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ネフスキー・プロスペクト

Day1/Part2


サンクトペテルブルクとは

帝政ロシア時代の帝都サンクトペテルブルク。芸術と文学の街といわれる。

複雑な歴史を持つがそれはWikipediaにお任せするとして、少しだけ説明を。
サンクトペテルブルクはバルト海東部フィンランド湾最東端に位置する港湾都市。ロシア皇帝ピョートル大帝が建都を命じ、聖ペトロと自らの名前をもとに、ドイツ語読みで「サンクトペテルブルク」と名付けた。
第一次世界大戦時、ドイツとの交戦によりロシア読みの「ペトログラード」へ、そしてロシア革命後はウラジミール・レーニンにちなんで「レーニングラード」と呼ばれることになる。
ソ連崩壊後市民によってサンクトペテルブルクの名を取り戻した。以降はロシア連邦・レーニングラード州の州都。


血の上教会へ

ホテルに到着し、休憩もそこそこに4時ごろホテルを発ってサンクトペテルブルク観光に繰り出した。
長いフライトで足はパンパンだったが、歩いてサンクトペテルブルク中心街まで行くことにした。目標は血の上教会。サンクトペテルブルクは皇帝の宮殿もとい、エルミタージュ美術館などがある中心街に向かって放射状に道が広がっている。ヨーロッパによく見られる構成。

まずエメラルドホテルの近くにあるウーリツァ・ネクラソヴァを西へ、大規模な工事をしていたのでキロチナヤ・ウーリツァに入り血の上教会を目指した。ちなみにウーリツァ(Улица)は通りという意味。プロスペクト(Проспект)もあるがこれは大通りという意味。英語に直すとProspect(見通し)になるけどロシア語だと意味が違ってくる。その通りを抜けると宮殿や聖堂など中心街を囲むリカ・フォンタンカというサンクトペテルブルクでも極めて大きな水路に出る。

パンテレイモノフスキー・モストという橋は緑混じりの黒塗りに金であしらわれた柱で構成されていた。水路は極めて広く日本のいわゆる川ぐらいの広さはある。渡ると夏の庭園、ミハイロフスキー城に挟まれ緑豊かになる。

しばらく歩くと中国語が聞こえてくる。ここで初めて東洋系の言語が聞こえてきた。そして京都でも東京でもよく見る中国人のおばはん軍団!パワーすごすぎてロシアなのにチャイナゾーンが発生。どこにでもいるなあ彼女らは…。軍団を横目に教会の受付へ向かったが、血の上教会はあいにく閉まっていた。というものどこの施設もこの日は閉まっていた。この血の上教会についてはまた次の記事ぐらいに。


宮殿広場

血の上教会は諦めて2018年のワールドカップの装いがまだ残る建物を通り抜けて、なんか行けそうな方向へ向かう。なんか貴族が住んでそうな建物が増えていく。そして建物を支える像。その先にあるそれがエルミタージュだとはまだわかってなかった。

どんどん突き進んでいく。その道はミリオンナヤ・ウーリツァ。進むとだだっ広い広場が見えてくる。アレクサンドルの円柱、エルミタージュ美術館のある宮殿広場に私たちは出た。

写真に収まんねえ…。14-30mm/f4 Sが欲しくなる程。ものすごく広大な広場。日本じゃこの広さの広場はまず見ない。すごく贅沢な土地の使い方。広いんだけど、広すぎて視野に収まらないから建物同士や広場との相関性が分からない…。一個一個はでかいし綺麗なんだけど…。大雑把なのか…?上から見たらわかるのか?軍をここに集める、もしくは市民をここに集める用途ならかなりの収容性を持ってるとは言える。機能性…。

あいにく血の上教会の時と同じくエルミタージュも閉館。時間的に5時半すぎていたのでそのせいもあったのかもしれない。

聖イサアク大聖堂

閉まってるならまた次!って事で聖イサアク大聖堂へ。アレクサンドロフスキー・サドという公園に沿っていく。宮殿広場からもイサアクの先端が見えるのでそれを目標に進む。イサアクの近くにはインド料理店があった。東京ほどとはいわないけど、どこの都市圏もいろんな料理が食べられるようになってきている。特にイタリアン、インド、中華…。

イサアク大聖堂はサンクトペテルブルクでも極めて大型の聖堂。この後もこの聖堂の中は入ってなかったので、これが最後の写真。ロシア正教会というよりカトリックぽい作り。色とかはロシアっぽい。帰ってから知ったんだけど、この聖堂の内部は非常に豪華でステンドグラスしかり、サンクトペテルブルクを見渡せる展望室もある。 見とけばよかったとちょっと後悔した…。

晩ご飯の時間

日本の秋の17時かってぐらい明るいんだけど、この時点で19時半。飛行機から何も食べてないって事でご飯処を探す。ちょっとしたロシアン雑貨屋さんとかを寄りながら、ご飯を食べられるところを探してるうちにネフスキー、プロスペクトに入る。サンクトペテルブルクの中心ともいえる最大の大通りがこのネフスキー・プロスペクト。カザン大聖堂もその通りに存在する。ネフスキー・プロスペクトは1754年に冬宮(現在のエルミタージュ美術館があるあたりの宮殿)の完成を期に建設された。

どんどん夜になる中、ネフスキー・プロスペクトを突っ切っていくと、ゴシツィーヌィ・ドヴォールというサンクトペテルブルク最大の百貨店にたどり着く。

その対岸に渡ってちょっとしたところにIVAN &MARIAというレストランがあった。そこで夕食を取ることにした。おしゃれなレストランで、若者が集まる感じ。ロシア料理のほかちょっと他の国の料理も提供していた。

ビーフのタルタル。牛肉とピクルスで構成されて、ナッツ系の味がするクリームがのっけられていた。これが美味しかった。

豚肉の塩漬け盛り合わせ。白いのは豚の脂身の塩漬けでロシアの食べ物。バゲットに乗っけて食べるのがオススメ。苦手な人は苦手で、ロシア人でも好みが分かれる。自分は大丈夫だったけど、これ食うとわりと次の日のう◯こがすごく臭い。

ボルシチ。言わずもがなボルシチ。ここのお店のはビーンよりちょっとトマトっぽさを感じた。これもうまかった。

バゲット。美人なロシア人店員さんに最初の3つを注文したら「バゲット食わねえの?こいつら」みたいな顔されながら説明を受けて注文した。ロシア人の親切その1だった。ナイフがバターを塗るにはちょっと危なすぎる刃を持っていた。


これで2200ルーブル日本円で3000円ぐらいかな。お腹いっぱい食べてお店でダラダラしてから再度またネフスキー・プロスペクトへ。
このままホテルへ向かうことにする。すっかり空も暗くなったが、ネフスキー・プロスペクトは人だかりで、そして明るい。飴屋さんがあって、そこでお兄さんがオープンで飴を作っていた。日本でいう蕎麦屋さんの蕎麦を打ってるとこみたいな感じで。


夜景を楽しみながらネフスキー・プロスペクトの東端にあるモスコーフスキ駅まで向かい、ホテルのあるスヴォロフスキー・プロスペクトに入る。ここまで来ると人も少なく、車も少なくなってきた。ネフスキー・プロスペクトは新宿東口のような感じなのかも知れない。

ここで夜も10時、疲れもたまり限界まで体力を使ってしまっていた。ホテルに戻ってからはシャワー浴びてベッドに沈むように寝た。寝た時間が何時なのか記憶にも無い。

翌日はついに船に向かう。船に向かう日は忘れられない日になる。
その詳細は次回の記事にて。

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