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サンタの足

子供の頃のクリスマスの楽しみのひとつにサンタのブーツがあった。
サンタのブーツをかたどった中にお菓子がいっぱい入っているやつだ。
ググってみると、クリスマスブーツとも呼ぶらしく、このお菓子の入ったブーツは日本独自のものらしい。
一度には食べきれない量のお菓子なので、大きめのブーツだと年末近くまで楽しめる。

恥ずかしながら、このサンタのブーツのことをずっと「サンタの足」と呼んでいた。
よく見れば、よく見なくても、どう見たって、ブーツに違いない。
子供はブーツなんか知らないから、長ぐつでもいい。

それをなぜかわからないが、ずっとサンタの足にお菓子を詰め込んであると思っていた。
そんなことをすれば、サンタは何本足があってもたりないじゃないか。
ごもっとも。
しかも、クリスマスにサンタの足をちょん切ってお菓子を詰め込むような残酷なことをするはずがない、ジェイソンじゃあるまいし。
ごもっとも。

そこは子供のことなので深くは考えかった。
ただ、僕の場合には子供を終えて、少年、少年から青年、およそ30歳近くまでそう思い込んでいた。
人生で初めて、「あれはブーツやで」と訂正したくれたのは、結婚まもない頃の妻だ。
それまでは、父も母も、先生も、友人も、おばさんも、おじさんも誰も訂正してくれなかった。

あまりに僕が嬉しそうにその「足」抱え込んでいるので、言い出しにくかったのかもしれない。

この、ブーツを「足」と思い込んだのには、ひとつだけ心当たりがある。

幼稚園の頃のあるクリスマス。
朝、目が覚めると、枕元にこの「足」があったのだ。
その時に初めてこのお菓子を詰め込んだものを目にしたので、僕の中ではまだ名はない。

それを抱えて起きていくと、「それなあ」と母が話し始めた。
「それは昨日お父さんが夜中に買ってきたんやけどな」

子供に夢を見させようなどとこれっぽっちも考えない母だったので、我が家ではわりと早い段階からサンタは実在しないのは知れ渡っていた。

その母によると父は昨日は深夜の帰りだった。
もう電車もない時間なので、会社で手配されたタクシーで帰ってくる。
恐らく、クリスマスに何もしていないことを気にしていたのだろう。
店らしい灯りが見えると、運転手さんにスピードを落としてもらっていたらしい。
しかし、そんな時間に開いている店はない。

ところが一軒だけ、まさにシャッターを下ろそうとしている店があった。
運転手さんに止めてもらい、「待って」と声をかけながら走り出した。
その時に、途中の縁石か何かにつまづいて転んでしまった。
すぐに立ち上がって店に行くと、ケーキはすでに売り切れており、サンタのブーツだけが残っていた。

家に帰って、買ってきたものを母に見せると、母は「それより、そこどないしたん?」
父のズボンの膝は大きく破れて、血が滲んでいた。

思うに、そのエピソードとこのお菓子のいっぱい詰まったまだ名前のないものが幼い僕の頭の中で結びついたのではないかと思う。
「サンタの足」の誕生だ。
正確には「サンタと(父の血みどろの)足」

もちろん、妻のおかげで娘には正しく「サンタのブーツ」と教えることができた。
「サンタの足」は残念ながら僕だけで終わることになった。

今でも、この季節にはずらりと並んだ「サンタの足」にワクワクする。
そして、膝の破れた父のズボンを思い出す。

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