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古様の観音菩薩

古様という観音菩薩は、飛鳥時代後期の菩薩で

水瓶を手に執るすがたの観音菩薩や

両の手に宝珠を包む観音菩薩があります。

宝珠はすべての海水と魚を飲み込んでしまう

といわれるインドの伝説の怪魚マカラや

龍神の頭から出たとも言われています。

宝珠は災難を除き、濁水を清くするといわれ

思い通りになる珠のことです。

観音には半迦思惟像がありますが、

半迦思惟像は、中国では釈迦の太子時代を

表すものといわれ、新羅や百済では6〜7世紀を

中心に弥勒として造像されました。

飛鳥時代の古様な瓔珞や裳をほどこされた

観音菩薩は、平安時代にさらに流麗な仏像と

なりました。


百済の聖明王が日本に献じた仏像が釈迦像で

蘇我馬子が仏殿に安置したのは、百済から

伝わった弥勒像です。

釈迦像が伝来したあとの飛鳥時代に、四天王、

薬師、観音、阿弥陀像が伝来したと考えられて

います。

仏教はインドから中国に伝えられたように

観音もインドで成立した菩薩です。

7世紀の飛鳥、白鳳時代に日本へ伝わり、

奈良時代に国家仏教の一端として観音信仰が

取り入れられました。

法華経の中の観世音普門品も広く知られるよう

になり、観音経として広く書写されました。

観音信仰は、観音が人々の願いに応じて

三十三身に姿を変えて救いを求める人々の前に

現れることを説いています。


日本書紀に「この月に、諸王臣等、

すめらみことの為に、観世音像を造る。

すなわち観世音経を大官大寺に説かしむ」

とあります。

また、「庚午に、僧尼併せて 一百(ももたり

)を度(いえで)せしむ。

因りて、百(ももはしら)の菩薩を宮中に

坐えて 観世音経 二百巻(ふたももまき)を

読ましむ。」とあります。


観音像の造像は、白鳳期ののちに飛躍的に多く

なり、奈良朝における観音信仰の高まりを示す

とともに、朝廷を中心とした国家仏教レベル

の位置づけとなりました。

平安時代になると、観音は六道輪廻の思想に

よる信仰とされ、参詣や巡礼の対象として

観音霊場がつくられたのも、平安時代と

考えられています。


鎌倉時代には、掛仏という仏教の道具が

あります。

掛仏とは、仏や神の像を線刻した鏡像から

発展したもので、仏堂に掛けられ、礼拝の

対象とされました。

掛仏は、丸く銅で造られた鏡であることから、

三角縁神獣鏡が由来になっていると考えられ

ます。

三角縁神獣鏡は、「魏志倭人伝」に239年、

魏の皇帝が倭の女王卑弥呼に下賜したと記され

ています。

古墳時代前期の古墳から多く発掘されて

いますが、模様には神と獣が刻まれていて

中国の神仙思想に基づく仙人を題材にされ、

龍虎、駱駝、象などの霊獣が刻印されてい

ます。


掛け軸もチベットから唐に伝わった壁画崇拝が

由来となり、飛鳥時代に仏画として日本に

伝わりました。

鎌倉時代に禅僧の影響による水墨画の流行から

掛け軸が流行しました。

これにより、仏教仏画の世界から花鳥風月の

水墨画など芸術品として発達しました。

室町時代以降、茶の湯の千利休により

絢爛な様式が描かれるようになりました。

納経軸という、巡礼において寺院で御朱印を

いただくための掛け軸があります。

中央に菩薩像が描かれ、御朱印が周りを取り囲

んでいます。








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