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講師Viragのプロフィール

~芸歴プロフィール~





本名:ヴィラーグ・テークラ・ハリエット・エステル・マーリシュカーヤ・ハンナ(略:ヴィラーグ・マーリヤアンナ)



日本名:紅美子





1989年6月8日、北ハンガリーはトカイ地域で、私はジプシーの娘として生まれました。父がロマ系のハンガリー人で、母がポーランドのコシツェ出身のタルタラ系ハンガリー人(詳しくはハンガリー系ポーランド人)です。私には3歳年下の妹と、生まれてすぐに養女として日本に渡った双子の姉がいます(彼女のことは顔も知りません)。私は生まれた頃から舞踊を見て、歌を聞いて育ち、また私達自身も幼い頃からチャールダーシュと宴の際などに歌う民謡などを教え込まれられていたので、何かの際には私達初め、ジプシーの幼子たちはみんな、大人と共に踊ったり唄ったりをしていました。



さて、私は3歳になった年に「モーツァルトも3歳からピアノを弾いた」という理由で半強制的にピアノを習わされ、ミシュコルツの音楽院に入れられました。そして10歳の4月にワルシャワに送られ、やはり音楽院でピアノを学んだあと、突然の講師の一言で翌年、私はピアニストとして「モーツァルト・ロンドンのスケッチブック」と「モーツァルト・幼少時代の楽譜帳」でデビューしましたが、私のデビューを知るものは恐らくあまりいないでしょう。



5歳からクラッシックバレエを習いました。同じ種族の仲間に先生がおり、両親が仲良かったため無償で教えてくださっていました。これもピアノ同様、私が望んで始めたわけではなかったのに私はとても好きになり、幼稚園の頃の夢はバレエリーナになっていました。そんな私は7歳の頃、その先生の推薦でロシア・サンクトペテルブルクに行き。一年間、専門の期間で学んだあと、小さな体の「エスメラルダ役」でひっそりとデビューしました。



10歳の時、ゴルドーニの戯曲と出会いました。きっかけはただ、イタリア語の喜劇からイタリア語を学ぼうなんていう単純な思いからだったのですが、読み進めていくうちに、ゴルドーニ作品の魅力にハマってしまい、次第に私自身もこの人の劇を演じたいと思うようになり自らヴェネツィアにとび、コメディアデラルテを1年間学んだあとに12歳で「ヴェネツィアの双子・ロザーウラ役」でデビューしました。この頃は学校もあったので、長い休みの時を使って行くしかなかったのですけどね…私がヴェネツィアにいっていた事も、女優としてデビューしたことも誰も知りません。だって言っていないのですもの。



14歳になった時、アルゼンチンのタンゴの女王、ティタ・メレージョを知りました。ひと目で彼女の歌の虜になりました。そして私もタンゴを専門的に学び始めました。始めの年は独学で、次の年からタンゴ専門の方について師事を受けました。そして17歳になる年の1月にデビューをしました。



そして17歳になった年のザルツブルク音楽祭、私は妹と共に、モーツァルトのコジファントゥッテを見に行きました。その年はモーツァルトの生誕イヤーだったこともあり、私自身がモーツァルト大好きだったので見に言ったという単純な理由だったのですが…。私は初めて生で見たオペラにとても心を打たれてしまいました。そして、いつしか絶対に私もこの舞台に立ってやると心に契を交わし、翌日より、発声法の本を読んだり、聞き様聞き真似での独学練習を開始。そして18歳になった年の7月に、地元イベントで小さいステージながらの初舞台(フィガロの結婚・ケルビーノ)、19歳になる年の2月にも同じく小さな舞台をやる(カルメン・カルメン)。同年4月より、オペラの専門家の元で本格的な歌唱法を師事。同年10月にまたまた小さな舞台をやる(フィガロの結婚・スザンナ)。それ以来、レッスンを重ねながらミニコンサートなどを開き、徐々に技巧アリアとズボン役を得意としていき、22歳の年にコロラトゥーラソプラノ歌手としてデビューをする(ディノーラ・ディノーラ)。コロラトゥーラソプラノ役とズボン役は今に至るまではまり役。



19歳の6月より、フレニクノイビュールを知ったことをきっかけにヨーデルを独学で始め、23歳の時に「ヤコポ・ウメルを歌う」でデビュー。



21歳から幼い頃から慣れ親しみ、7歳で「小さなジプシープリンセス」の称号を貰ったチャールダーシュとジプシー民謡を本格的にやろうと決め、同年に正式に歌手と同時にチャールダーシュ専門ダンサーデビュー。





講師は19歳から始めているが、こうして徐々に受講コースも増やして今に至るのです。





そんなこんなで、職業柄・生い立ち柄、50カ国以上のヨーロッパバイリンガルになってしまったというわけです。