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予想もしない物に飲まれていくんだろう

日本からポストカードが届いた。4月8日のことだった。差出人は、僕が北海道で働いていた時の先輩だった。実はこの先輩には2月の頭に、僕の方から手紙を送っていたので、返信と言うわけだ。このポストカードの消印は3月14日。カナダから北海道まで片道ほぼ一ヶ月の郵便である。なげーなーと思うと同時に、届くだけマシか、とも思う。先輩に「手紙届きました」とメッセージをスマホで送る。すぐに既読がついて返事が来た。わずか数十秒のことだ。はるばる届いたポストカードを手にしながら、変な感じがするなと思わず苦笑いした。

ポストカードの内容を読みながら、そうか、僕の方から2月の頭に送ったんだと再認識する。あまり内容は覚えていないけれど、書いた場所は覚えているし、当時の気持ちも覚えている。まだこの街も平和で、スキー場も営業していて、僕もバイトをしていて、お気に入りのカフェで手紙を書いた。あの時、まさかコロナウイルスが世界を席巻し、街のほぼ全てのお店が閉まり、スキー場も営業をやめ、山スキーへ向かうための道や駐車場までもが閉鎖されるとは思いもしなかった。手紙を書いたカフェもずっと前から閉まったままだ。

開いているお店は、スーパーマーケットや薬局、その銀行や車の修理工場などごく一部だけだ。僕がバイトしていたレストランは閉店し、手伝っていた宿もそもそも人が泊りに来ないので僕はどの仕事も失った。当初、街にも数人の感染者が出たけれど、それ以降広がっているという話は聞かない。中国で発生したウイルスが、数え切れないほどの人を経由して、こんなカナダの谷間の田舎町までくるなんて、それはそれで凄いことだなとも思う。

コロナが流行り始めた時、国の対応は早かった。必要最低限以外のお店を閉め、同時に失業&休業補償を発表した。そしてその補償は、外国人である僕にも先週振り込まれた。めちゃくちゃ早い。街の人も冷静に対応していて、基本的に家にいる人が多いし、天気のいい日は庭で日向ぼっこをしながら酒を飲んだり、サイクリングに出かけたりしている。街で友達と会っても、2m開けて会話をしている。とりあえず、日本に帰るよりも金銭的にも感染的にもこの街の方が安心できるので、しばらくはコッチに滞在するつもりだ。

僕も基本的には家にいる。けれど、すでに自粛3週間が経過し街の中での感染の話も聞かないので、たまにバードウォッチングに行ったり外を散歩するようになった。春山スキーのために、日本から登山用具を送ってもらってヤル気満々だったのに、ただ溶けていく雪を眺めるしかないのが悔しい。スキーをするためにカナダに来たのになと、もどかしい日々だ。

なんとかスキーがしたいと自粛の始めは思っていた。し、実際山にも出かけた(最初の頃は山は閉鎖されていなかった)。だってワーホリは人生で一回だし、このために日本でお金を貯めてきたんだから。でも自分ではどうしようもない世の中の荒波みたいな、そんなものに飲まれつつあるんだと思い、行かなくなってしまった。そもそもする世界の7割?だとかの人が外出制限を受けているらしい。「なんとかいつも通りに」と思ってしまうのは、人間の性だろうか。

どうにもならない事ってあるよね。という話を友人にしたら

“it’s life”

だそうだ。人生ってのにはそういう時がある。たとえそれが、自分が何かを賭けて挑んだことであっても。

僕はまだ幸運なほうだ。まだ貯金はあるし、国の補償の対象に入っていたから補償も貰えた。住む家もある。健康だ。友達もいる。

これからどうなるか分からないけれど、もう少しここで様子を見るつもりだ。
it’s life. 

日本も平和であれ。