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【バトン連載】私の移住ストーリー vol.13|吉田明日香@石垣島

はじめに

物心ついた時には、“私は沖縄県民になるんだ” と、ずーっと思っていた。
だって、「どこ出身なん?」「沖縄出身です。」て答えたら、何かかっこ良くないですか⁈笑 それを言うのが、私の憧れでもあった。

だけども現実は、大阪生まれの奈良育ち。これじゃアカン!
どうしたら、沖縄県民になれるんだろうと考えた結果が、今の移住という選択に繋がっている。

私が石垣島に移住した理由

冒頭でも書いたように、小さい時から “私はいつか沖縄県民になるんだ” と、何の根拠もなく、漠然と思い描いていた。

幼少期から、那覇・宮古島・与那国島・そして石垣島と、毎年家族旅行で沖縄に連れて来てもらっていたが、その中でも色々な離島にすぐに出かけることができる石垣島に、ドップリとはまってしまっていた。

海は綺麗だし、どこに行っても楽し気な音楽を聴くことができて、出会う人たちみんな明るくて面白い!そして、独特なイントネーションの方言が可愛くて大好きだった。
なんだろうなー。もう全部が大好き!!

だけども、その時は  “いつかは” 沖縄に住むけど、そんなのはもっとずっと先の老後の話だなと思っていた。

今すぐには住まないけれども、どこかで沖縄の人と繋がりたい!そう考える私は、(大学に入ったら沖縄出身の友達できるかなー。)(バイト先に沖縄出身の人いないかなー。)なんて沖縄センサーを張り巡らしていたが、なかなかヒットせず、、笑

そんな中、人前で表現をする芝居の世界に興味を持った。
親には、安定した職に就いてほしいと言われていたが、会社に入ることが安定なのか分からず、自分自身楽しくないことはやりたくない精神で、就職はせずアルバイトをしながら役者の道に進んだ。(だけども、それじゃ親不孝かなと思い教員免許を取得する)

でもね、芸能の道は甘くないのよね。モデル体型でもなければ、特徴のある顔でもない。前に出るためには、自分をいかにアピールするか、、、(表現するのは好きだけど、自分の言葉で表現することは苦手なの笑)
んーーーーーー映像の世界って難しい。

なので、映像の世界はきっぱり諦めて舞台の世界にシフトチェンジ!
北海道から沖縄まで、全国の子どもたちに芝居を届けている児童劇団に2015年に所属する。
毎日が芝居漬けで、音響や照明、舞台作りまで全て自分たちで創りあげる。毎回同じ環境はなく、イレギュラーがつきもの。大変だけど、終演後に子どもたちのキラキラした目を見ると、何かを届けることができたのかと感極まるものがある。

生の舞台って、観てくれている人の反応がそのまま乗っかって、自分自身の肌で感じることができるのが面白い。それに、子どもの世界には大人の様にお世辞がないから、反応も直球でとんでくる。結構辛辣な時もあって、それもまた面白い。
忙しくも楽しい日々にやりがいを感じて、気が付けば約8年ほど身を置いていた。

芝居は好きだけども、沖縄に住む夢を諦めていたわけでもない。
老後に沖縄に住むと考えていたが、(別に老後じゃなくてもよくない⁈  むしろ、年取ってからじゃ逆に何もでけへんやん!)と思い、関西で教員をしているパートナーに「私、石垣に住みたいんやけど、沖縄の教員採用試験受けてくれん?」と何とも自己中な相談をした。

当然、速攻で断られると思ったけど、「前からずっと言うてたことやしな。」と、あっさり承諾してくれた。そして、見事に合格し、勤務地も何ということでしょう、、、(ビフォーアフター風に)
八重山の小学校に!!!!!!

やったーーーーーーー!
石垣島に住めるやんということで、私のセカンドライフがスタート。パートナーには、本当に感謝しかない。ありがとう!!!!!

いよいよ来たんやと心躍る

移住するためにクリアしなければならなかったこと

移住できたのは、全てパートナーのおかげ様なので、特に困難なこともなくやって来ました!笑
強いて言うならば、“石垣に住みたい!!!” という夢を諦めないこと、石垣に住むと周りに言い続けることですかね。願うだけではなく、言霊にして発していれば、実現できる。悩んでいるなら、レッツトライ!!!笑

とはいうものの、働く場所がなければ生活もできないわけで、せっかくならば大好きな海での仕事がしたい!かつ、地元の人と繋がりたい!と思っていた。数あるマリン企業があって決めかねている中、またもやパートナーからの救いの手が、、、

「今度学校で海洋教育があるから、聞いといてあげるよ。」と。
あなたは、神様ですか!!!
それが、今の私の職場である“big beach(にぃにぃ)”との出会いだった。

初出勤の海
にぃにぃにロープワークを教えてもらう

移住してみて今思うこと

大好きな八重山の自然に囲まれて生活できている“今”が、本当に幸せです!!!
そりゃー、都会に比べたら映画館もないし、大型のショッピングモールもない。着飾ってオシャレするわけでもなく、Tシャツ短パン、ギョサンを履いて海に出かけて行く毎日。

でもね、そんなのにこだわっている暇がないくらい島での生活が楽しい。
にぃにぃのおかげで、有難いことに沢山の人たちと知り合うことができたし、海以外でのアクティビティーを知ることもできた。また、豊年祭や旧盆など島の伝統行事にも参加させてもらえている。

にぃにぃとの出会いがあったから、八重山ライフを楽しく過ごせていると言っても過言ではない。本当に、いつもありがとうございます!!!!!

綺麗な海と珊瑚たち
八重山で出会った素敵な人たち
豊年祭準備に参加


命の危険がある海の仕事は、毎日が同じ環境でもないしイレギュラーもある。戸惑うこともあって緊張の連続だ。

でも、、、
物知りで、海の厳しさや島の大切さ、魅力を教えてくれるお父さんのようなにぃにぃと、頼りになって一緒にバカできる姉のような妹のちあきちゃん、
いつも行ってらっしゃい、お帰りと温かく迎えてくれるお母さんのような香織さん。
皆さんが傍にいてくれるからこそ、楽しく仕事ができている。

まだまだ、できないことがいっぱいあって、日々奮闘中。私も早く一人前になって、八重山の魅力を体いっぱい伝えられるガイドになりたい。big beachに恩返しがしたい。

それが私の今の目標である。

終わりに

休みの日には、竹富島や小浜島、黒島など沢山離島を巡ることができた。
離島それぞれに、違う特徴や魅力が詰まっている。
どんな魅力かは、あなたが移住した時に、肌で感じてみて下さいね。

以上、憧れの沖縄県民になれた明日香でしたー!

次のバトンは…

会社は違うけれど、同じマリン業界で働くノリさん。
彼は、口から生まれて来たんじゃないかと思うくらい、話すこと全てが面白い!だからノリさんの周りは、いつも笑い声で溢れかえっている気がする。

どんな移住ストーリーが飛び出してくるのか楽しみです!!!
よろしくお願いします。


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この記事を書いた人

吉田明日香
身長146センチの奈良育ち
(本当は、沖縄出身の八重山育ちと言いたい)
石垣に憧れを抱き、2023年に念願の移住成功。
今は、“ヨッコイショ”の掛け声の代わりにナチュラルに“イヤササ”と出せるように練習中。


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