見出し画像

登野城祭事日記:しめ縄づくり

「登野城祭事日記」は、石垣島・登野城村の祭事係に新米として参加させていただいている佐藤(月刊まーる二代目代目編集長)の、日記兼備忘録です。

今回のトピック

しめ縄づくり

場所

第一部:大先輩の牛小屋
第二部:天川御嶽

日時

2024年7月20日(土)第一部:9:00~ 、第二部:16:00~

出席者

字会長 /  祭事顧問 / 女性会の皆様 / 祭事係

持ち物(祭事係・佐藤)

特になし
あったら良かったもの:軍手


朝願いが無事終わり、スーマカシとの日々にお別れを告げた翌日、次に取り掛かるのはしめ縄づくりである。

しめ縄は、御嶽の鳥居と拝殿に取り付ける。

これはハーリー当日の早朝の願いを撮影したもの。
拝殿に細めのしめ縄がかけられている

ただ縄を作ればいいというわけではなく、間に飾りを編み込んだり、綯い始め/終わりと中頃で太さを僅かに変化させたりと、様々な気遣いと技を要する作業である。

しめ縄の最大の特徴は、「左巻き」であること。(日常的に使う縄は右巻きである。)…右巻きである。などと偉そうに言ってみたが、僕も今回教わって初めて知った。
なぜしめ縄は逆向きに作るのか。「神様のものだから、人間が使うのとは逆」というのは、感覚的にはものすごくピンとくるのだが、当然気になってしまうので、もう少し調べてみた。

富山県の老舗しめ縄製造会社『折橋商店』さんのWebサイトに、しめ縄に関する興味深い記事がごろごろと転がっていたので、抜粋・引用させていただく。(当然、大和の神道と琉球の御嶽のしめ縄を同一視すべきではないが、取り留めのない思索の足がかりとさせていただければ、と考える。)

古くから、しめ縄は左巻き=左綯いで、日常に使用するものは右巻き=右綯いとして受け継がれてきました。
なぜ左巻きなのかというと、いくつかの説が考えられます。

ひとつは、神道では「左が神聖で右が俗」という考え方があり、飾るときも神様から見て左側に綯い始め(太い方)がくるように飾るべきとされています。一般的な神社では、神様から見て左側に綯い始めがくるように取り付けられているのはそのためです。

2つ目の説は、飛鳥時代に中国から伝わった陰陽道の影響。御所でも天皇の住まいが南をむく「天子南面」をしているように、北を背にして天皇が南を向くと、日が登る方=陽が東で左、火が沈む方=陰が西で右となります。

3つ目は、日用品は右綯いでつくられることから、通常の右綯いと区別し、神聖な意味合いをもたせるため。さらに普段慣れない左綯いではどうしても作業が丁寧になるため、神様のためにひとつひとつの工程に心をこめる意味もあるようです。

『折橋商店』さんWebサイトより

ざっくりいうと①神道において左が神聖説 ②陰陽道において左の演技が良い説 ③普段遣いのものと区別して神聖なものとする説 ④丁寧な作業を促す説 の4つといえるだろうか。
どの説が当たりらしい、という話はここではしないし、きっと様々な要因が折り重なって「左巻き」が受け継がれてきたのであろうが、僕が好きなのは4つ目の説だ。

普段慣れない左綯いでは、どうしても作業が丁寧になる。そこには、普段遣いの縄綯い作業とは少し違ったピリッと感が漂うのであろうし、同時に、「普段と逆向きになると、全然だめだなぁ!」などと、仲間で笑い合うシーンも生まれるだろう。左巻きを上手にできる人はそれだけでも周囲のみんなから一目置かれるだろうし、祭りの準備の時期にはその人の周りに、普段とは違った人流が渦巻くかもしれない。

「ペットボトルの蓋を外して捨てる必要があることで、飲み残しの液体を流してからボトルを捨てるようになる」とか、「雨の日にお客さんに店舗入口のマットの上でもーやー(かちゃーし)を踊ってもらう企画によって、店内が汚れにくくなる」とか、「左巻きの縄が、普段と違うコミュニケーションを生み出す」とか。
あるモードやルールの小さな違いが、意外と大きな結果を生むような、いわば"飛距離のある行動デザイン"が、僕は大好きだ。(今更ながら、著者の本業はデザインなのである。)


前置きが非常に長くなってしまったが、場面を7月20日の9時、大先輩の牛小屋に移そう。

記事のはじめには「第一部:9:00~」と書いたが、ここにいるのは祭事の大先輩おひとりと僕の2名だけ。
それもそのはずで、平素は大先輩が一人でされている作業に「興味があるなら、来たらいいよ!」と誘っていただいたのだ。
作業のお手伝い(という名の足手纏い?)をしながら、多くの先輩方も苦労されるという「左向き」の縄づくりを、マンツーマンで伝授していただけるのである。

(教わった縄づくりについては、後半に写真を掲載する)

牛小屋に着くと大先輩はもう座っておられて、傍にあった藁の束を、いくらかこちらに分けてくださった。
そこから、茎がまっすぐで綺麗な藁を、[7本+5本+3本]×5セット(以下、七五三)選び出す。しめ縄からぶら下がる飾りにするためだ。

以下、2人で作業を行なったため、限られた写真で工程をなんとなくご想像いただければ有難い。(来年の自分が困惑する姿が早くも目に浮かぶ)
2人で製作したのは、天川御嶽の拝殿にかけるしめ縄(8m弱)

ここから、茎がまっすぐで綺麗な藁(七五三)を選び出す
元々の藁は、写真右奥にあるようにこんもりと積まれている。
それを事前に、このような整った束にしておいてくださったのだ。
頭が上がらない。
選りすぐった[7本+5本+3本]×5セット(七五三)
茎の先から27cmほどのところを、ガムテープでまとめる
メインの縄を2人で作る。本当は3人いるとやりやすい。
藁の束を二つに分けて、それぞれを捻りながら、絡めあっていく
捻って、絡めるの繰り返し

先ほどピックアップした七五三は、約60cm毎にメインの縄に絡ませていく。

2つ束の縄をある程度の長さ作る→2つ束の縄に、3つめの束を絡ませる→その際、60cm毎に七五三を一つ、絡ませる。

天川御嶽の社殿にかけるしめ縄には、七五三を4セット、計12本絡ませる。
60cmごとを12本なので、60cm*12本+60cm(端っこ)で、トータル8m弱もの長さになる。

残りの七五三1セットは、イヤナス御嶽の拝所にかける縄に使う。
こちらはトータル2.5mほどだ。

と、いうことで、天川御嶽の社殿にかけるしめ縄が完成!

午前中の作業はこれで終了。
残る作業(①天川の鳥居にかける大しめ縄 ②イヤナスの鳥居にかける大しめ縄 ③イヤナスの拝所にかけるしめ縄 ④全ての縄の仕上げ"散髪")は、夕方からの第二部で行う。


昼食を食べ、少し休憩してから16時。天川御嶽に到着する。

藁をほぐし、選別・揃える作業をする人 / 午前中つくったしめ縄の"散髪"をする人 / しめ縄を編み始める人などに手分けして、作業を始める。

ほぐし、綺麗に揃えられた藁束
しめ縄の"散髪"。藁を継ぎ足す際に飛び出た部分を綺麗にカットしていく。
このとき七五三がカットされないように、申し送りがされていることが重要。
3人で縄をつくる場合は、藁束を上から吊るしてスタートする
束を三つに分け、それぞれ捻り、絡み合わせていく
同じことをひたすら繰り返せば、やがて縄が出来上がっていく

、拝所に飾るしめ縄ができたら、いよいよ鳥居に飾る大しめ縄づくりに取り掛かる。要領は先ほどまでとほぼ同じであるが、スタート時の藁束が成人男性の腕ぐらい太いことと、縄の両端から中頃に向かうにつれてやや太くしていく点が大しめ縄のポイントである。

成人男性の腕ぐらい太い
大しめ縄は、木の太い枝に吊るして作る
天川御嶽用の大しめ縄が編み上がる。
そして"散髪"へ。
このような飾りも、縄と同じ要領で作る
このようにして飾る
拝殿にも無事、取り付け完了!

実はこの作業に数日後には台風が迫っており、その関係で未だ取り付けが行われていない飾りがある。「紙垂(シデ)」である。

(ご参考)こういうやつ

ちなみに、この紙垂は、稲妻を象っていると言われる。
そして、縦に垂れた藁飾りは雨を、横向きにかけられたしめ縄は雲を象っているそうだ。まさに、豊作祈願の飾りである。

ちなみのちなみに、稲妻が「稲妻」と呼ばれる理由は、落雷時の放電により空気中の窒素と酸素が雨に溶け出し土壌に染み込むことで、稲妻の走った土地は通常よりも窒素を豊富に含み、豊作になりやすいから。「稲の妻」というわけだそうだ。


翌日、イヤナス御嶽の拝所と鳥居にも、しめ縄を取り付けに行った。

太陽の上がる東側に縄の頭(綯い終わり側)がくるように取り付ける。

取り外された先代の縄を大先輩のトラックの荷台に載せながら、ふと思い出す。このしめ縄は昨年の末に、自分がお手伝い(足手纏い)として初めて参加させていただいた時のものだ。
このしめ縄が役目を背負ったその時と同じくして、自分の祭事係としての歩みも、密かにはじまっていたのかもしれない。
そんなことを考えると、すでに立派に役目を終えたこのしめ縄にとっての7ヶ月間と、まだ歩みを始めたばかりの自分の7ヶ月間とが歪に重なり合うようで、不思議な感覚になった。

祭事というのは、体内時計みたいだ。と感じる。
それは、村の体内時計かもしれないし、仲間うちの体内時計、自分ひとりの体内時計かもしれない。

7ヶ月間。約半年。というと、きっとそれらの言葉をあまりに使いなれているせいで、本当はよく咀嚼しきれていない時間や出来事を、自分でも気付かないうちに素通りしてしまいそうになるが、しめ縄を前にして「このしめ縄をつくったあの日から、今日この日まで」と思い起こすだけで、その日々が長かったような、短かったような。何もなかったような、重大なことばかり起こっていたような。満足だったような、心が燻っていたような。よくわからなくて、酔いそうな心地になる。

世界共通、全国共通のカレンダーや腕時計を、人と共に生きるための「みんなの時間」とすれば、祭事が生み出す暮らしのリズムや節目は、自分の内側に深く潜るための「自分の時間」(あるいは「自分たちの時間」)と呼べるかもしれない。
「自分の時間」だけで生きていくことはどうにも難しい世の中だが、自分の胸の中に脈打つ自分時間が時折思い起こされるだけで、生きている心地がずいぶん強くなり、嬉しくもなるものだ。

トラックの荷台に静かに横たわるしめ縄に「おつかれさま。ありがとう。」と心で唱えてから、自分の車に乗り込んだ。


左巻きの縄づくり

テキストと静止画だけで説明することは非常に難しく、半ば諦める気持ちで、ここに数枚の写真を置いていきます。
ご興味のある方は、どこかで佐藤にお声がけください。


▼登野城祭事日記、記事集です!


この記事を書いた人

佐藤仁
登野城村(超新米)祭事係。
大阪からの移住者
『月刊まーる』2代目編集長。
本業は、グラフィックやサービスのデザインなど。
自分の事務所に併設の私設図書館「みちくさ文庫」運営中。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?