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無意識に働く【排除の力学】を理解する

おはようございます☀️

今日は知らず知らずのうちに行動に出てしまう「排除の力学」について。
排除の力学については中国問題や核問題で論文が出ていて色々な解釈があるけど自分なりに落とし込んでみる。

■排除の力学
人は自分と違うモノを無意識のうちに排除してしまうことがある。
特に日本のような集団思考で生活するなかでは、集団の中で浮くような存在を遠ざけたり、排除したりする。

簡単に言えば、自分と違う価値観を受け入れたくない無意識的感情。

考えて排除する場合もあるけど、結構無意識的に排除してしまうことがある。
そして、集団思考のなかで自分と価値観が違う異端児はその対象となることが多い。

少し違うかもしれないけど、
臭いものに蓋をするという文化が根付いているのは事実で、まさにコレが排除の力学が働いてる証拠。

臭いものに蓋をするとは、
都合の悪いことや醜聞が他に漏れないように一時しのぎの方法で隠すことの例えで、とりあえず問題と思っていてもそれを先送りするという意味で、よく耳にする事が多い。

■排除の力学が働いた代表例
自分は爺ちゃんの影響で昔から相撲が大好き!
昔からずっと好きで見てきて応援しているからこそ、日本特有の村社会文化の悪い部分が出ていると思う。

排除の力学が働いた大きな事件は2つ。
①横綱日馬富士による貴ノ岩への暴行問題
②貴乃花部屋の解散

どちらも暴力が原因で最悪な結果になった事件だけど、暴力断絶が本来の目的が何故か?どこかのタイミングで排除の力学が大きく働いた。

この問題は暴力断絶が目的!
そこを踏まえて2つの例を見てみる。

①横綱日馬富士による貴ノ岩への暴行問題
今の大相撲は特にモンゴル人力士の活躍が目立つ。

当然モンゴルから日本に帰化する力士も多く、日本で言う県人会みたいな集まりがあった。
お酒に酔った日馬富士がどんな理由であっても貴ノ岩に暴行を働いてしまった。

この事件のポイントは
◉モンゴル人だけのコミュニティ
◉お酒に酔って暴行したという事実
◉暴力根絶を訴える為に貴乃花の正義の告発

この問題が明るみに出たのは、暴力根絶を目指す貴乃花の告発が発端。
勿論、悪い事を告発することはいいこと。
この行為が大きな排除の力学を作動させた。

大相撲は日本の文化。
横綱は日本人であるべきという根強い世論。
モンゴル人横綱の問題行動は、日本人じゃないからこうなったんだという解釈。

本来、お酒の席での暴力が問題というところだったけど、【横綱の品格】という言葉でモンゴル人横綱の排除という力になり最終的に引退に追い込まれた。
そして、その後当初は被害者としいて扱われていた貴ノ岩も弟子に対する暴力行為が明るみにでて引退となった。

このモンゴル人排除の力は、白鵬にもいまだに働いていて、コレだけ大相撲を盛り上げた立役者なのにも関わらず、なぜか今ではヒール役にされ、日本国籍もとって相撲協会を盛り上げようとしてくれているのに、モンゴル人だからということで排除の動きを持っている人が結構多い。

この問題の本質は日本人ではないからという無意識な気持ちが強く働いたケース。

②貴乃花部屋の解散
暴力根絶を訴える為に告発した貴乃花。
その行為で引退に追い込まれた横綱日馬富士。
悪き習慣が根強い大相撲協会を改革しようと動いている行動が、周りからは異端児とされていた貴乃花の行為は、もともとよく思っていなかった大相撲協会関係者の恨みをかった。

今度は貴ノ岩、貴公俊の暴力問題で逆にブーメランの如く返ってきて、結果貴乃花部屋の解散に追い込まれた。

この事件のポイントは
◉改革を進める貴乃花をよく思っていない
◉大相撲協会にとって貴乃花の存在が邪魔
◉貴乃花部屋での暴力というネタを使った

おそらく正義感が強い貴乃花は自身の部屋の暴力行為が自身の正義に反したと思って部屋の解散を決断したけど、これは解散させるように追い込まれたような気がする。
まさに異端児として扱われ、世論にも人気がある貴乃花を排除した。

そう、両者引退、さらには告発した貴乃花も大相撲から退く結果。
排除の力学が働くと、感情的な部分が動き多数派は少数派を排除する行動にでてしまうことが多い。

排除の力学が働いた問題だけど、個人的には貴乃花は大相撲協会から解放されてよかった気がする。

昔の貴乃花は人を寄せ付けず怖かった。
正確には、少しでも隙を見せると周りから刺されることがわかっていたから、常に緊張感を持ち武装していたことで気が抜けなかったんだと思う。

でも、大相撲協会から解放された貴乃花は本来の自分をさらけ出せることになった。
昔から貴乃花が大好きだった自分にとっては今の方がいい気がする。

だって楽しそうだから!

■身近な排除の力学
排除の力学は身近なところでも働く。

例えば、
都会で麻布とか六本木のお店に行くとする。
まず最初にイメージするのは麻布や六本木というエリアに対する固定概念。
お洒落、全てが高そう、お金持ちの集まるエリアとか。
この無意識な固定概念があるから、いざ自分がそのエリアに行こうと思うと、お洒落しなくちゃとかお金沢山持ってないといけないと思う。
結果、まだ自分は違う!?という排除の力学が働く。
麻布、六本木は敷居が高そうなエリア?→お金持ちが集まるお洒落なお店ばかりある→お金もかかるし落ち着かないから行かないとなり自分が落ち着く近くの場所に行く。

逆もあって、周りが田んぼばっかのど田舎に、何故かお洒落な外観のお店があったとする。
地域の人から見て誰もがお洒落だと思う外観。

気軽に入りたいけど、そんな外観の店はなぜか?緊張するからという理由でお洒落=憧れではあるけど、日常とはマッチしなくてそのお店には無意識だけど行かない。
これもお洒落なお店→自分はお洒落じゃない→気軽な格好で行きたい→だったら行かないと排除の力学が働いている。

こんな感じで実は身近にもこの力は働いている。

この排除の力学の本質は自分とは違うことへの拒絶かもしれない。

違う文化、変わった人への拒絶。
自分とは違う世界への拒絶。

【知らないこと=嫌い】という感情に近い。

でも、それって新しい発見を自ら拒絶していることともとれる。

排除の力学を意識すると行動や決断もう少し冷静に判断出来ると思う。

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