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世界の人たちはようやく繋がり始めたところ、ということについて。

「フレンドリーな外国人」は、’’本当にフレンドリー’’なのか?

グローバリゼーション、飛行機などの交通手段の発達、インターネット、そしてついにやってきた...パンデミック。

世界の経済は繋がっているし、技術的にはいつでもその気になれば世界中の人と話すことができる。世界のニュースやエンタメなどもYoutubeで見ることができるし、過去と比べると段違いにモノや情報は行き交い、何かを交換し、お互いに依存し(時には搾取し)、現代の社会が成り立っている。

それに対して反論できる人などいないだろう。
では少し視点を変えて、あなたの(僕)個人レベルではどうだろうか?

もちろん日本人以外の友人をたくさん持つ方や、豊富な海外生活、海外旅行の経験がある人も多いだろう。でも、本当にお互いの国の文化、歴史、風土、食、生活習慣、社会的な共通認識など世界のことを知っていると言えるだろうか。

あの「フレンドリーな外国人」は、’’本当にフレンドリー’’だったのだろうか。

今回はそんなことについて。

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ぼく個人のあるある

カナダに住んでいると、アメリカやオーストラリアのように、たくさんの他の国から移民して来た人に出会う。

例えば僕の身近なところだと、今住んでいるアパートの大家さんはインド系カナダ人だ。(ちなみに大家さんの両親は英語ほとんど話さない。だからたまに笑わせることができると嬉しい)そして仕事場の同僚はオランダ、イギリス、フランス、イタリア、メキシコ、ポーランド、フィリピン、そしてカナダ生まれの人たちで構成されている。

それぞれの国の話をして楽しく新鮮に感じることもあれば、コミュニケーションがうまくいかず、お互いにフラストレーションを感じることもある。

ぼく個人のあるあるとして、日本だったらよくない態度に見えてしまう行動に対して、少しイラっとしてしまうとうことがある。相手にとってはなんてことない行動なのと頭でわかっていても、真意を汲み取りきれず、反応してしまい、後悔するということがたまにある。(正直いうと、もうちょっとよくある)

例えば16歳のティーンネイジャーは僕のことを呼び捨てにするし(もちろんそれにはイラだたないけど、毎回頭の中で、同じ16歳でも文化によって見えている世界が違うんだなあとか考えてしまう)
フランス出身のシェフが僕のことをたまに「Masaki-san」と呼ぶけど、そこに込められてる意味合いは日本の人からの「まさきさん」とは違うかったりするのだ。

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寿司とSushi

もう少し他の身の回りのこと考えてみよう。

例えばワクチンの発音が英語では「ヴァックシーン」であり、「ワクチン」というと妻に笑われる。(妻にとってはユニークでかわいい発音だからだ。そして笑うのも僕だから。)でも日本の人ならアナウンサーでもワクチン呼ぶ。

そんな中で、たまたま初めて「ワクチン」という言葉を、知らない人が聞いて笑ったとしたら、あなたにとっては苦い経験になるかもしれない。

他にも、寿司についての話になると、毎回必ず、握り寿司と巻き寿司の説明をしなくてはいけない。なぜなら北米では「Sushi」というと、まず「巻き寿司」を連想するからだ。ちなみに寿司は「Nigiri」だ。

あなたが出会った外国の人が(日本で会った人なら違うだろうけど)
「Sushi」が自分の大好物です!って話していいても、実はベジタリアンの可能性もよくある。なぜなら巻き寿司のことを話しているから。でもそこで巻き寿司のこと話していると知らなければ、あなたはベジタリアンは魚を食べるのか!と理解するかもしれない。

一般的なことを書いておくと英語で言うベジタリアンは魚を食べない。
動物=動く生き物は食べないという意味だからだ。
もちろん、魚は食べるタイプのそれらしい呼び方もある。

ここで言いたいことは、一見すると共通の話をしていたり、逆にすれ違っていいるように思えても、実は違う意味だったり、別の意図だったりしていることがある。ということだ。

そして、それは言語能力の話ではない。

日本社会における礼儀として、「丁寧語」や「尊敬を示すための距離感」があるように、例えばある国ではフレンドリーに振る舞うことがその社会における礼儀になっていると言うことがあり、本当にフレンドリーなのかどうかはまた個人の問題だということだ。

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ぼくの失敗例

逆に僕が失礼なことをしていることもある。
例えば自分がドイツ語についてちょっと知っていたとする。
オランダ出身の友人と、オランダ語について話していて、発音がたまたまドイツ語の似ている部分を僕は発見する。

そこで、「おーその発音ドイツにもあるよね!ルーツ近いの?」

と何気なく聞いた時に「ドイツのことは知らない」とちょっとそっけなく返されたことがある。そして、はっときづく。

それは例えるなら、日本語について話していた時、
「おーその発音、韓国にもあるよね!」
とカナダ人の友人に言われたとする。

あなたはなんと返答するだろうか?

もちろんシチュエーションやその時話したかった真意により心情は様々だろう。

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世界のことはまだまだ知ることができる。

ではどうすればいいのか?
ここで誤解してほしくないのが、理解する必要があると言っているわけではない。
そもそも一般化して話すことに無理はあるし、各個人でも全く違う。

でももし、あなたがグローバリゼーションや、冒頭で挙げたような言葉によって
世界が狭く感じているようなら、
世界はまだまだ広く、理解する余地が山のようにあるよ!
ということが言いたいのだ。

ちなみに、僕が会話するときに気をつけていることは、
「自分にとって新しい解釈の仕方があるということを念頭に置き、尊敬の念を持ってコミュニケーションをとる」ことだ。ただ、尊敬の念といっても分かりづらいので、もっと噛み砕いてに言うと、僕がよく思い浮かべるのは、その相手のことを大切に思っている人のことだ。恋人や両親、またはこどもだったり。

あなたがそうなように、相手も誰かの大切な人だ。僕がこのことを頭に入れながら話す時、ちょっとしたすれ違いなど気にならなくなり、より相手の立場になって話が聴けているという実感がある。

それでもやっぱりまた失敗することもあるだろう。
でもそれでいい。世界は繋がりすぎているかもしれないけど、世界の人はようやく繋がり始めたところだから。

そう、まだまだ世界は広いのだ。


おしまい。

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