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迷ったら困難な道を選べ。祖父と私の物語

2021年9月20日6:21
寝ぼけていた僕の目は開いた。

その時、祖父の手は生温かく、ドクターから「死亡」が告げられた。

9月18日に家族からの連絡があり、私は仕事中だったが、退出させていただき祖父の家に向かった。すると、キツそうな祖父が訪問医師により、痛み止めを入れられており、少し楽になっていた。 

看護師さんによると、私が帰宅し、家族全員揃ってから祖父の表情は少し和らいだそうだ。

点滴を打った祖父は、そのまま「起き上がらせて欲しい」と私に言い、家族全員で祖父を囲んで食事をするようにした。これは、「みんなでワイワイご飯を食べたい」という祖父の願望だった。

いつも食事の際には、「もっと食べないと!」と喧嘩をしていた私と祖父。
この日は、珍しく頑張っておかゆを3口進んで食べてそのまま眠りについた。
それが祖父との最後の食事だった・・・

次の日に私は用事があり、博多にいた。
帰宅後、祖父は寝ていて私の顔を見ると微笑んでいた。
最後の言葉は「お前は自由に生きろ!」

今まで毎日家族全員で交代しながら誰かが起きていたのだが、この日は疲れていた両親はいつになく早く眠りにつき、3時に私と兄が気持ちよさそうに寝ている祖父を確認し、眠りについた。

朝、目が覚めると祖父の元で母が泣いていた。
父がすぐに訪問医師に連絡し、私は祖父の手を握っていた。
生温かく気持ちよさそうに寝ていた。

6:21 死亡が確認され、枕経があがったが祖父はまだ起きていつものように嫌味を言ってきそうな感じでその寝顔からは一切苦しみを感じなかった。

この日は敬老の日で、頑固でわがままだった昭和親父の祖父は「一生、俺のことを崇めろ」と言っているようでそれがまた祖父らしかった。

この日の夜、祖父からの形見の腕時計の秒針音は祖父の心音のようだった・・・

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祖父は最後まで多くのことを教えてくれた。
祖父から幼い頃から教えられていた1番の教え。


迷ったら困難な道を選べ。楽に歩けるアスファルトは振り返った時に足跡は見えない。しかし、歩くのが困難な砂漠は振り返った時にしっかりと足跡が見える。

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この言葉を胸に今後の人生を歩んでいきたい。

読んでくださりありがとうございます。
そして、最後を共に過ごすためにご協力していただいた方、ありがとうございました。
祖父の最期をきっかけに母もnote(まるママ)をはじめ、それぞれが新たな道を歩みました。

今後とも応援していただけると嬉しいです。


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