あるということ

 あることが在る・有る・あるということは平易に使われる言語であり、我々は自明にものが在ることして考える。本当にそうなのだろうか?例えば有名な例え話で全て悪魔によって見せられた夢だと仮定すると、この世界には「在る」と言えることは1つもないのではないか、と。
 ここで夢だとしてもそれは「在る」ということになるとこれは大変で、我々は夢と現実の区別がつかなくなる。では本当に何も無いのだろうか。しかし偉い人は、わたしたちが何かが「在る」のではないかと考える私は少なくとも「在る」のではないか、そうではないとそもそもそれが「在る」のか無いのか思考することは出来ないではないか。
 もし、「在る」ことを考えている私が「在る」のだとしたら、その考えている対象は少なくとも「在る」ことのレイヤーが少し下がることになる。つまり、絶対的に「在る」ではなくそれは「在ると考えることができる」というふうに言い換えることができる。
 ここで問題になるのは「あなた」がもし「在ると考えることができる」ことを考えている場合である。「あなた」からみた「私」は「在ると考えることができる」ものと定義上なるわけだが、「私」からみた「あなた」もまたそうなるわけであり、これでは「私」は「在る」でありかつ「在ると考えることができる」ものになってしまうではないか!振り出しなのだ。
 しかし、私達は「私」が「在ると考えることができる」ものだと考えることが出来るのだろうか。もしそうなのであれば、私は「在ると考えることができる」ものとして完全に定義できる、この世界に「在る」ものは無い。そのため「あなた」は常に「在る」ことを考えていることを想像することができる、「在ると考えることができる」事物となり、これは「在ると考えることができる」ものよりレイヤーが高くなる。
 私は、在ると考えることができる事を「物」と言いかえる。在ると考えるこどできるあなたを「他者」と言いかえる。在ることを考えている私を「世界」と言いかえる、以上。
 

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