民俗音楽随想

 民俗音楽が昔から好きで、ふと思い出して聴きたくなることがある。私が主に好きなのはモンゴルのホーミーやアルタイのカイであるが、今回、ザ・コネクションズコンサートなるライブを体験して色々感じたのでそれを書きつけておきたい。

 当コンサートでは日本、中国、ブルキナファソ、ペルーの四ヶ国のアーティストが共演した。

日本〜井上姉妹〜

 日本からは井上姉妹による和太鼓と三味線、横笛。和太鼓の迫力はほかでは得られない柔らかい重量がある。
 変転する気象は人の営みに過半のウェイトを占めている。どろどろと空間いっぱいに響み渡る鼓の音は、雲中の鳴神と響きあい、兆候と恩恵と災害をひとつ手に把持する者の象徴として激震する。

水流的中国〜さくら〜

 中国からは中国琵琶奏者さくら。選曲の喚起するものもあり、大河を降る水の流れを追うような印象は、そのまま映像となって頭を流れた。中国琵琶の奏でる音の多彩さに息を呑む。雅やかさと艶めきのある音色は宮廷的ともいえるが、ときに激しく四弦を打つ音は打ち付ける水塊のように野性的でもある。

大地的ブルキナファソ〜ベノワ〜

 客席の奥から現れたブルキナファソの民族衣装と太鼓で登場したベノワ。手や独特のハンマーによって叩かれる鼓は撓りのある音色を響かせる。和太鼓に比べ軽やかにまた圧縮的なそれは、視野がどこまでも広がるアフリカのイメージと同期して、大地へと沈みこむ。硬い足裏で踏み叩いてきた者のちからを喚起するかのようだ。

飛翔的ペルー〜ワイキス〜

 ペルーからは兄弟ユニットのワイキス。黒マントに白く刺繍されているのは、トリンギットやアイヌのそれのように神秘的な動物の抽象か、恐らくはあの猛禽だろう。マントの裾には白い紐が配列され、マンと全体が巨大な翼を彷彿とさせる。ペルーの管楽器は望郷的感慨に誘われる。温みのある音色は地平の先へと放物線を描く遥かな地まで延びる遠い視線のようだ。上空を優美に滑空する巨禽の様かとも思う。がに股になって演奏するのもかっこよかった。トチローみたいだ。

世界を身体する民族音楽

 四ヶ国の音と音楽そして民族衣装が入り乱れる後半を体験するうちに、民族音楽に対するひとつの視座が私の内側から提示されてくるのを見た。
 すなわち、これら四つの音楽の発祥した土地の風土(気象、大河、大地、空、そしてそれらに棲む多様で彼らの生活に重要な生物、またトーテム)、それへの畏敬が込められているのに違いない。彼らは風土の中に自らを潜り込ませていく。神話的に図式化された紋様の民族衣装は象徴的な生物に同化する仮面である。
 神話ではよくよくある者が別のある者へと変身するが、これもまた変身であり、神話を生きることに違いない。このなかに音楽も所在し、身体は風土のなかではなく、そのものへと同化していく類化性能的思考の所産だろう。近代は合理と科学によってその心性を理性の幕の下にしまってしまったが、世界を提示する民族音楽を前にして共鳴するもののあることを自らの胸の奥に発見するのである。

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