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【百年ニュース】1921(大正10)8月5日(金) 旧幕臣,伝習隊隊士の細谷安太郎が死去,享年70。旗本細谷喜三郎長男。1865(慶応元)横浜仏語伝習所,卒業後フランス式幕府陸軍入隊。1868(慶応4)戊辰戦争で強硬派,のち榎本武揚と共に函館戦争を戦い敗れた。維新後は横須賀造船所技官,のち貿易商社高田商会勤務。

旧幕臣で伝習隊隊士だった細谷安太郎が死去しました。享年は70歳でした。

細谷安太郎は江戸幕府の旗本でありました細谷喜三郎の長男として、1851年(嘉永4年)に江戸で誕生しました。1865(慶応元)、保太郎が14歳のときに、横浜フランス語伝習所に入りました。幕末の江戸幕府はフランス軍軍事顧問団の指導によりまして幕府陸軍の強化を目指しておりました。それに先立ちまして、まずフランス語を理解できる士官候補生を養成しよう、という目的で設置されたのがこのフランス語伝習所になります。当時の横浜にありました弁天池の北隣、現在の住所で言うと横浜市中区本町(ほんちょう)6丁目に設置されまして、細谷安太郎はその第2期生ということになります。

フランス語伝習所を卒業しますとフランス式の幕府陸軍「伝習隊」に砲兵中尉として入隊することになります。1868(慶応4)の戊辰戦争においては細谷安太郎は強硬派・抗戦派でありました。榎本武揚に従いまして函館戦争、いわゆる五稜郭の戦いにも従軍しますが、1869年明治新政府軍に敗れる、ということになりました。

維新後は久留米藩に預けられておりましたが、翌1870(明治3)年には釈放され、1872(明治5)にはフランス語力を買われて、横須賀造船所の技官となりました。続いて貿易商社、特に武器取引で有名でした高田商会に入社し、フランス駐在、パリ支店長なども歴任することなりました。晩年は鎌倉の洋館に住んでおりましたが、病気のため亡くなりました。

幕末のフランス軍事顧問団と一緒に撮った写真がありますので貼り付けておきます。やや微笑んでいる細谷安太郎の隣に映っている人物、横を向いている人物が、映画『ラストサムライ』のモデルになりましたジュール・ブリュネ(Jules Brunet)です。映画の中ではトム・クルーズがジュール・ブリュネをモデルにしました主人公のネイサン・オールグレン大尉を演じています。

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ジュール・ブリュネ

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榎本武揚

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