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※1文中でまだ説明されていない概念に鉤括弧をつけています

 ※2説明された後は外します

 1.「私」は「内包」と「外延」によって構成されます。「私」というのは世界内における「事象」の集合の共通の主体ないしは共通の主語です。「事象」は世界内の形容しうるすべての要素です。内包は私の構成要素の外延以外の要素なので形式的真理となります。私の試みはこの形式的真理をア・プリオリな認識にすることです。そのため、この形式的な真理は本文中では自明な定義とします。

 2.「内包」は私に「包含」されます。「包含」とは、ある概念がより大きな構成要素で成立していることです。「内包」とは、私の外延から強制されない権利をもつ「内観」の基準です。「内観」は私が主体の事象を内包から「評価」する行為です。評価は事象を比較し優位性を決定します。

 3.「外延」は私を包含します。私を包含する概念を「世界」と定義します。外延は事象を一部制限する権利を有します。また、「外観」の基準です。「外観」は事象を「一般化」し、評価します。「一般化」とはある事象の主体の固有性を排し、事象の評価の妥当性と普遍性を成立させます。外観は複数存在し、外観の優位性は互いに複数の外観が評価します。

 4.外延も内包も私を構成しています。優位性の評価を下しません。内包と外包は独立ですが、外観は内観より普遍性が高いです。外包は内包を侵食し、内観と外観は漸近していきます。この事象を「成熟」と定義します。成熟における外包の優位性に対する内包の反発は、私を傷つけます。また、過度な成熟は内包の破棄に繋がり、行為する物体に漸近します。しかし、成熟より内包を優先すると普遍性の欠如により異常になります。

 5.そのため、私は私が主体の事象を評価する内観と外観を区別する内包を再定義することを試みます。

 

 
 


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