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はるかのエッセイ【ポンちゃん】

わたしの母は、自然豊かな土地の小学校に通っていたという。そのため、変わった植物や、野生動物に遭遇することは珍しくなかったそうだ。

そうなると、動物を一匹や二匹家に持ち帰った
ことは言うまでも無い。

また、母は大変な動物好きであったため、
全てを思い出すことはでき無いほどには持ち帰り
飼ったそうだ。一番衝撃的だったのは、
フクロウを拾い持ち帰ったことだ。
 
その娘である。わたしも沢山の動物を持ち帰った。

こういうのは大抵、親に大反対され、既に愛着が湧いていて逃す気にもなれず、泣く泣く人目のつかない茂みの中で、ダンボール箱で飼うことにし、毎日冷蔵庫から盗んだ牛乳を与え、念願の飼い主が見つかるものの、別れが辛くて号泣し、少し大人になる。というのが一般的なオチである。

しかし、母が先にその経験を重ねていたおかげで、わたしはすんなりと飼うことができた。
流石に、腐った鳥を持ち帰ったときには、少しばかりの反対を受けたが、庭に埋めて供養してやりたいという願いは叶えてくれた。

 そんなある日、緑か茶色かわからない生き物が、道路を横断しているところに遭遇した。興味津々で駆け寄ってみると、それは亀だったのである。

亀といえば、水の中で石像のようにしている姿ばかりが浮かぶため、陸地で移動する亀に大興奮した。もちろん持ち帰る。

しかし、亀の持ち方なんて知らないし、家までの距離を蠢く亀を素手で持ち続ける自信はなかった。

焦って考える間にも、既にわたしの支配下にあることを知らない亀は、私用を急いだ。たまらなくなって、手に持っていたピアノのレッスンバックの中に、亀をそのままヒョイと入れてしまった。
嬉しさと焦りで、全力疾走かつバックをできるだけ平に保つよう努力しながら家にたどり着いた。

お皿洗いをしている母に、「じゃじゃーん」
と自慢げに見せてやった。母は一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに楽しそうに笑った。

「これはスッポンだね!」とわたしの自慢や説得もないまま、二回目の瞬きの時には目の前にガラスの水槽が準備されていた。

 こうして、スッポンを飼うことが、この上なく良い段取りで決まった。

名前はいかにもな感じで、ポンちゃんに決まった。当時は良く考えられた名だと思っていた。小学校から帰ってきた姉に、「気持ち悪い!」と批評を浴びせられたが、そんなことも構わず、明日から始まるポンちゃんとの暮らしに、胸を踊らせた。

 翌朝、一目散にポンちゃんとの初めての朝を迎えに行った。

ポンちゃんはいなかった。

わたしは青ざめ、母を叩き起こした。平日の朝から家の中でスッポンを捜索したのはうちだけだったと思われる。家を出る時間になってもポンちゃんは姿を見せなかった。

結局、家に帰ってからも、翌日も、翌々日も、ポンちゃんを見つけてやることはできなかった。

 もうポンちゃんとの時間は、夢の中での出来事だった気がし始めた数年後のある日、ポンちゃんは壊れた家電の下で、スルメイカのような姿になって発見された。

生き物との別れは初めてでは無かったが、
流石に可哀想な姿であったため、
かなりのショックを受けた。

もしもまたポンちゃんに会えたなら、頭を下げすぎてグルングルンと前周りしてしまう程謝りたい。ポンちゃんがもし、待ち合わせに向かっている途中だったとしたならば、
ポンちゃんは相手の亀からの信頼も失ってしまったことになる。
その亀にもグルングルンと謝りたい。

そんな気持ちの表れか、以来私は目眩持ちである。

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