僕は「無価値」であると叫びたい

 あまりにも社会というのは優しく作られている。優しさの中で緩やかに窒息していく。僕たちは義務教育を受け、納税しながら最低限文化的な生活を送ることができる。義務教育では行動に5段階の評定が下され、自分の人生の価値は通帳の預金残高に反映される。
 SNSでは現実の悲惨さなどを財源にいいねやフォロワーという資本を稼ぐゲットーだ。ゲームはレート、自撮りはいいねとRT。どれも金暴力SEXじゃねぇかよ、くだらねぇ。こういうこと言うと「あなたには価値がある」「可能性がある」って耳元でうるさい、元々いらないんだわそんなもん。ぶっちゃけネット小説読んでシコって音楽聞いてダラダラ死ねたら幸せなんだよ。
 自分の身体も精神も自分の物かわからなくなっていく。人が自傷を繰り返していくのは痛みでしか自分を確認できないからだ。自殺をするのは、自分の命の行方をせめて決定したいからだ。仕事は預金残高、ゲームはレート、趣味はファッション、発言はいいね、食ってるもんはインスタにでもあげるかな。
 すべてを優しく奪い去っていく社会に、僕の身体の自傷を繰り返す最後の「虐殺器官」はずっと僕の無価値さを叫んでいる。fuckだってよ!!


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