表現力を殺すな!!<695/1000>
【ラジオ体操996日目】
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こんばんは。
学んでいるスキルの実践としてガッツリ意識して原稿の読み上げをしてみた結果、いつも通りじゃないかと言われて、喜んで良いのか微妙だなと思っているコマリストです。
感情を込めて出来るだけ声に出しながら、次の文章を読み上げて下さい。
今日も最高の一日が始まった。
一日の始まりに、カーテンを開けて朝日を浴びながらベランダの花に笑顔で挨拶するのが私の日課。
「おはよう!今日も最高の一日になりそうだね👍」
こうして一日を始めるようになってから、毎日が少しだけ豊かになった。
笑顔で挨拶をする。
この習慣は、全ての人の一日を少しだけ幸せなものにするものです。
まさか、棒読みで文章を読み上げたという人はいないですよね?笑
感情を込めて文章を読み上げるというのは、あまり経験がないと思います。
私は、小学生の時に宿題で出されていた「読み聞かせ」で、おばあちゃんに聞いてもらいながらものすごく感情を込めて読むのが習慣でした。
国語の教材で扱われるあらゆる物語の登場人物になりきって、声を変えつつ感情を込めて読む。
孫の一生懸命な読み聞かせを真剣に聞くおばあちゃんは、本当に嬉しそうでした。
おばあちゃん子だった私は、そんなおばあちゃんの顔が見たくて毎日気合を入れて読んでいた記憶があります。
これが、私の国語力を鍛えた最大の要因だと今でも思っています。
#理系なのに
#いつも国語が9割超
悲劇が起きたのは、4年生の時の祖父母参観。
その教科は国語で、いつも自宅でやっている読み聞かせを学校でやるという授業でした。
普段、自宅でおばあちゃんに喜んでほしくて、声を変えて感情を込めて読んでいた私。
ところが、学校では同級生の前で感情を込めて読むことが恥ずかしいからという理由で、淡々と読み上げるようにしていました。
では、祖父母参観ではどうやって読んだのか?
こうやって書いているんだから、分かると思いますが、私の選択は自宅と同じように感情を込めて読むこと。
その時の記憶は何十年経過した今でも忘れられません。
いつも通り読み上げる私の姿を、本当に嬉しそうに見てくれているおばあちゃん。
声を変え、感情を込めて読む私の姿に大爆笑して、「なんだアレ!」と騒ぐ同級生たち。
今思うと、こういった集団圧力みたいな教育環境が、個性も強みも奪ってしまう根源なんだろうなと思う。
メッチャ恥ずかしかった!
だけど、恥ずかしい気持ちを押し退けて、やって良かったという記憶。
これが今の私がお客さんから喜んで頂ける価値の源泉とも言える「国語力」の原点。
だからこそ、今いい歳して真剣にスピーチを学んでいる中でも、いつも通り読み上げるだけでコンテストで皆さんに認められるくらいのレベルで伝えることが出来る。
ほぼ全ての人が、日々、感情を乗せることなく言葉を発し、棒読みのようなやり取りをしています。
それなのに、伝える力がもっとあればと考えている。
そりゃ無理でしょ。
伝えるために、言葉を浮き立たせなきゃ!
キラーワードを強調しなきゃ!
話し言葉はトーンを変えて感情乗せなきゃ!
普段やっていないことは、本番では絶対にできない。
意識しても、違和感が出てしまうので、聞き手は何だか気になって入ってこない。
本当にもったいないです。
日常生活の中で、1日5分でもいいから感情を込めて、抑揚をつけて言葉を発する習慣を身に付けたら、180度人生が変わります!
じゃ、またね〜!
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