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久しぶりの飛行機

久しぶりに飛行機に乗りました。
8年ぶりくらいでしょうか。


娘と母とスペインに行って以来です。


わたしは別に病的な不安症もパニック障害も抱えてはいませんでした。


それが
向精神薬を服薬し始めてしばらく経ってから、
不安症のようなパニック障害のような
状態になりました。



まず、
新幹線に1人で怖くて乗れなくなりました。

向精神薬を服薬し始めて、
みるみる悪化して関西の実家で療養するようになりました。


途中、
何度と新大阪東京間の新幹線に乗り移動しましたが、
必ず家族の誰かが付き添わなくてはいけない状態になりました。


新幹線に乗る前は、
頓服の向精神薬を服薬する有様でした。


ハッキリとは覚えてないのですが、
その際に頓服として服薬するよう医師から言われた薬は、

抗精神薬のセロクエルかリスペリドンだったような気がします。

初期の頃は、
ベンゾジアゼピン系薬のレキソタン
だったかもしれません。


向精神薬の断薬を決意して、
減薬していくと、
更にそれらの症状は悪化して、
ほとんどパニック発作状態になりました。


反跳性不安がとても酷くて、
不安で怖くて、
特に乗り物はダメになりました。
スーパーにも1人で行けなくなりました。


電車もバスも怖くて1人で乗れません。

離脱症状で1年間程は聴覚過敏が出てたので、
世間の音も辛くて怖くて電車などは
拷問状態でした。


服薬中は知識がなかったので、
自分は不安症、パニック障害にもなってしまったと思い込んでました。

うつ病から更に不安症、パニック障害にもなり、
双極性障害2型へ。
どんどん精神病を発症してるのか?


驚愕してました。

今ならわかりますが、
全ては薬の作用です。


睡眠薬は本物の不眠になる薬。
不安を抑える抗不安薬は、
本物の不安症になる薬。

パニック発作に処方される抗うつ薬SSRIは本物のパニック発作になる薬。



減薬していき、
本当に酷い不安とパニックに襲われるようになりました。

この時は、
離脱症状でどのような症状が出るのか。
反跳性の原理も理解してたので、

この状態は一時的なもの、
こうなっても不自然でもなく当然のことだ
と頭で理解できました。

なので、
自身の症状が悪化したから再服薬した方がいいとは思いませんでした。


減薬断薬する際、

精神医療や精神医学、向精神薬の知識があった方がいいというのは、
離脱症状(禁断症状)が現れた際、
それらの症状は出て当然の症状であること。

離脱症状(禁断症状)は、
現れても悪いことでもなく忌むべき症状ではない、
と思い耐える力が増すからだと思います。


例えは変かもしれませんが、
出産の痛みを耐えるのに似てる感覚です。

出産の痛みも、
出産でなければ、
あんな痛み耐える必要もない痛みで、
すぐに薬を飲むか麻酔を打ってもらうと
思います。

離脱症状(禁断症状)は
健康になるために、
回復するために耐える
と考えてました。


話が逸れましたが、

不安発作、パニック発作状態が酷くなったわたしは、

電車もバスも怖くて乗れなくなったので、

もう2度と飛行機なんて乗れないなぁ、
もう海外旅行も行けない。


その時は思ったものです。


飛行機に乗るなんて想像しただけで
恐ろしく、

きっと飛行機の中で、
降ろしてくれー!!

叫びまくるのではないかと思ったものです。


(笑)

反跳性不安は断薬後も約1年間以上は
残りました。

しつこかったです。


反跳性不眠と反跳性不安。


これらには、
とことん苦しめていただきました。
世間的には今の私はまだまだ不眠です


結果的には、
反跳性不安は綺麗に消えました。


脳が勝手に不安や恐怖を感じるって本当に不思議です。

不安や恐怖って、
理由があって湧き出る感情だと
思ってました。


まぁ、
本来はそうなんでしょうが、
向精神薬を服薬して不自然な力で
不眠や不安を抑え込むと、
その反動で何倍にも跳ね返り、
服薬前には経験したこともないような 
酷い不眠と不安が現れる。



まさに向精神薬のしっぺ返しです!


不安やパニックともオサラバしたので、
8年ぶりに飛行機に乗り、
屋久島に行ってきました!


娘の卒業旅行に便乗して。

屋久島の縄文杉。
憧れの光景でした。

でも、
屋久島なんて行くことはないだろうと
思ってました。


コロナ禍で大変ですが、

こんなこと言っては怒られそうですが、

わたしに関してはコロナは沢山の
メリットをもたらしてくれました。


息子も在宅勤務になり、
まだ離脱症状で具合の悪いわたしを
よく助けてくれました。
一緒に買い物に行ったり、
遊びにも出かけました。
ランチも良く一緒にしたものです。

昨年末に息子は結婚するので家を出ましたが、
最後に1年8ヶ月一緒に暮らせて幸せでした。

娘も、
在宅学習が増えて家にいてくれる時間が
増えて、
同様に一緒に過ごす時間ができました。

コロナがなければ、
娘は卒業旅行は友達と外国に行ってたでしょう。

コロナ禍なので、
国内旅行しかできないので、
私と夫も便乗して一緒に旅行できたのです。


本当に何が幸いするかわからないものです。

だからこそ、
人生は楽しい。



飛行機から富士山が綺麗に見えました!

JALに乗ったのは久しぶり

屋久島旅行blog、
また書きます。


闘病記録として始めたブログですが、

登山やお出かけ、ガーデニング、読書、
猫との生活と、
いろんなテーマで書くことも増えてきて、
自分としても回復の道のりを感じることが
できて嬉しいものです。

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