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浮かれた町で

降りやまない雪が降っている。窓の外をみると屋根に厚く雪を載せた家や、除雪車で寄せられた雪の山が並んでいて、町全体が雪に埋められているようだ。

カナダの田舎町に来て一か月。だんだん知り合いも増えてきて、スキー場を滑っていると声をかけられることも出てきた。ただ、人の顔を覚えるのが苦手な僕は(特に白人男性は皆同じ髪型なので余計に)、毎回「僕の後ろの人に手を振っているのか?」と振り返ったりしている。英語の下手な僕にも、ちゃんと会話のレベルを合わせてくれる人が多くていつも助かる。

クリスマスシーズンは「これでもか」とクリスマスソングが至る所で流れて盛り上がていたけれど、それが終わると「ついで」みたいにして新年を迎えた。雪が降ればスキー場に大量に人が押し寄せて、雪が無ければスキー場はガラガラ。日本やカナダのほかのスキー場が雪不足で嘆いているけれど、この場所は例年以上に雪が積もって、街の人も「too much」「crazy」と言っている。

ここがスキー場で潤う街だからだろうか、北海道で迎えたような「耐える冬」という印象はない。北海道の道東に住んでいた時、冬というのは静かに訪れる冷たい試練のような、でもどこか人々の心を寄り添わせて温め、絆を感じさせてくれる機会のような、そして自然に対して自分の小ささや儚さを省みる儀式のような、そんな時期だった。道東の人々は、秋の上から冬が下りてくるにつれ急ぐように冬の準備をし、冷たく温かい冬を乗り切るように見えた。

僕のいる町は多くの外国人が長期休暇(3か月くらいスキーだけしてる人も普通に居る)や、ワーキングホリデーを利用してきているためか、町全体はやや浮かれモードだ。観光やスキーで訪れている人だけが浮かれているわけではない。この町で生まれ育った人も、雪が降れば早起きしてスキー場に飛び出すし、「冬は稼ぎ時」と仕事にも精を出している。冬を楽しむのがこの町のスタイルみたいだ。

店員と客が楽しそうに会話をしていたり、お店のBGMに合わせて店員が軽く踊っていたりする。スキー場でリフトを待ちながら話をしていると、知らない人が会話に参加してきて大グループになったりする。同じリフトになると、大抵隣の人と話をする。「バス遅れてるから、ヒッチハイクしようぜ」ですぐに車が止まってくれて移動できる。「日本にもいい雪あるじゃん!」と言われる。閉店時間丁度に店員が店から出る(お客さんが居ないと閉店時間前に店が閉まる)。

ちょっと浮かれた町で暮らしながら、ふと、窓の外でしんしんと降る雪を見た時、心の中に急に、北海道で感じたような自分を省みる持ちが訪れる瞬間がある。お茶でも飲みながら「外は雪だなぁ」と当たり前のことを噛みしめたりする。日本のみんなは元気かなあ。恋人はまだ寝ている時間だろうか。

スキーをすることよりも、町の人との交流が楽しくなってきて、仕事を増やそうかと考え中。もっとこの町が好きになれそう。