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【感想】劇場映画『ゴジラ-1.0』

3連休明けの月曜日にもう一度見てきて感想がまとまってきた。

本作に求められていた命題

  1. 歴代ゴジラ作品とは違うことをやってください(焼き直しならわざわざ新作やる意味が無いから)

  2. 監督の作家性を出してください(個性を消すならわざわざ山崎貴が撮る意味が無いから)

  3. 面白い映画を作ってください(大前提)

あまりにも絶望的な負け戦であるw

2016年の『シン・ゴジラ』以降に作られてきたゴジラ新作はいずれも作家の強烈な個性がむき出しだった。

言わずもがな庵野秀明

虚淵玄の抽象的・観念的な脚本

ハリウッド大作らしい迫力満点の怪獣バトル

円城塔のSF(決定論と自由意志)

これらを前に山崎貴は何を提示したのか?
(ついつい『シン・ゴジラ』と比較したくなってしまうが、アニメ版やハリウッド版とも比べながらの方がより楽しいと思う)

二次創作的な作家性

山崎貴を語る上で以前からよく言われてきたのが二次創作的な作家性を持つ人だということである。
根っこの部分は生粋の映画ファンで「あれを自分なりに撮ってみたい!」的な。
そういう意味では庵野秀明と近いのかもしれない。

自分が初めて観た山崎貴監督の映画は中3の夏に公開された『Returner リターナー』

まだ特段映画が好きでもなければ映画に詳しくもなかった当時の自分でも「マトリックスじゃん!」となるシーンがあったw

そんな調子で「あんな感じのをやりたい!」が前面に出る内に(ただし、これ自体は引用の重要性が増す今の時代においては決して悪いことではない)本当にドラえもんの映画を作っちゃうみたいな事態へ。

本作でもそんな“二次創作”は炸裂している。

  • 冒頭いきなりのジュラシック・パーク感

  • 徐々にカメラが引いて浮かんできた深海魚の数が膨大だという情報を見せる演出のスピルバーグ感

  • 海上チェイスのジョーズ感

  • ピンチに仲間の船が助けにくるシーンのスター・ウォーズ感(特に『スカイウォーカーの夜明け』)

  • 金子修介監督のGMKオマージュな白目ゴジラ

  • 全員が敬礼するシーンのガメラ2のエンディング感

  • 特撮怪獣映画ではお馴染みの「やったか!?」の連呼w

戦争の象徴・メタファーとしてのゴジラというのも含めて、本作に最も近いゴジラ映画は『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』ではないかと個人的には思っている。

他にもゴジラを倒すために立花泰三(宇崎竜童)と敷島浩一(神木隆之介)がとる行動やラストカットの類似性etc.

伊福部昭のテーマ曲をエンドロール含めて3回も流すのも素晴らしいw
海神作戦の開始と共にあの曲が流れたところで泣きましたねw

VFX

そんな二次創作的な作風を貫きながらも、同時に山崎貴は技術の進歩という先人には使えなかったカードをしっかり使っている。

白組が手がけたVFX映像の迫力は後述するドラマパートに不満を抱く層も天晴れと言わざるを得ないクオリティ。
あれはただただスゴい。

特にゴジラを下から煽るアングルが印象的だが、これは東宝スタジオで撮っていた都合で特撮では難しかった構図である。
(天井の照明が映ってしまうから。平成ガメラは外の自然光で撮るオープン特撮で平成ゴジラとの差別化を図っていた)

人間目線アングルは西武園ゆうえんちのゴジラ・ザ・ライドの逆輸入でもある。

人間ドラマ

ゴジラが出てくる部分はともかく人間ドラマ部分に不満を抱く人はいるかもしれない。
というかネットのレビューを見る感じ確実にいるようである。
個人的には分からないでもないが、脚本の論点と演技・演出の論点は分けるべきかなと思ったりはする。

そもそもの話になるが、ゴジラというシリーズは今作に限らずゴジラという強力すぎるシチュエーションがあるためドラマを作るのが困難である。
普通は何かシチュエーション(例えば失恋した、大切な誰かが亡くなった、仕事でピンチに陥ったetc.)があり、それを通して劇中の登場人物が成長するドラマが描かれる。
しかし、ゴジラの出現というシチュエーションは個人の成長レベルの話とは比較にならない規模のためなかなか作劇が難しい。
そこをコペルニクス的転回で「じゃあドラマを描かずにシチュエーションだけを徹底的に積み重ねよう」で成功したのが『シン・ゴジラ』
しかしその路線は単なる焼き直しになるだけなのでナシ。

ちなみに個人的には神格化されている初代ゴジラも「人間ドラマパートがめちゃくちゃ優れている」というわけでもないと思っている。

もちろん名作なのは疑いようがないわけですが。

ではいっそ復讐劇にしてゴジラを倒すことで主人公のドラマが完結するというストーリーにしてはどうか?という話もある。
これに近いことをやったのが2000年公開の『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』

主人公は過去にゴジラ迎撃作戦の中で上官を亡くしており、打倒ゴジラに心血を注いでいるという設定。
これはこれでドラマは成立するのだが、復讐劇が一般的に抱える問題点として「復讐がゴール=生きる目的になってしまう」というのがある。
本作は「生きて、抗え。」をキャッチコピーとしており、劇中でも少々くどいほどに「死んではいけない」「生き続けなければいけない」というメッセージが訴えられる。
よって作品テーマと復讐劇の相性が絶望的に悪い。
また、大切な誰かがゴジラに殺されているためにはゴジラが既に出現した世界である必要があり、その意味でリブート企画との相性も微妙である。
そういった制約の中では(それこそ劇中の野田の言葉を借りれば)最適解に近い脚本だったと思う。

一方で俳優の演技・演出、特に絶叫演技と揶揄されがちな部分はどうしても好みが分かれるか。
個人的には前述の通りシチュエーションが非常に強いタイプの作品なのでドラマパートのテンションがあれぐらいでも気にならなかった。
強いて言うなら安藤サクラは『シン・ゴジラ』の石原さとみ的に1人だけ芝居のトーンが違って結果的に損な役回りになっている気がしないでもない。
(念のため書きますが、本件に関しては石原さとみも安藤サクラも一切悪くありません)

男性性を描いた映画

感想ツイート(Xになったから感想ポストか)にも書いた通り、自分は本作の序盤から佐藤信介監督・野木亜紀子脚本の映画『アイアムアヒーロー』を思い浮かべていた。

奇しくも2016年、シン・ゴジラ公開の3ヶ月前に世に放たれた1本。
自分は今でも『キングダム』を差し置いて佐藤信介の最高傑作はこれだと思っている。

両作品を結び付けるのは「銃が撃てない男性」というモチーフ。
すなわち、男性性を失った男性。
現代にも通じる日本的な設定・テーマ。
(もちろんここでの「男性性」はオス性や暴力性と表裏一体のため近年ではトキシック・マスキュリニティ=有害な男らしさの文脈で語られることも多く、必ずしも絶対的な善ではない)
よって一部で話題の(?)浜辺美波と一緒に暮らしていて寝室が別なのか問題もまぁ作品テーマ的にそりゃそうだよねと思う。

そんな状態の主人公が戦いを通して自己の尊厳を取り戻す。
一歩間違えば有害な男らしさを肯定的に見せてしまいそうなところ、ゴジラという強大なシチュエーションに対する作戦実行シークエンスとして見せることでギリギリ回避できていたのも良かった。

ところで佐藤信介といえば『キングダム2』は「生きろ」がキャッチコピーだったよなーと思っていたらそれはミスチルの主題歌だったという記憶違いw

ただ、今の邦画界を代表するVFXの使い手である2人の監督が「生きる」というテーマで共鳴しているのは興味深い。
佐藤信介はそのメッセージを山崎賢人の走るアクションで表現したが、山崎貴はゴジラとの戦いを通して表現した。

そして早くもゴジラ次回作の監督候補に佐藤信介を挙げる声もあるようだが、発表済みの仕事だけでも

  • キングダム4

  • ハリウッド実写版ヒロアカ

  • 『今際の国のアリス』シーズン3

当分は無理そうだなw

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