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回復期のステップ } 04

こんにちは。私は摂食障害はじめ、精神疾患経験者で経験談から考え方、メンタリティーについて X @mgmgpai で質問やお悩みを頂いて Ameba blog @konpaichan でお答えさせて頂いています。

前回に引き続き、摂食障害の「回復期のステップ」について書くnoteです。



回復過食期の終わり

過食期で体が元気になってきたら、次第に食欲に波のようなムラがやってきます。これが過食期の終わりのサインなのかと思います。

沢山食べたいと思う日やお腹が満たされない日があって、「甘いもの・味濃いもの」など特定の何かが無性に食べたい時や頭の中が食べ物の事で一杯になる時が波の高さ。あまり、意識せずに食べたり過ごしたり、それを低さと仮定します。

過食期も終わり「自分の健康のリズム」が掴める(定着)ようになっていきます。これが回復を指すものだと捉えます。

波の高さがやってきても、例えば生理前とか体や頭を沢山使った日には波の高さに理由があると「納得」できるようになったり。高さ低さの高低差は普通の生活にもある事なので、慣れて受け入れられる事も回復だと仮定します。

体が元気なのに、見た目は健康的なのに「食欲が収まらない」「たくさん食べてしまう」「今より体重が増えるのは危険だ」と感じている方もいるかもしれません。が、まだ回復期の途中なのです。

「過食期の終わり=摂食障害の終わり」ではなく、食欲のムラがあって次第に落ち着くステップがあって回復です。


体の回復のサインである「生理回復」や「体重の増加」も一つの目安ですが、そのタイミングでピタッと食欲が消える訳ではありません。

これまで書いてきたコラムにある通り、体の回復のサインは「通過点」であり「継続」があって「健康(回復)」なので食べ続ける意味があります。体も栄養を蓄えようと、食欲になって訴えてくれます。

それが波のように引いたり出たりしていくので、当事者も「これは何だろう?」と疑問に感じるような食欲のムラだと思いますが、複雑に考えず「必要なんだな」と単純に思う方が理解しやすいかなと思います。


冒頭に書いた「まだ食欲が収まらない」と焦ってしまう方に伺いたいのは心の満足のいく食事を取れているか?どうか?です。

体の健康は通過点です。摂食障害は心の病気なので「我慢のストレス」や「無意識の罪悪感」は知らない間に行動にも現れてしまうんです。食事や生活に反映されていませんか?

回復期で、ある程度自由に食べられるようになり、体が元気になり見た目も変化してくると、本人の心は「もう元気になった」と思うのです。反対に「もう十分なんじゃないか」と懸念してしまいます。


この時期の方に、よく頂くお悩みと質問です。

Q . 標準体重になったので、これ以上体重は増やしたくないです。→制限|体重へのこだわり(心の症状)

ここが回復期の踏ん張りどきです、これまで通りに満足のいく食事を摂って心の症状である「痩せたい」を乗り越えていく最後のステップです。

標準体重になったから〜|生理が回復したから〜|もう見た目が普通だから〜|という主語は正直「誤認識と思考の偏り」だとお伝えしたいです。

その気持ちはまだ容姿に執着してしまう癖が残った考えで、正しくは「自分の容姿に囚われず健康維持を優先できる生活」=「回復」なのです。


回復過食期の食欲の波の高さ・低さも人によって異なるので、比較せず自分の本能や声を聞いて満たして欲しいです。

こうして食欲が安定したり、満足を受け入れられる生活が送れるようになって「回復」と捉えます。


回復の基準

ここまで書いた事を含めて、それ以外にどんな状態が回復なのか?私の経験談と考えをシェアしていこうと思います。

私達は摂食障害の間「社会」と少し離れた場所にいるように感じます。学校や仕事、といった「生活」をお休みしていました。

社会復帰、と表現されますが「当たり前」だなんて思っていません。学校や仕事に相性があれば "得意・不得意" があって "好き・嫌い" もあります。

摂食障害回復期では、これまで感じていた違和感や生き辛さに気が付いて向き合い自分の中の「当たり前」や「こうでなくちゃ」を柔らかくしていく時間になります。

社会復帰、ではなく新しく自分のやり方で社会と共存していく考えで「無理のない範囲」で社会と距離を近めていきます。

回復って曖昧なラインだから自覚というものが中々持てないのですが、こうして食や容姿に囚われる事なく生活が送れるようになっていく事も「回復」のステップであり、終わりの時期なのかと思います。


基準というのは定かではないので、自分でラインを引いてもいいのかもしれません。ただ、健康ではない体や思考の偏りに自覚がある以上は回復だと思い込んで欲しくないのです。

まだ回復ではない体と心は自分が思う以上に脆く繊細です。ちょっとした環境の変化や出来事がストレスになったり、痩せたい気持ちを引き出そうとしたりします。

ストレスに直面して、食や容姿以外の選択肢を用意して選んであげられる事も回復の基準だと私は思います。

社会に無理に戻らなくても、自分の理想ではなくても、これから長い人生を生きる自分の体と心の為に今少しの時間をかけて回復に専念する事は悪いことではないと感じませんか?

私は単に痩せたいとか上手に食べられないなどの「症状」ではなく、摂食障害の原因となった自分の個性や性格・思考・価値観が回復期で変化していったから、摂食障害の症状が消えてくれたのだと考えています。

痩せたいと思うのも、食べ物にこだわるのも、そうさせる何かがあったので本気で痩せや食に執着してたんじゃなくて「生きやすく、生きたかった」ただそれだけだったんだと思います。

生活というステップに踏み込む時に、心次第では「望んではいない形」で自分を満たしたり、評価してしまうかもしれない。

だから「無理のない範囲」を意識しながら、痩せや食を選ばなくても自分に納得できるような心を作る回復のステップを踏んで、社会復帰に至ったのです。

これも一つの回復の基準である心の回復と思える出来事で経験だと感じています。


回復後の生活

私は回復(一旦、生理回復とします)して、食欲のムラがまだまだ残っていたので、このタイミングで社会復帰してしまうと「思うように食べられない環境」に体が拘束されていては、例えば仕事から帰ってきて無理に食べたり、または食べられなかったりしたら食欲のムラが続いてしまうと考えました。

我慢や制限、食べたいと思う気持ちに抵抗するのは過食のリスクを倍増させるからです。

家で自分のペースを確保できる事、短い時間帯で働けるバイトや融通の効く仕事を見つける時間にしたり、働いてみたり。これまで出来なかった思い出を作る時間も素敵です。

私はこうして自分の経験談をシェアしていく事で自分のやりたい事や社会と自分の関係性を模索してみたり、家族・友人と過ごす日常に「慣れる」時間を過ごしていました。

いくら楽しそうな日常でも、例えば買い物とかご飯行くとか旅行行くとかも自分にとっては「新鮮」です。時に思いがけないストレスや自分の知らない感情に出会ったりします。

そういうシーンに、自分がどう付き合う事がベストなのかなって考えていく時間も捉え方によっては「まだ回復期」ですし、回復後の時間とも言えるのかなと。これは別にどう定義しようと勝手なので、なんでもいいと思います。

色々、やってみて「あ、無理」と思ったら"辞めてあげられる自分"と"受け入れられる自分"でいてあげて下さい。のらりくらりと回復後は模索していきましょう。


話が逸れてしまいますが「人生は一生模索」だと思います。「模索→実行→成功や失敗→経験」の積み重ねなんだと思うんです。

今こうして22歳の私は今の自分のベストを生きているけれど、歳を重ねて経験も重なった時に今とは違うベストがあるはずなんです。

つまり、ずっと自分にとっての正解は分からないんです。だけど、基礎である健康や当たり前の生活が送れない程、心病んでしまってはどんな瞬間もベストとは言えないから精神疾患は治療して回復というベストを探る時間が大切なんだと思います。

病気が悪いとか治っていない事がダメだとかそんな話ではありません、摂食障害にならなかったら?今もずっと、どこか苦しかったかもしれない。病気というのも経験になっているから、その時々の自分を否定するのは違うと思います。

治さないという選択を選んだ人もいます、治したくても思うように心や体が動かない人もいる。治ったから、と言って安泰な生活が送れる確証もありません、分からない事ばかりですが自分のタイミングや自分なりのベストでいいんです。


回復後の食生活

人によって生活のスタイルが異なるので、それ相応に食のスタイルも変わっていきます。

波の高低差と捉えるのではなく、食にも自由があってそれぞれの相性があると、他人と比較する思考は手放した方が良いと思います。

誰でも共通しているのは「食欲」は一定のリズムや規則性があるものではないという事。毎日決まった時間に、決まった量で満足できる体ではありません。これが普通です。

その月、その週、その日の体調やメンタルも違えば、楽しさや幸せという心の栄養もあります。ただ同じ(安定)した食事を取る事が「ベスト」だとは思えません。

例えば、プロのアスリートさんは決まった食事で健康管理されている人もいるでしょう。それは仕事であり、生き甲斐である事の為の基礎だから本人も心の苦しみに変換されないから続く事。(それでもアスリートさんの摂食障害発症率は高いのです)

時間があれば、自炊します。お金に余裕があれば(またはそこにお金を使うか)外食をしたり贅沢な事もします。 Uberしたりファストフードに頼ったりとか、残り物が続く日もある。

食生活が軸となるのではなく、生活が軸となって食の多様も変わっていく感覚が「回復後の食生活」になります。

決まりも規則もリズムもルールも、あまりないように感じます。そこにこだわりが強くあって、変化に抵抗があって「生活への支障」があれば摂食障害の思考が残っているのかと思います。

繰り返し書いている「受け入れる・慣れる」という心の器で付き合っていく事、生活や健康を優先できる事があって回復と思います。


最後に

回復期のステップをPart4まで書いてきました。これまでも回復期についてコラムや質問に答えて書いてきたのですがいつも「書き残し」や「不足感」があって、また書き始めたりします。

なんで満足できないのかなって考えると、私が経験した摂食障害と回復期の4年間は「とても長く濃い時間」だったからです。言葉では表せない感情や気持ちの葛藤がありました。

これまで通り、食や容姿についての考え方や摂食障害やメンタリティーについてコラムを書いたり、質問に答えていけたらと思います。満足できない私にお付き合い願います。

摂食障害は治る病気です。発症の原因が違って症状も違うから治し方(回復期)の様子も違うので、どうしても「孤独感」があったり「これで合っているのか?」と疑問や不安を感じやすいです。でも、治るからそれまでのステップは、どう踏もうと自由で間違いはありません。

自分なりの正解やベストに心と体を委ねてみるのも、回復のステップでありこれからの生活でも大事な自分との🤜🏽タッグ🤛🏽だと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。














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