対人ゲームの上達を妨げる「考えろ」という思考停止について

ぶっちゃけ考えることにそれほど意味はないです

 理由はシンプル。対人ゲームというのは自由度が低い状態がほとんどで、自分が選んでるよう風ですが狭い範囲から選ばされています。じゃんけんでグーとチョキとパー選ぶのに統計学だの持ち出すのと同じくらい滑稽です。とっとと出したほうが基本良いです。
 具体的に選択肢の話をするのにわかりやすいトレカで例え話をします。シャドウバースは自動でマナが溜まります。デュエマはマナを溜めるor溜めないという選択があります、そのため選択肢が一つ多いので考えることが増えます。どちらの選択肢がより良い利益をもたらすかという比較において優れた選択肢をとる権利がユーザーにはあります。
 ですが、これもぱっと見です。だいたいマナに溜めるし、溜めるカードも決まっています。麻雀も14択のように見えますがほとんど字牌を切ります。カンという選択肢がありますが、やってもやらなくても誤差レベルでしか期待値が変わらないことがわかっています。
 

じゃあなにがゲームを支配してるのか

 アクション性の高いものなら正直ほとんど操作精度と動体視力です。例えば相手を射撃するという選択肢をとった場合で、トレカなら常に一定の効果が発動します。しかし、アクションゲームは操作精度が悪いと選択そのものが機能しなくなります。これが上手い人が安定して勝つ理由になります。操作精度が高いとグーでパーを貫けます。
 ほかにハメ手などが安定して勝つ方法です。ハメ手は特定の状況で、抜け方を知らない相手から莫大なリターンをとります。スマブラのゴリラの投げとかが有名ですかね。

ぱっと見なんか違うように見えて無意味な思考たち

 自由度が低ければ低いほどe-sportsっぽくなりますよね。技術介入度が高いと言えるので。valorantとか歩いて止まって撃つのでマジで選択肢少なくて競技性高いですbig up

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