まつ
読んだことのある本、忘れられない本、手に取ってみた本、本の話。
Kpopに足を突っ込み紆余曲折を経て、現在は ZICO / Korean hip-hop / blockB が好きです。 全てはZICOありき。ジコに感謝しながら、彼を取り巻く全てを愛したい。いろんな意味で。 잘못 씹다간 이빨 다 나갈 수 있어...
最近は劇場に足を運ぶことが少なくなったけど、劇場で観たもの、自宅で観たもの、昔観たもの、観たいもの... 映画に関するカテゴリーです。
40才を目の前にして、心の中に蓋のついた箱が増えました。泣きたい、と思ったときにはやはりあなたの文章が恋しいです。 これは、告白に近い。 年甲斐もなく告白をしてしまった。 彼は毎週金曜日になると、私の元へ素敵な文章を送ってくれる。私は彼の文章に幾度となく励まされ、反省を促され、胸を締め付けられ、涙を流しました。これほど人の気持ちを揺さぶることのできるコラムは他にはないと思うのです。 メールマガジン「日刊デジクリ」の中で「映画と夜と音楽と・・・」というコラムを書かれている
書店でこの本が目に留まり、タイトルだけで即買いした。 おはつが主役の「曽根崎心中」、 ひのえ午うまれの「八百屋お七」とくれば、 買わないわけにはいかない。 私は22歳くらいの頃、周りから「おはつ」と呼ばれていた。なんか時代劇の町娘のようで恥ずかしかったけれど、物心ついたときからずっと「はっちゃん」以外のニックネームを持たなかった私は、その新しい呼び名を少し躊躇しながら受け入れた。 当時、トレンディドラマという言葉が出始め、若者の生き方やファッション、音楽に、ビンビン影響を
作家、山本文緒さんが旅立たれた。 10月13日に、膵臓ガンで。 好きな作家さんだった。 鬱病を克服したのち、去年の9月に発表された7年ぶりの作品 「自転しながら公転する」を読んでみたい。 お酒を飲まない私の、献杯の代わりに。 山本文緒さんのご冥福を 心よりお祈りいたします。 --------- 2007-07-18 に書いた、彼女のこと。 --------- 初めて山本文緒を読んだのは、もう十年以上前のことではないだろうか。 『恋愛中毒』を読み終えたとき、私が読む山本作品
つねづね思っていたことがある。 うちの実家では、「仁義」という単語がよく使われることだ。そして、他で「仁義」という言葉をあまり耳にしない。 例えば、私が頂き物をものすごいたくさんもらい、それを実家にお裾分けに行くとする。食べきれない量の野菜だったら母もご近所や友人に少しずつ分けて食べてもらうことだろう。 その時!まさにその時だ! 「ありがとね〜この前は。○○さんに食べてもろうたんよぉ、○○さんには釣った魚をもらっとったけぇ仁義が立ったわぁ。」母はそう言うだろう。 「仁義ができ
小学生のころ、夏休みの宿題は「夏休み帳」で。 低学年の読書は「トビウオのぼうやはびょうきです」。 上手に飛べるようにと、練習に出かけるぼうや。 青空に向かって、白い雲に向かって、高く上手に飛べるよう・・・ そして、「死の灰」を浴び被爆してしまう。 お父さんは死んでしまった。 頭が痛い、瞳は濁ってしまい、皮膚はブツブツだらけ・・・ 一生懸命介抱するトビウオのお母さん。 ぼうやは言う。 「どうしてこんなに苦しいの?何にも悪いことしていないのに。」 ぼうやの病は不治の病。 「泣か
暑つおすな生きとゐやしたん逢ひとおす ネットで見かけたこの俳句がなんとも艶っぽくて、しばらく心を奪われてしまいました。 暑いですね 元気でいるなら 逢いたいわ 多分こういうことですよね。京言葉にするだけで何倍も切なく聞こえます。 調べてみると尾池和夫という地球科学者の男性が詠まれたものでした。 他の句も読んでみたいです。 句集、欲しいです。
「私の方から友人を選ぶなんておこがましい」 そんな気持ちがいつもどこかにあったけど、その考え方のせいか最近はトラブルも多い。 自分の曖昧さが、結局自分を そして相手をも傷つけてしまったりするのだ。 昔々、仲良くなりたいと思った人に「誰でもウェルカムなわけじゃない。来る者も拒む」と遠回しに言われて、ひどく落ち込んだことがあり、誰かにそんな思いをさせるのではないかという不安が常について回っていた。 けれど、波長の合わない人、価値観の違う人、そして何よりも…正しいと思う根っこの
. 「田舎に余計なこと言ったら、あんた殺すから」 9月25日の公開日に合わせた925秒の予告映像を見た。 15分余りもタダで見せておいて、あらすじも想像がつく。もう全編見たも同じ、行かなくてもいいな。そんな気持ちも少しあった。 なのに気になって、何度も何度も予告動画を見た。 劇場には同世代の女性が10人足らずで、私の中では「かなり話題になっている映画」だったはずの「ミッドナイトスワン」が始まった。 泣けるか泣けないかなんて、良い映画かどうかの秤りにはならないと思っている
「#ミスドの思いド」というタグを付けてツイッターにアップするキャンペーンをミスタードーナツが開催している。 みんな、ミスドにいろいろな思い出があるのねぇ…と読んだ。 私は、と言えば。 とうていツイッターの140字には納まりそうにないわ。 35年ほどのミスド歴の中の、一番の思い出は、20歳の頃のハナシ。 福岡天神西通り深夜0時過ぎのミスドで。 たまに行くディスコには話しかけることも叶わないほど人気のあった黒スーツの男性グループがいて、店を出た後は西通りのミスドに立ち寄る
今まで平々凡々の半生だけど… 疵痕を持った者ばかりが足を運ぶような、場末のスタンドのママになりたい。 都会の方では「スタンド」とは言わないらしい。それは「スナック」だと言われた。 入口の木のドアは少し細くて、人ひとり擦り抜けるのがやっと。 カウンターに丸い革張りの椅子が5つ。奥に4人が詰めて座れるボックスがひとつ。・・・くらい。 カラオケは無し。メニューも無し。 私の決めた「美味しい」肴と、たまにはご飯も。 そんなスタンドには、昭和の懐かしい曲が流れる。 酒がまったく
絞り出すようなしゃがれ声、 「えーおっちゃんまたこんなに呑んでからに」 と言ってしまいそうな風体でステージに出てくる人、木村充揮さん。 もう30年以上前の話。 「ユウカ、行かん?」そう誘ってくれた人がいて、 「え!ユウカ?行きたい行きたい!!」私がそう応えた。 当日その人は花束を持って来てくれて、デニムの後ろポケットには ウイスキーの入ったスキットルをしのばせていた。 もっと言うなら、付き合ってもないのに偶然にも2人とも生成りのアランセーターを着て来ており、彼はそれに気づ
いい映画、SUNNY 私くらいの年になると、病気を抱えて生きていたり、すでに天国へと旅立った友人もいます。 どうしたって自分の人生と重ねてしまう内容の、 それぞれの、いろんな人生を歩むサニーのメンバーたち。 映画としての出来なんかどうでもいいほどの内容で、私には、苦境から這い上がり笑い合う皆がそれぞれ羨ましく眩しく映りました。 そして… もう1人の登場人物、寂しいサンミのその後がとても気になります。 彼女が可哀想でなりませんでした。 どうか、希望の光が一条差し込む
. ニルリリマンボのプロローグが好き。こっから赤いタイトル「닐리리만보」が出てくるところ、もう何よりもくらいに好き。 からの、船上に立つ7人…。 ぬるい空気が漂う中に感じる赤裸々なまでの生活感。間違いなく東洋の空気が匂うのに、西洋がツンと鼻を衝く。 どこか諦めたような退廃的な佇まいは、重なる侵略による過去の忘れもの。 どこからか、歳月の無情さを唄う京畿道の民謡、닐리리야(Nilliliya)が聴こえてくる。 錆びた極彩色のなかで、ZICOが錨を上げろと嗤う。 長い長い
私が川村カオリを久しぶりに見たのは、吉川晃司のドキュメンタリー番組「キッカワコウジ苑」だった。彼女は吉川が路上ライブを行うためのバンドコーディネイトをしていた。 スタジオで音合わせか何かで行き詰まった吉川が、クィックイッと手を動かし「何か飲みたいな、コーヒーか何か・・・」というような仕草をした。草色のツナギを着た川村カオリは2回頷いて用意をしようとした。吉川がその肩を掴んで「いいよいいよ、自分でやるから」風な動きをした。 彼女が映し出されたのは、そんな、10秒くらいのひとコ
親の意見と茄子の花は千に一つも徒はない 「おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもあだはない」 目下、痛感中です。若い頃、親の干渉がどれほど鬱陶しく面倒だったことか。偉そうに「私の人生だ」と言い切ってみたり。 父の「命令」に背けず泣いている私に、おばあちゃんがいつも言って聞かせてくれた言葉です。 けれど今、思い返してみてもひとつとして間違った意見をされていない。ただ、その時も解っていたのかも知れない。けれど、道を外すと解っていても、遠回りをすると知っていても、親の言いな
「新世界」(シンセゲ)がとってもよかった。 邦題は「新しき世界」 残念ながら、好きな俳優 ハ・ジョンウは出ていないけど、やめられない韓国ノワール。 ハリウッドでのリメイクが決定したらしいけど、解る気がする。でも、これほどまでのオリジナルをしのげるものができるのかな?楽しみ。 オープニングは正視できないほどエグいヤクザの拷問シーンから始まる。 何千回観ても冒頭のシーンでえづく。 えづくのに観る。 そして、ドラム缶に入れられて桟橋で転がされる。 女優ソンジヒョまでもが血まみれ