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【グアム】11歳初めての海外

初めて日本から出たのは、
小学五5年生の時、
家族で行ったグアム旅行だった。

嗅いだことのない強烈なバスの匂い。
見た事がないくらい下が開いたトイレの個室。
肌の色も体格も全然違うのに、
日本語がペラペラな現地のアメリカ人。

トレイは行列で、母と並んでいたけれど、
個室に入るとあまりにも開いた下が気になり、
好奇心のあまり下の部分を覗こうとして
髪の毛が地面について母に外から怒られた。

日本とは味が全然違うスパイシーなツナおにぎり、
ディープキスをしていたコンビニの外にいたカップル
初心者用シュノーケリングで見たウツボ。

お調子者な当時小学2年生だった私の弟は、
ディープキスをしているカップルを見て
「見てみて!チューしてる!!」と指さして
両親はとても気まづそうに止めていた。

シュノーケリングではウツボに餌をあげにいき、
父親に全力で止められていた。
その後なぜか、砂浜で三点倒立を披露し、ツアーに
参加していた人と現地の人に拍手をもらっていた。

セブンアップと豪快な大きさのロブスター。
グアムなのになぜか美味しい中華料理。
モーニングとランチの看板が、現地のスタッフの
手動ローラーマシンによって切り替わるマックの朝。

ロブスターを食べたお店では、
外が見えるアメリカンな薄暗いレストランで、
働いていたスタッフがみんな明るくて楽しそうだった。
初めて、生き生きと働いている大人を見たので印象的だった。

恐ろしいほどの日焼けをして脱皮を迎えた父。
お土産屋さんで陶器の貯金箱を割った父。
お土産に買ったホテルのロビーにあった石鹸の香り。

ホテルの部屋に戻ると、みんなで父に
アロエのジェルを塗ったり
皮をぺりぺり剥がして楽しかった。
お土産屋さんで貯金箱を割った父は、
帰りのバスで離れた席に行ってしまいとても静かで、
弟と母と3人でクスクス笑った記憶がある。

ホテルには立派なプールもついていた気がする。
でも、滞在中はほぼ毎日近くのビーチに出かけていて
結局一回も使わなかったね、なんて話した。

ビーチでは、母と弟と3人で
自転車のように漕ぐボートを借りて
海の果てまで行った。

途中で母が海の波に酔い引き返そうとした矢先、
”チャポン” 「あー!!!」
何も考えないやんちゃな弟は好奇心のあまり
海に降りてしまった。

弟は逃げるように遠ざかる。
母は本格的に船酔いにやられ引き返したいという。
泳ぎに自信があった私は、船を降りる決心をし、
母を先に陸に戻すことにした。

両者反対向きに遠ざかっていく景色は、
孤独と不安を与えた。

そのあとは、
泳げない弟を引っ張ったり、時には押したり
しながら30分ほどかけて陸まで無事に戻った。
母も無事だった。いい成功体験だった。

私はもう海に行くなんて懲り懲りだったが、
弟は相変わらず、父を誘って遠くまで
泳ぎに行ってしまった。当時、
「サメを見た」と言っていたが本当だろうか。

その後帰って、
母がサメはいかに恐ろしいか、
怪我をして血が出ている場合の危険性など
絵に描いて熱弁してくれた記憶がある。

ーーー

意外と、前後の記憶も鮮明なものだ。
夏休みなさしかかる小学校の登校日で、
母が弟と私の分の連絡帳に事情を書いて、
給食後の掃除の時間に早退させてもらった。

出発当日は、担任の先生が休みで、
隣のクラスの先生まで報告をして抜けた。
約束の時間になっても弟が来ないので、
教室を見に行くとみんなと一緒に呑気に掃除をしていた。

私は「他の教室に入ってはいけません」
というルールを守りながら弟を必死に呼び、
早退させて連れ帰った記憶がある。

そして無事に、
出発できたのだ。

ーーー

グアムからの帰りの飛行機では、
近くにうるさいほどの咳をしている
おじさんがいた。

帰国後、まんまとインフルエンザがうつり、
夏にインフルエンザにかかるという
異例の事態を起こした。

近くの病院に行った際、待ち時間に
「巨人が椅子を揺らしている感覚だ」
と医者に必死に伝えた気がする。
結構重度だったらしい。

その半年後の冬、
鬼こわと言われていた担任の先生が、
「先生は今年、誰よりも早くインフルエンザにかかった」
という後日談をしてくれた。

それを聞いた私は、
夏に患った私のインフルがうつったのでは?
とハラハラしながら聞いた記憶がある。
結局、それは1月の話というからくりジョークで
ほっとした記憶がある。

そんなことも帰ってから母と話して
大爆笑した記憶、、、

ーーー

思えば、
結婚前に中国に3ヶ月住んでいた母は、
毎年のように家族旅行の計画を立てて
思い出を作ってくれた。

対して、旅行に行くと毎回機嫌が悪くなる父は
計画も予約も入ってからもあまり協力的ではない。

今思うと、そんな中でも子供達のために
毎年不機嫌な父に会社を休むように説得をして
旅行に連れて行ってくれていたことは
感謝しても仕切れない。

おかげで、今でも語ることのできる思い出が、
今の私を確実に支えてくれている。
そして、その経験は今の私の一部になっている。

感謝とともに、
どんな状況下でも旅行をすることを諦めなかった母
はとても偉大だと感じた。かっこいい。

今振り返って、そう思う。
これからは、私が母の好奇心を大切にできるよう、
私がたくさん連れて行ってあげたいなぁ。

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