おたくを社会学的に考察してみた①
こんにちは、せせりです。
私ってつくづくオタク気質だよな〜と思います。小学生の頃はアニオタだった(CLAMP作品がめっちゃ好きでした)し、中学生から高校生はk-pop好き(ちなみにファンのことを「ペン」と呼称する儀礼はまだ続いているのだろうか)、高校から今は某有名J事務所のファン(という名の限界オタク)をやっております。
そして「やっている」と言うあたり、オタクを職業だと思っている節がある。
「職業、オタク」とかデカデカと書いてあるトラックが渋谷新宿あたりを走ってたりして(BGM:バーニラバニラ高収入〜♪)これ自分で書いてて全然面白くないな、各位失礼しました。
まあそれで長いこと何かの「ファン」をしていて、現実に存在してようがしてまいが、
「推す」と形容し応援しているわけです。
対象は変われどオタク歴13年目になります。
私、今あるアイドルグループを応援してるんですけど、ふと友達と話している時に考えました。
「自担(応援しているアイドルのこと)は私が応援しているどころか生きていることも知らないジャン❓」
そりゃそうですよね。うん。
そりゃそうだろって感じだけど。だけどさ!!
「報われない」ことを、バイト代を投じてライブに行き、DVDを買い、雑誌を買い、Twitterで荒ぶる、そしてそれを性懲りもなく何年と続けている自分何者なんだろなって思います。(元来私は見返りを求める合理的な女です)
結局、応援するってことはほとんど「信仰」に近いんだろうなと思います。
合理的、見返りを求めないことは基本やらないスタンスだけど、言っちゃえば非生産的なことをし続ける私が、「〇〇くんかっこいい〜尊い〜」と言い、頑張るモチベーションや目的にしている。
信仰対象に近いんじゃないか?って。
図1 佐久間くんの良さをひたすら語るある日のツイート
図2 初めて丸山くんの舞台に当たったのに、全公演中止になった憤りをTwitterにぶつけた際のツイート
もちろんめちゃめちゃ大金を費やせば天国に行けるわけでもないです。
でも私はほぼ「労働」のようにアイドルを応援してる、お金が貰えるわけでもないのにね。
でもその労働に対する報酬は私の場合「日常生活のしんどいこと辛いことを乗り越えるモチベーション」なのだと思います。
そのモチベーションでアルバイトをしお金をいただき、それを推しに投資する…というこの一連のサイクルは、プロ倫で論じられる「アレ」なのでしょうか?いや絶対に違うな?でも更にお金が生産できてればワンチャン?正直どうでもいい事象を、なんで?と疑るあたり、社会学を勉強している弊害だし賜物だよね。
ここまで読んでくださったあなたはきっとオタクなんだろうな。
ありがとうございました。
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