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人間性って何だろう

仕事のできる人はいつも笑顔でいる。
こんな内容の短い文章を読みながら考えた。

笑顔でいるから仕事ができるのか、仕事ができるから笑顔でいるのか。
仕事ができりゃあ、誰だって笑顔になるよな。
こんな無愛想な俺だって、ニヤリとするさ。
それに、これまでの経験からして、仕事ができるやつに人間性があるとは限らない。
そうだとすれば、いつも笑顔だからと言って、人間性があるとは限らないよな。

そもそも、人間性ってなんだ。

人間性があるとか、ないと言う。
人間性が良いと言うこともあるかもしれないが、どちらかというと、人間性があると言った方が、なんとなくしっくりする。

思いやりがある、思いやりがないと言う。
この場合の思いやりは、前提としてあった方がいいものとして語られている。
思いやりはある方がいい。
思いやりがないのはよくない。
思いやりは善として扱われている。

人間性があるとかないと言うのも、これと同じだろうか。
人間性があるのはいい。
人間性がないのはよくない。
この場合も、人間性は善として扱われている。

人間性という言葉は、人間+性でできているのだろう。
この人間の性を、そんなに一方的にいいものと決めてしまっていいものだろうか。
いい人もいれば、悪い人もいる。
正直な人もいれば、嘘つきも、詐欺師もいる。
人殺しもいる。

もちろん、人間というのは、善人と悪人に色分けできるものではない。
善人の中に悪人も潜んでいるし、その逆もまた然りだ。
凶悪事件の犯人について、
「いい人でしたよー。毎朝、挨拶してくださってね」
そんなことは、しょっちゅうある。

それなのに、人間性などと、一方的に、さも人間は善人だと決めつけたような使い方をして大丈夫なのだろうか。
似たような使い方で、
「人として」とも言うが、これも同じようなものだ。

一般的には、人間性があるに近い言葉としては、「性格が良い」ではないかと思う。
性格には、どうやら良い性格と悪い性格があるらしい。
その真偽はともかくとして、その良い性格も悪い性格も含めたものが、本来の人間性だと思うのだけれど。

これが、人間性から人間的となると、意味合いは変わってくる。
人間的という言い方の中には、時には性格的にはどうかと思うものも、そう表現されたりする。
カリスマと言われる人には、多いのではないだろうか。
人間性はないが、人間的ではある。
こんな言い方もできそうだ。

身近につき会うなら、人間的ではなくても、人間性のある人が良さそうだ。
遠くから眺めるだけなら、人間性はなくても、人間的な人の方が面白そうだ。

あなたは、どちらだろう。
どちらだと思われているだろう。

人間という言葉に込められる意味は、その時々で違うようだ。
これも生きることのややこしさの表れだろうか。
ああ、人間的な、あまりに人間的な。

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