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【感想】テレビアニメ『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』

これぞSF、これぞ円城塔。

突然だが、僕はゴジラが好きだ。
いや、ゴジラに限らず怪獣映画が好きだ。
『シン・ゴジラ』もTOHOシネマズ新宿の最速上映で見た。

上記ツイート内でも名前を出したが、怪獣映画の金字塔として知られる『ガメラ2 レギオン襲来』という傑作がある。

本作を貫く面白さは2つ
1. 自衛隊の描写をはじめとするポリティカルフィクション要素
2. SF要素(第17回日本SF大賞を受賞している)
『シン・ゴジラ』は前者の要素を広げて徹底的にやり切った。

それに対して『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』は後者のSF要素を極限まで広げている。
脚本はSF作家の円城塔。

Wikipedia出典で恐縮だが、

SFや前衛文学などの意匠が混在する作風である。独特の論理展開、奇妙な理論を真面目に突き詰める文章が特徴のひとつである。

まさにこの作風が本作でも炸裂している。
何せゴジラを題材に「自由意志と決定論」の話をやっているのだ。
度肝を抜かれたというかイカれているレベルである(褒めてます)
この「自由意志と決定論」は近年の国内外のフィクション作品のトレンドであり、直近だとDisney+の『ロキ』がやっている。
格差や分断など不安感や無力感が蔓延する先行き不透明な現代社会をフィクションに描き出す上での必然ということなのかもしれない。

Spotifyの『POP LIFE: The Podcast』のこの回も参考資料として。

そもそも(特に平成ガメラ以降の)怪獣映画ではまず「怪獣を何のメタファーとするか?」が問題となる。
初代ゴジラは原爆、平成ガメラは戦争、シン・ゴジラは災害。
では本作のゴジラは?
ここに決定論の考え方における「避けられない未来」という超絶抽象的な対象を当てはめる離れ技。
(素人考えでは今の日本における最もリアルな恐怖といえば新型コロナですが、目に見えないウイルスと巨大怪獣ゴジラの親和性が低いし、そもそも結局日本政府の話になってシン・ゴジラを被るのでダメですね)

破局という確定した未来(=ゴジラ)をどうやって回避するのか?
過去が未来に影響するのか、未来が過去に影響するのか?
「存在しない」とは何なのか?
こういった哲学的とも数学的とも物理学的ともいえるモチーフが全13話の間ずっと畳み掛けるように次々と繰り出されるのだから面白くないわけがない。

本作がゴジラファンの間で賛否が分かれるとしたらゴジラの出番が非常に少ない点だろうか。
個人的にはこの戦略は正解だと考えている。
怪獣映画の醍醐味の1つは「自分たちが暮らす街に怪獣が現れて破壊の限りを尽くす」ということであり、アニメ内の架空の街を壊してもカタルシスはそこまで生まれないから。
新海誠作品ばりに背景美術に力を注いで街を再現していれば話は別だが、本作のアニメのレベルはそこには到達していない(到達していないというか路線が違うという表現が適切か。別に優劣の話ではないので)
元も子もないことを言えばゴジラというか怪獣映画がアニメ化に向いてないってことになるw
ちなみに数少ないゴジラ登場シーンでは自衛隊や報道の描写に『シン・ゴジラ』の影響が如実に見られる。
庵野秀明は罪深いなぁと思わずにはいられないw

不満点はツイートにも書いたけどアニメとしての弱さ。
まぁこれは脚本の情報量が膨大なことの裏返しでもあるので責めるのは若干フェアじゃない気もするが…
申し訳ないがアニメ的な快楽を感じる躍動感溢れるシーンはほとんど無い。
強いて挙げるならジェットジャガーの戦闘シーンぐらい?
ただ、じゃあ実写でやれば良かったのか?と問われると、この脚本の台詞を実際の人が喋ると恐らく浮世離れしすぎていて作品のリアリティラインが崩壊するのでそれもまた違うのかなと。
それだけ脚本が突出しているということか。

地上波放送では来週が最終回。
ということはNetflix派は未来を見たということになるのだろうか?
1996年のガメラ2、2016年のシン・ゴジラに続いてまた新たな角度から怪獣作品の大怪作&大傑作が生まれてきてくれたことに感謝しかない。

『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』はNetflixで全話配信中




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