性が家事をやることが多かった時代があっただけであって、決して全ての女性が家事を好きで得意なわけではない。(もちろん、中には家事が好きで得意で仕事にできるレベルの人もいるわけだが )

たまたま社会の構造上、女性の方が家事をする時間が多かった結果、男性と比較すると得意に見えているだけのこと、と言うのがお分かりいただけるはずだ。

実は私も仕事をしていてうっすらと、これに近い体験をしている。そもそも私はフリーランスで、男性とペアまたはチームを組んで仕事をすることが多い。そうするとほぼ100%の確率で、お客さん側が私と一緒にいる男性の方を意思決定者だと認識して、役職ある人が男性の方に話しかけに行く。

ちなみに私は別に偉い人とのコミュニケーションが得意なわけでもないので、特に気にすることなく「相手の方が得意なんだから任せておけばいいや」とお任せモードでいたりする。何なら代わりに私が得意なところをやればいいのだから、得意を活かし合う役割分担くらいの認識だった。

でも、これは実は「家事は女性の方が得意なんだから、女性がやればいいじゃん」と同じなんじゃないか…とうっすら気づき始めている。これまでずっと男性が意思決定者を見なされる環境だったから、私自身に役職がある人とのコミュニケーションの経験が、男性と比較すると少ない。


これは…正直言って得意を活かしている場合じゃない。

私はこれからの社会の意思決定に、男性の健常者以外の人たちが入るべきだと思っている。少なくとも女性のリーダーや議員などの意思決定者は絶対に増やすべきという考えなのだが、そんな私自身が「自分が意思決定に入ろうと積極的ではない」と言うことに気づいてしまった。


私たちは、過去の構造から生み出された得意を活かすべきではない。
未来を思い描いたときに立ち現れる構造を体現する一手を「今」選ばなければならないのだ。


私も次の仕事からはなるべく自分も意思決定のコミュニケーションに関わるという意思を持って取り組みたいし、もしこれを読んでいる男性の方がいたら「自分の方が得意だし」などという考えはぜひ捨ててもらいたい。


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