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物語に殺される

「水が上から下に落ちるだろう?」 「うん」 「上から下に落ちるために水が存在すると思う?」  これはとあるインターネットの知人との会話で、今でも熾烈な印象を僕に植え付けた。これが水という名詞を用いられているから、そんなことは当然であろうと考える人は多いと思う。しかし、これを人に置き換えると途端に我々は「物語る存在」に成るのだ。  例えば慣用句的なもので挙げるとしたら 『趣味とかないの?楽しくないのになんで生きてるの?』  この発言に我々が違和感を覚えないことこそが危機の本質

    • あるということ

       あることが在る・有る・あるということは平易に使われる言語であり、我々は自明にものが在ることして考える。本当にそうなのだろうか?例えば有名な例え話で全て悪魔によって見せられた夢だと仮定すると、この世界には「在る」と言えることは1つもないのではないか、と。  ここで夢だとしてもそれは「在る」ということになるとこれは大変で、我々は夢と現実の区別がつかなくなる。では本当に何も無いのだろうか。しかし偉い人は、わたしたちが何かが「在る」のではないかと考える私は少なくとも「在る」のではな

      • GARAKUTA

         正気,捉えるのは一閃のみだと知るだろう.はるか風のない昔そこには光だけがあった  情緒は遅すぎてほんの垣間見る節すらもない,鉄の女王が血を散らす,死んだ気が音を掻き鳴らす.  雑踏なのにあまりに静かなのは溢れ出る闇が月に架かるから.砂を噛んでも噛んでも明日に向かわないし私は自明に小便を垂らすのだ.  地均しするのか均されているのか.これは知を愛する希、情緒が垣間見る然.  そうなのだ然はもっぱら然だった.あぁ,飛び散るよ.僕だったあなたが飛び散るよ.僕だった何かが飛び散るよ

        • 対人ゲームの上達を妨げる「考えろ」という思考停止について

          ぶっちゃけ考えることにそれほど意味はないです 理由はシンプル。対人ゲームというのは自由度が低い状態がほとんどで、自分が選んでるよう風ですが狭い範囲から選ばされています。じゃんけんでグーとチョキとパー選ぶのに統計学だの持ち出すのと同じくらい滑稽です。とっとと出したほうが基本良いです。  具体的に選択肢の話をするのにわかりやすいトレカで例え話をします。シャドウバースは自動でマナが溜まります。デュエマはマナを溜めるor溜めないという選択があります、そのため選択肢が一つ多いので考える

        物語に殺される

          現状、fpsへの無理解な理解度を言

          Positioning自分のPosition(立ち位置)を選択する行程。自分がやってきたゲームは以下の動きがどれも強いのでこれを大原則にする 1.基本縦に進んでいく 2. 同じポジションに居座らない Positionの強弱は外人ニキの考えた四つの軸で評価する Positionの四軸 Threatment(脅威性) 相手にチーム与えられる影響が大きいかどうか。わかりやすいのが交戦距離やクロス。R-99で遠い敵を撃ってもシールドに少しのダメージを与えることしかできないので、

          現状、fpsへの無理解な理解度を言

          僕は「無価値」であると叫びたい

           あまりにも社会というのは優しく作られている。優しさの中で緩やかに窒息していく。僕たちは義務教育を受け、納税しながら最低限文化的な生活を送ることができる。義務教育では行動に5段階の評定が下され、自分の人生の価値は通帳の預金残高に反映される。  SNSでは現実の悲惨さなどを財源にいいねやフォロワーという資本を稼ぐゲットーだ。ゲームはレート、自撮りはいいねとRT。どれも金暴力SEXじゃねぇかよ、くだらねぇ。こういうこと言うと「あなたには価値がある」「可能性がある」って耳元でうるさ

          僕は「無価値」であると叫びたい

          Self-Overload Engine

          ※1文中でまだ説明されていない概念に鉤括弧をつけています ※2説明された後は外します  1.「私」は「内包」と「外延」によって構成されます。「私」というのは世界内における「事象」の集合の共通の主体ないしは共通の主語です。「事象」は世界内の形容しうるすべての要素です。内包は私の構成要素の外延以外の要素なので形式的真理となります。私の試みはこの形式的真理をア・プリオリな認識にすることです。そのため、この形式的な真理は本文中では自明な定義とします。  2.「内包」は私に「包

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