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倫理的社会的問題提起やアートとしての食体験の可能性について。

意味性あるアートとしての料理の可能性


料理を難しい顔をして食べる人は少ない。ダイエット中でもない限り、深い思考と葛藤を感じる事もあまり無いだろう。


料理は楽しい物 美味しいもの 幸福になるもの

お客様に最高の時間を!

誰が決めたスローガンなのだろう。料理とは、食体験とは、必ずしも幸福を得る装置でなくてはならないだろうか?


私は、唯一人間が五感を用いて体感することの出来る、食う。という行為には、圧倒的情報量と刺激を用いて、価値観や倫理を問いて揺さぶることの出来るポテンシャルと、その義務があるように思う。


現代人(お客様)の食文化や消費スタイルはそんなに楽観的に歓迎できる程美しいだろうか。文明的で洗練されていると言えるだろうか。


例えばその牛の一生は幸せなものだっただろうか。野菜に使われた農薬は土壌を汚染していないか、そのチョコレートを、コーヒーを作った労働者は誰か。我々は何も知りはしない。


より安く美味しいものを、至福の時間を、地球に感謝を、知性ある動物を食べるべきでない、

上面の正義感や欲望のみでは語れないものがある。


人は尊い高等生物で、食物連鎖の頂点である。故に全ての物を狩り、飼い、食す権利がある。

その人間至上主義的価値観に疑問を呈す。

食体験にはそういった様々な問題提起が出来るアートとして、大きな可能性があると思う。