今年1番の失敗。。
【ラジオ体操303日目】
『ニコチンレス生活24日目』
こんにちは。
間違いなく今年1番のミスと言える失敗をしてしまったことで、noteの更新に対するモチベーションが一時的にほぼゼロになってしまったコマリストです。
今日は『取り返せない失敗。また1から始めよう』というテーマで書いていきたいと思います。
個人的な話ですが、とても残念なことが起こりました。
と言っても、完全に私自身のミスによるもので、誰かを責めるわけではありません。
約1年前の誕生日。
noteを毎日書いてみろと言われたあの日から360日。
毎日投稿し続けて、連続投稿記録の数字を楽しみにしている自分がいました。
そして昨日。
投稿した時間が24:28。
終わった。
下書きした記事を完成させたのは22:00でした。
あとはアップするだけという状態で仕事をし始めた私が悪いんです。
気づいたら、24時を過ぎていました。
今日はモチベーションにしていたものを失った人間は習慣を継続できるのかというお話です。
noteの連続投稿にチャレンジしたことがある方は、明日は我が身だと思って注意して下さいねw
失敗の言い訳
さて、昨夜の失敗から一夜明けて、本日から1日目という投稿となるわけですが、さっそく言い訳じみた内容を書いて、自分を慰めようと思います。
もともとnoteの投稿を始めたきっかけは、2020年の誕生日でした。
容量が少ないのに、頭の中が常に情報で溢れていて会話をすればマシンガントークになってしまう私に対して、メンターであるコマさんから放たれた一言。
『誕生日の記念に、noteを毎日書いてみたら?』
軽いノリでニヤニヤしながら放たれたこの言葉を、私は一生忘れないと思います。
”この人は、私が継続できないと思っているに違いない”
そう考えた私は、負けず嫌いの本領を発揮して、毎日投稿することに挑戦し始めました。
開始した当時は、noteの連続投稿カウントのルールを理解できておらず、深夜24時を跨いだ投稿が何度かあったことで、毎日投稿しているけれどシステム的にはカウントが0に戻るというのを繰り返していました。
そのことに気づいたのが開始してから15日ほど経過した頃。
そこから先は、ルールに縛られながら毎日投稿して、連続記録を積み上げていました。
一昨日時点での連続投稿数は345日。記事数が360本。
別に、noteの連続投稿を目的にしていたわけではないから良いんです。
自分自身が振り返りをする目的で書き始めたものだから、カウントがリセットされてもいいんです。
そうやって、自分で自分を慰めてはいるものの、やはり毎日表示されていた数字がリセットされるのは寂しいし、モチベーションは下がるもんですよね。
とりあえず、note開始から丸1年となる11月27日までは、時間を気にせず投稿して、連続記録初日を11月27日(誕生日)に合わせた上で、2年目は毎日投稿していけるようにしようと思います。
失敗からの気づき
とはいえ、負けず嫌いの私です。転んでもタダでは起きません。
今回の失敗からどんな気付きを得ることができたのかということについても整理して、2022年のコマリストとしての活動に繋げていこうと思います。
まず、今回の投稿時間のミスによる連続記録のリセットという事実について、これには良いとか悪いとかの意味はありません。
あくまで、”今の私”が「失敗」という悪い意味を与えているにすぎないということをちゃんと理解しておかないといけないと思っています。
#アドラー心理学
#目的思考
ここからは昨日の失敗というよりも、これまでの361記事の執筆活動を振り返ってみて、昨日のリセットでトドメを刺されたことで気づきを得た内容です。
それは、
習慣化しているものであっても、何かしらの行動をする上では、意味づけした目的を必要としている。というもの。
よく、習慣化した後は、空気を吸うように〇〇ができる。なんて表現を使ったりしますが、あれは嘘ですね(笑)
少なくとも私は、note執筆開始当初、読んで頂ける方からのスキの数やフォロワーさんの数を気にしながら投稿を行っていました。
そして、ある時気づいたのは、自分が振り返る目的で書いているのに、読む人に忖度した内容では、その目的が達成できないということ。
そこからは、読み手に配慮するのではなく、私が本当に書きたいことだけに特化するように変えていきました。
そして、そんな投稿を続けること345日。
昨日の失敗を経て、自分自身が「連続投稿記録」という数字に意味を見出し、note執筆のモチベーションとしていたことに気づかされました。
連続投稿なんて、自分自身が記事数を見ていれば分かる話で、noteのシステム上のカウントには意味がない。
頭ではそんなことを考えているのにもかかわらず、リセットされた数字を見て結構なショックを受けている私がいました。
これ、面白いですよね。
スキの数やフォロワーの数を追いかける自分から、解放されたと思っていたら、自分の投稿数という数字に縛られていた。
結局、何かしらの目に見える数字に意味を付けて、それを目的化している自分がいるということ。
もちろん、これが悪いことというわけではありませんが、本来の目的に立ち返るためにはいい失敗だったんじゃないかと思います。
逆に、新たな習慣を身に付けようと思った時、成果を何らかの形で計測可能なものとして、KPIとして視認し続けることは習慣化の手助けをしてくれることになる。
来年こそは、新しい習慣を身に付けるんだという鼻息の荒い人は、私の失敗から学んで参考にしてみて下さい。
じゃ、またね!
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