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過食の理由

こんにちは。私は摂食障害はじめ、精神疾患経験者で経験談から考え方、メンタリティーについて X @mgmgpai で質問やお悩みを頂いて Ameba blog @konpaichan でお答えさせて頂いています。

今回は沢山の質問を頂く「過食」について私なりの意見と経験談を書いていこうと思います。こちらの記事も合わせて読んで頂けると分かりやすいかと思います。


過食のラインとは?

厳密に専門的に説明するには不足しているかもしれませんが、経験者として分かりやすく認知してもらいたいのでざっくりと書いていきます。

過食とは「自分でコントロールできない過度な食事」を指します。「意図的にある一定のライン」に対して「我慢ができない・ダイエットなどの目的に向かって抑制できない事」ではありません。

意図的にあるラインとは[1日〇〇kcalまで][これ食べたらダメ]などのマイルールの事です。

過食による生活への悪影響も含めて過食と言えます。ただ単純に「沢山食べた日」や「一時的な食欲」と過食は異なります。


コントロールができない」というのは、日常の優先順位が変わりお金や時間までも食事に占めたりする事。深刻な症状の方は借金をしたり万引きなどの犯罪行為に手を出しても食欲をコントロールできません。社会活動ができなくなる事や日常生活のリズムが崩れる事も指します。(摂食障害の回復過食期間は当てはまらないので注意)

生活への悪影響」というのは、コントロールできなくなった時間や生活に加えて「排出行為」がある事です。食べた事に罪悪感を感じて下剤を乱用したり、嘔吐する事です。(この場合は摂食障害に当てはまるので医療機関へ受診する事を推奨します)

ここ最近SNSなどで見かける「過食の定義」が浅い偏見から誤認識に近い定義と感じます。

「美意識の為の食事制限に我慢できなかった日」や「ダイエット期間のマイルールを破った事」を「過食」と呼ぶのは言葉のニュアンスや言葉の選び方が違うと感じます。

また、生きている上で負荷(制限やストレス)が掛かると食欲が湧くのは本能である事の知識不足にも感じます。"過食"ではなく"本能"と言い換えられるとお伝えしたいです。


過食の理由とは?

過食の原因は「心理的な原因」と「体のメカニズムからくる原因」の2つに分けて考えられます。

単に「痩せたい」「美意識」「健康管理」であれば、まだ病的になったり症状としては”現れない・繰り返さない”のですが、一線を超えてしまう場合には ”そう” させる「心の問題」があるのです。

心の原因:自信がない事や自分の評価を埋める為の手段に変わっていき、依存の形になっている事が多いのです。また、ダイエットは目的と違う満足感も得られます。「努力」「継続の証」など自分のプライドに変わる事も多いので手放し方が分からない方も多くいらっしゃいます。

体の原因:体はある程度の「ダイエット」や「食事管理」でも影響が現れますので、心持ちが病的ではなくても体に負担が掛かっている状態にあります。これまでの食事や生活のリズムと異なる場合に体が反応するのは本能です。食欲に対する制限は、反動として不足した栄養を食欲として欲しているのです。

過食の理由を「理解 or 自覚」を持って、自己管理をする事は難しいのですが必要な距離感であり、健康の継続には必要な考え方の選択肢です。

心の感情が体に制限をかけているので、心と体の相互作用と捉えます。心の制限が体の過食欲を増進させる、体に対して不足した栄養を食欲と変換して心にSOSのサイン(食欲)が送られます。

どちらのバランスも取りながら「健康の範囲内」で行う食事制限や減量を行なって「健康的」と言えます。

そもそも「過食欲」に悩まされてしまう時点(過食を避けたり罪悪感からより制限をかける事)で、何かしらの心と体のSOSとリスクが伴っているという危機感を持った方がその後の自分の為になると考えます。


目的と終わり

大まかに二つの理由から「過食」を招く事が分かった上で「なぜ過食欲となるのか?」を自分に当てはめて、噛み砕いて目的を知る事はとても大切な事です。

メカニズムが生まれるそもそもの目的に自覚を持ち、行動を見直す事で「継続した健康」があると思います。


例えば、目的を持って食事制限や運動習慣がある方の中には「健康維持」の目的と「美意識」の目的があるとします。

減量をするという同じ行為でも目的が異なるのは「ゴール」も異なるのです。

健康維持」→「目的の体重が健康体重」であり、それを維持する生活は無理のない範囲で行える生活習慣の方が多い。(無理のない範囲が健康的な生活だからです)

美意識」→「目的の体重が低体重」であり、それを維持する生活は深刻で心と体に危険と負担が大きく、失われた必要な栄養が「栄養失調」となり不健康な体になってしまう。そこから「過食」に繋がる方が多い。また、継続意思や維持の脅迫が強く「終わり」を設けるタイミングを失い「万年ダイエッター」が増加している。


当事者の意識としては、どちらも似ているものがあり「自分の為の努力」と正当化されやすいのですが「美意識」は個人の価値観の違いがあるので一概にも「これが正しい」などの意見は存在しない方が正しさだと私は思っています。

健康意識」に関しても、それぞれの生まれ持った体質の違い年齢差などによって人それぞれの「健康」は異なります。

ですので、噛み砕いて自分が「本当の目的」としている事や「終わり(ゴール)」としているものが見えているのか?を知ることは目の前の過食に納得できる気付きになり、行動を見直せるきっかけになると思います。



目的の理由

更に噛み砕いた「目的の理由」について、ここでシェアしたいと思います。

過食に悩んだり、依存状態から抜け出せない理由に、目的の意味や自覚がなかったり、自覚していても抜け出す方法や考え方の選択肢が少ないのです。

美意識」には単なる①「自己管理」と②「心を満たす方法」と思う違いがあります。

の「自己管理」というのは、美意識の他に「自分を認められる部分」があったり美意識より「大切なもの(健康や生活)があると自覚」している、つまりは「見た目」に依存していない事です。

自己管理の範囲内でダイエットができる方は、そもそも病的な思考に偏らない事が多いのです。(誰でも一歩の踏み違えてしまう危険性があるのがダイエットです。周知事項として記載しておきます)

例えば、ここで言う「過食」があったとしても自分を責めすぎず、更なる負担を心と体に掛けない(罪悪感が深刻でない)状態、つまり下剤や嘔吐、過度な運動をして心と体に無理させない選択肢を選べるのです。

ダイエットや美意識も「自己管理」の一つであるとして、日常生活や社会生活に必要な事の優先順位を守れる生活です。

そもそも、自己管理の範囲であると"自分への評価"や"他人からの評価"の「価値観」についても「容姿を軸にしていない考え方」を持つ人が多いのです。+α の要素で考えられていると感じます。

"自己理解"がある程度できた上で"客観的に自分を見る力""自分に合った行動の選択肢"を「持っているor探していける力」があるのです。


ストレスを感じた時に、その気持ちを「容姿」に全振りする事なく「旅行に行こう」「飲みに出かけよう」「今日はご褒美として甘い物でも食べに行こう」と気分の転換の選択肢自分の慰め方を知っているので"依存しにくい"と言えます。

必然的にこれらが「しやすい・できる人」の割合は「大人」に多いのです。これまでの経験や知識が豊富で自立した環境にいるからこそ「出来る事・出来ない事」の区別が賢明なのです。依存させない環境作りも、とても大切です。


②の「心を満たす方法」として美意識に徹底している方の多くは自分に自信がない事を容姿で埋めようとしています。

"見た目を良くしたい"と願う気持ちと、同時に行う努力の量に対してもプライドを持って「自信の一つ」と化していくので、目的の過程やゴール設定が段々と厳しくなる傾向もあります。

「過食」に対しても厳しい判断を下して、深刻な罪悪感恐怖を感じやすいとも言えます。自分を許す事は「甘えダメな事」と認識して一時的な食欲を敵対視した厳しいルールを持って生活している場合も多いのです。

学生さんなど、若い方の発症率が高い理由の一つとして「心の満たし方の選択肢が少ない」と考えられます。

学校生活では、社会全体に比べると似ている人間同士が集まった場所であり比較の対象となる基準がとても繊細であります。

学力や足の速さなどのスキルの違いも一つですが、多くは「背が高い・低い」など見て分かりやすい容姿の部分で比較したり、ステータスになる傾向があります。故に、自信がないとか良くなりたいと思う気持ちを満たす手段として美意識の選択を取る若者が多いと考えます。

最近のSNSの影響も欠かせない話題です。無限に溢れた情報を正しく判断する力を養う前に毒されてしまいます。

そもそも「容姿が全て」と極端な考えを持っていて、見た目に依存しやすく自分に厳しい事で、食事も生活も極端になりそれらのマイルールを破る事があったら自分をとても責めたり、許せない気持ちに変わり落ち込んだりと本人も苦しい思いをしています。

人間としての魅力や自分の価値というものは「容姿だけではない」という考え方の選択肢を持って欲しいと願います。


最後に

長くなってしまうので、ここで一度区切ります。過食のメカニズムや原因を知識として知る事も大切な考えですが、更に噛み砕いて自分の本当の目的やゴールとしているものは何だろう?と考える事も、とても大事なことです。

過食には、必ず理由があります。必要だから感じる本能であり、自分のダメな甘えではありません。

体と心に、選択肢を与えて寛容的に優しさを持って生活する事が「健康」であると私は考えています。

このnoteが考え方の選択肢の一つとなって、心の余裕になればと願います。




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