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序 いのち短し、明日の月日のないものを

いのち短かし恋せよおとめ  
朱き唇あせぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の月日のないものを

ゴンドラの唄
吉井勇 作詞
中山晋平 作曲
大正4年(1915)


 本マガジンでは、経済学者の安富歩氏の著作の書評を連載する。
 私が主催している「代読ダイアローグ」で、長崎大学の技術員の野口大介さんと安富氏の著作を土台に対談を行ない、そのさいに私が野口さんに送った書評文をもとに、野口さんのコメントを掲載していく。
 一部、安富氏本人の著作ではない書籍の書評も掲載しているが、安富氏が書評を書いたり、解説を記載しているので、安富氏の思想を理解する上での参考になると思うので記載している。


 私は安富歩と云う人間の訴えている思想を理解する上で参考になると思うのが、日本を代表する映画監督・黒澤明(1910-98)の代表作「生きる」(1952)だと考えている。同作は、人間の「生きる意味」を強く訴えているからだ。

 主人公の公務員の渡辺勘治は、市役所の課長を勤めている。かつては自分の仕事に情熱を持っていたが、今や無遅刻無欠席が取り柄で、ひたすら書類にハンコを押すだけの毎日で、とにかく問題を起こさないように何もしないで日々を過ごしている。
 そんな彼はあるとき、胃がんだと申告される。映画の舞台である50年代の日本では、胃がんは不治の病とみなされていたようで、死刑宣告を告げられたようなものだと感じる。渡辺には一人息子・光男がいる。妻とは若いころに死別しており、男で一人で息子を育ててきた。役所での退屈な仕事は息子のためだと云い聞かせてきた。
 しかし、渡辺は自分自身の死が目前に迫っていることを知り、貯金を切り崩し、街を放浪することになる。今までの自分人生は一体何だったのか。何か意味のあることを自分はしてきたのだろうか。贅沢をしないで、役所での地位を守るだけの生活をしていた彼は、今までろくに酒も飲んだことがなかったのだ。売れない遊び人のような作家にひっかかり、パチンコやストリップ、キャバレーなどに行ってみる。しかし、胃がんの症状が出て虚しさが顔を出す。
 そんな渡辺が劇中で歌うのが「ゴンドラの唄」である。彼が大正時代に青春時代を送ったことを示唆させる場面であるが、歌詞の内容と主人公の渡辺が噛み合っていない。実際、渡辺がキャバレーで歌うと、そのあまりのギャップの差に周囲でダンスを踊っていた若者たちが一斉に引き出す。渡辺を演じている志村喬の声はこの世のものとは思えず、表情は死神にとりつかれたかのような絶望的なものだった。
 とうとう作家からも見捨てられ、仕方なく自宅に戻るも、家にも居場所がないことを思い知らされる。胃がんだと息子に云えず、役所の仕事が退屈だと云って、早期退職した元同僚の女性と交際して孤独を紛らわせようとするも、渡辺の苦悩は止まらない。とうとう女性からも煙たがられるが、ふと市民から公園建設の要望があったことを思い出す。
 意を決した渡辺は役所に戻り、今まで滞っていた仕事に着手しようとする…。



 劇中の終盤で、再び、渡辺は「ゴンドラの唄」を口ずさむ。しかし、そのときの表情は死神にとりつかれたような絶望ではなく、「生きる意味」を自らの手で獲得した安堵の表情である。

 私は平成生まれの20代前半で、黒澤映画を同時代的にみたことはない。せいぜい教科書に載っている偉人のような感覚しかなかった。だが、実際の映画をみるとそのメッセージ性の強さに心を打たれた。「生きる」が公開されたのは、もはや70年以上前の高度成長期以前であるが、それでも映画が訴えていた「生きる」と云うことの意味を当時よりも真剣に考えなくてはならない局面に差し掛かっているのはわかる。

 しかし、同作が公開された時代よりも現代人は「生きる」と云うことに向き合えているだろうか。渡辺が生きていた時代の娯楽は、パチンコやストリップ、キャバレーと云った対人式で自分から赴かなければならなかったが、今はSNSやインターネットがある。一日中、SNSを眺めていたり、動画をみて時間が過ぎていくことはざらにある。
 あるいは、映画の舞台である1950年代と比べて仕事の種類は増えたし、多様性はある。だがその分、どれだけの人が仕事に充実感を持っているだろうか。コロナ禍以前から正規雇用と非正規雇用の待遇の差は問題になっていた。偏差値による受験競争は相変わらず続き、人生は10代半ばの中学生ぐらいで決まると云われている。だが、平均寿命は伸びており、人生百年時代と云われ、少子高齢化が進み、先がみえない状況が続き、将来への不安だけが膨らんでいく。

 私は大学教育まで受けたが、ついぞ「生きる意味」や「意味のあること」に出会えなかった。今だから思えるが、そんなことを考えたら、学校側も学生も恐ろしくて何もできなかったのではないだろうか。私が大学3年生の秋ごろに、同じ学科に所属し、同じ講義を受けていた同級生が市内の交番で警官を殺害する事件を起こした。その同級生はその場で射殺されたが、事件の動揺は大学内でも広がった。しかし、しばらくすると、私の周囲の同年代の同級生たちは何事もなかったように就活に進んでいった。事件はあったが、就活には問題はないと云うことになった。重要なのは、そう云う流れは誰からも強制されたわけではなく、あくまで自発的にそうなったことだ。
 だが、多くの学生は就活に不満を覚え、企業への愚痴を漏らしていたが、一方では、就活生として一生懸命、就活に励んでいた。

 映画「生きる」で批判されていたのは、渡辺が勤めていた役所の官僚主義や事なかれ主義とされている。形式を重んじ、問題を起こさなければ、役所での地位は守られる。仕事は忙しいが、何かをしているかと云うと何もしていない。渡辺のように書類にハンコを押し、各部門ごとに仕事が細分化され、市民からの問い合わせはたらい回しになる。だから、意味のある仕事は何もできない。
 もし、安富氏の言葉で云うならば、「立場主義」ではないだろうか。安冨氏は、日本社会は人間ではなく、「立場」によって構成されている、と指摘している。具体的には、学校なら「学生」と「教師」と云う「立場」で行動し、家庭なら「主婦」や「父親」、「息子」「娘」と云う「立場」になり、職場なら「課長」や「部長」、「係長」などの役職に基づいた「立場」で動き、政治なら「リベラル」や「保守」、「右翼」、「左翼」と云った「立場」から発言する。日本社会では、無限大に「立場」が発生していき、「立場の生態系」をなしている、と云える。
 「立場主義」の特徴は、「立場」自体に意味はなく、いくらでも人間のスペア交換可能と云うことだ。重要なのは、「立場」に基づいた言動が取れるかどうか、である。「立場」に基づいた「役」を果たせば称賛され、「役」を果たさなければ「役立たず」と批判される。

 
私は日本国の本当の名前は「日本立場主義人民共和国」だ、と言っています。この国の憲法は以下の三条です。

 前文  立場には役がついており、役を果たせば立場は守られる。
 第1条 役を果たすためなら、何でもしなければならない。
 第2条 立場を守るためなら、何をしても良い。
 第3条 他人の立場を脅かしてはならない。

 たとえば、立場上やむを得ず行ったことが、法に反していたとしても、人々は「立場上やむえなかった」という言い訳を受け入れてくれます。逮捕されても復職できる。
 でも、日本の会社では、法律を守るために役を果たさなかったら、あるいは、人の立場を脅かしたら、皆から指弾され、下手をするとクビになります。(略)逆に、この三条さえ守っていれば、どこへ行っても平和に生きていくことができる。その代わり、上手く手抜きできないと過労死するかもしれませんが。

安富『生きるための日本史』青灯社、67-68頁。


 「生きる」で描かれていたのは、まさに「役所での立場を守った末に、生きる意味を失ってしまった人間の姿」である。渡辺は、「胃がん」と云う当時の不治の病を患ってしまったことで、「立場」の無意味さを思い知らされることとなった。
 もっとも、その後の歴史は「立場主義」を強化する方向に向かった。安冨氏は、第二次大戦の敗戦後に日本が高度成長を成し遂げられたのは、「立場」を守ることに全力を挙げることができた日本の労働者たちのおかげだったと指摘している。20世紀の後半は、自動車などを作る工場のような巨大施設が重要で、一斉に同じ時間に休みなく働く大量の労働者の存在が不可欠だった。経済の中心は、大量生産と大量消費で、画一的な労働と安定雇用がセットであった。社会学の用語で云うところの「フォーディズム」である。

 しかし、コンピューターやインターネットの台頭により、経済の主軸には画一的な労働よりも個人の独創性が求められるようになった。消費も画一的な規格品よりも個人の要望や希少性が求められるようになった。中国やインド、韓国などの他のアジア圏の国が台頭し、日本の経済的地位は低下を続けるようになった。

 安冨氏は、バブル崩壊後の日本では、「立場主義」が機能しなくなり、現在はその崩壊期に差し掛かっていると分析している。「福島第一原発事故」や「国債の大量発行」はその前兆だと云う。

 では、どうするのか。

 安冨氏の思索や言論活動は、立場主義の崩壊期をいかに「生きるか」と云うことに重点が置かれていると云える。そう聞くと、いかにも自己啓発的なライフハックのようにも思える。ある意味では、自己啓発的な発想やライフハック的な言説が急速に広まっているのは、「立場」を守っても生きていけないと多くの人が薄々感じはじめていることの裏返しだと云える。
 だが、安冨氏の思索はそれらの言説とは一線を画す。
 ちょうど、渡辺が絞り出すように歌っていた「ゴンドラの唄」にある「いのち短し恋せよおとめ」と云うような激しさがある。それは「明日の月日のないものを」のような感覚と云えるかもしれない。

 「生きる」の渡辺は、残り僅かな命を役所の立場を守るためではなく、市民の要望に応えて公園建設に尽力し、「意味のあること」を掴むことができた。
 安冨氏は「立場を離れ、馬と暮らそう」と云う結論になった。
 それは、渡辺と安冨氏なりの結論であり、「意味のあること」である。 
 そして、「生きる」方向は各人異なると云える。


いきなり馬と暮らすなんて無理、と思われるかもしれません。もちろん、それはそうです。本書の最初に申し上げましたが、私は、私の世界史を探求し、そのなかで私自身を救い出す途を探し求め、馬に到着したのです。馬は、私という世界内存在が私自身と出会うために見出した、私自身の「本来の道」にほかなりません。(略)
 あなたの生き延びる道を見出し得るのは、あなた自身以外にありえません。私は私の世界を生きますので、あなたはあなたの世界を生きてください。そして「あなたの世界史」を見出していただきたいと思います。
  

安富『生きるための日本史』、268-269頁。


 以後、本マガジンで連載するのは、私と野口さんが安冨氏の著作や思索をもとに自分なりに考えたことである。
 もっとも、私はまだ私なりに「生き延びる道」を見出だせていない。「生きる意味」や「意味のあること」はまだ掴めていない。
 だが、私も野口さんも安冨氏の著作にはそのヒントがあるのではないか、と思い読み込んでいる。本マガジンはその軌跡だと思っていただきたい。


いのち短かし恋せよおとめ
黒髪の色あせぬまに
心のほのお消えぬまに
今日はふたたび来ぬものを

 

ゴンドラの唄


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