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泥臭くて、鈍臭くて。それでも歴史から学び続けるのだ。変わり続けるのだ。

こんにちは。映画「キングダム 運命の炎」を見てきました。今もってこの時代背景や歴史観に興味があるわけでは無いのですが、作品の内容自体は非常に面白いので毎回見てしまいますね。さて、この先もまだ続くのかな?


幕末に惹かれて。

子供の頃から歴史が好きなので、話し出すと止まらないのが玉にキズです。特に幕末、黒船来航から戊辰戦争を経て箱館(函館)戦争集結までの約15年間にものすごく惹かれます。その中では新政府軍、旧幕府軍問わず、あくまでも「出来事」にフォーカスを当てて学んだり話したりをしています。

出来事が発生した史跡や地域を巡り、そのたびにGoogleマイマップに記録を残す。旅先ではすぐにマイマップを広げて、どこで何が起こったのかを調べていきます。オットー・フォン・ビスマルクの「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」を胸に、幕末の動乱から学習するという日々なのです。

この言葉。直訳すると以下のようになるそうです。前者だと分かりにくいのですが、ビスマルクの言いたかったことがよく理解できますね。

愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。

Wikipedia「オットー・フォン・ビスマルク」より

対話の先で辿り着いたのは「失敗の本質」だった。

先日、レゴ®シリアスプレイ®の説明後、カクカクシカジカなぜか本の話になり、野中郁次郎先生の話になり、そこから「失敗の本質」の話題になり、ついには幕末について話すことになった、端的に言うとこういう流れでした。その中で大東亜戦争と幕末の間に存在する「関係性」を話し合いました。

この「失敗の本質」は、大東亜戦争のいくつかの戦局における「リーダーの選択」をひとつひとつ丁寧に解説されている良書です。生々しい実情が見えてきたりもするので日本人としては唇を噛んでしまうけど、現代リーダーシップに関わる部分も多々ありますし、読んでみて損は無いと思います。

レゴブロックが「普段の自分からの脱却」と「学習体験」を導く。

このnoteは歴史観を書く場では無いのでこれ以上の詳細は他に譲りたいのですが、少なくとも「幕末」は今のこの時代にまで影響を及ぼしていると考えても良いなと感じます。そう思えば、あの「失敗の本質」も自分たちの成功体験に固執してしまった「アンラーンの失敗」なのかも知れませんよね。

「学習棄却」という観点で見たとき、レゴ®シリアスプレイ®メソッドは非常に大きな意味合いを持つ気がします。自身を俯瞰して意識する際、どうしても鏡に映る自分を投影しがちですが、レゴブロックで描かれていくのはまさに「普段の自分からの脱却」であり、疑問から始まる「学習体験」です。

形状や手触りや取り付ける位置が「違う自分」へのアプローチとなる。

「自分の変化へのチャンス」はそこにあるのだ。

過去から学べるものは星の数ほどありますし、実際に成功体験は決して無駄では無いと思います。だからこそ「それでいいのだろうか?」を常に持ち続けていかねばならないなと我が身に例えて実に思います。これまでの成功体験と失敗体験をコントロールできる、強靭な肉体と精神を身につけたい。

泥臭くて、鈍臭くて。それでも前に進み続ける。これが日本人の美徳だと歴史から多くを学んできました。書いていたらちょっと泣きそうな気持ちになりますね。過去の栄光にすがらず、その成功体験を否定されたとしても固執せず、「自分の変化のチャンス」として受け止めていこうかなと思います。

最後に。

幕末の歴史を語り合う仲間がちょっとずつ増えていて嬉しい。なんだかコミュニティを作りたい気分です。何か始めようかなと思ったりします。幕末について、このnoteでも色々と続けていきたいですね。久しぶりに函館に行きたい。最後まで戦い続けた「理由」を知る旅。今すぐ出たいなと思ったり。

幕末最期の地。ここからまた歴史を遡っていきたい。

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