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『名作の行方』

「僕は面白いと思うんですよ。
でもね、今の若い読者には理解できるのかなあ」
そう言って、編集者は原稿の束をこちらに押し戻した。
わかっているさ。
速い話が、面白くないということだ。
「わかったよ。
もう少し柔らかく書き直してみるよ」
「お願いしますよ。
先生の最近の作品はあまりにも高尚すぎるんです。
以前のようにもう少しわかりやすくしてもらえればと」
小説としてはどうなのか、ということを言いたいのだろう。
そうは言えない若い編集者を気づかった。
「そうだね。
わかりやすくだね、やってみるよ」
「その意気です。また、どんどん傑作を書きまくってくださいよ」
「ああ。そうだね」
書き上げた小説が売れなくなってもう2年近くなる。
これまでの付き合いから、出版はしてくれるが、再版に進むことはまずない。
以前は刷っても刷っても追いつかなかった。
サイン会には長蛇の列ができた。
それが、10年前にばったり途絶えた。
もう2度とあの頃のような傑作は書けないのではないだろうか。
私は何となくそんな気がしていた。
というのも、ある心当たりがあったからだ。
「そうだ、君」
私は、10年前から急に売れ出したある女流作家の名前を出した。
私が書けなくなるのと入れ替わるように、彼女は今までにないアイデアの物語を出し始めた。
だが、そんな彼女も、数年はふるっていない。

ほどなくして、編集者から連絡が入った。
「どうだった」
年甲斐もなく声が上ずってしまう。
「ええ、先生のおっしゃる通りでしたよ。
もうありませんでした。
どこだと思いますか」
編集者はある作家の名前を出した。
ある程度予測はしていた。
彼は、若い頃にある文芸誌の新人賞を獲った。
当時は、史上最年少などともてはやされた。
しかし、その勢い乗って出版された第2作で、彼の命運は尽きた。
「文壇をゆるがせた少年の第2作」
「世界はひとりで変えることができる」
そんな謳い文句で売り出されが、結果は散々だった。
それ以来、ごく稀に文芸雑誌に短編を書いているのを見かけるくらいだ。
本来なら、そろそろ重鎮として扱われてもいい年頃だろう。
しかし、彼も多くの物書きと同じように、文壇の塵芥として消えていく。
そう思っていた。
その彼が、突然書き出したのだ。
ここ数年で、矢継ぎ早に長編を。
しかも、どれをとってもその名を歴史に残すにふさわしい出来栄えだ。
「どうしますか?」
「ん?」
「本人さえ気付いてなければ、上手く言って、何とかしますよ」
「うん…いや、少し考えさせてくれ。
それより、もうひとつ、調べて欲しいんだよ…」

やはりそうだった。
私がその作家の枕元に呼ばれたのは、もう20年ほど前のことだった。
彼は、戦後の政治の裏を暴くような作品だけでなく、その私生活でも話題を振りまき、最後の無頼派といわれた。
4度の結婚と離婚を繰り返し、今の奥さんは5人目のはずだった。
その間に、心中未遂も起こしている。
傷害事件では、執行猶予付きの有罪判決を受けた。
そんな彼にも死は平等に訪れた。
私を含めた数人の作家と編集者に見守られて、傑作を産み続けた作家は事切れた。
私は、形見分けとして、彼の万年筆をいただいた。
それは、18金の、古さ以外に特徴のない黒い万年筆だった。

当時、私のアイデアは枯渇していた。
出版社からは、長編の書き下ろしを何作か依頼されていたが、まったく手をつけていなかった。
ある日、戯れに机の隅に放っていた黒い万年筆にインクを入れてみた。
原稿用紙にブルーブラックのインクで、思いついたタイトルを大きめに書く。
それから、私は立て続けにヒットを飛ばした。
そのうちの何作かは、今でも何かの課題図書や、〇〇の100冊などに選ばれている。
それでも私は気づいていなかったのだ。
再びの才能の開花だと自惚れていた。

ある作品の出版記念会で、後輩の女流作家が声をかけてきた。
彼女もここ最近は行き詰まっている。
「あら、その万年筆、素敵じゃないの」
彼女は私の胸ポケットの万年筆を指差した。
私は、無頼派の作家の名前を出して、十分もったいをつけた上で彼女に差し出した。
「あら、嬉しい。大切にします」

それからの流れは私と同じだろう。
私は書けなくなり、彼女はベストセラーを量産した。
そして、彼女も己の才能と勘違いして、万年筆を手放してしまったというわけだ。

「先生、調べましたよ。
あの万年筆なんですけどね、驚きです。
あれは…」
編集者も興奮していたが、それ以上に私の胸も高鳴っていた。
あの万年筆は、明治時代に文豪Nが、フランスより持ち帰ったものらしい。
しかもフランスでは、あのBが愛用していたというのだ。
その万年筆が、Nによって日本にもたらされた。
帰国後、Nは文学史に残る名作を数多く残した。
Nの死後、万年筆は転々と作家から作家へとその居場所を変えていく。
戦火にも耐え忍び、言葉に飢えた作家の手から手へと渡り歩いた。
日本の近代文学は、あの万年筆によって書かれたと言っても過言ではないだろう。
「先生、どうします、あの万年筆。
彼は最近、あれを使わずにパソコンで書き始めたそうですよ」
もう、あの作家も終わりだろう。
それならば、もう一度私がと思いもした。
「いや、そのままでいいよ」
行き先は、万年筆に任せるべきだろう。

18金の黒い万年筆。
いつか、あなたの手に渡るかもしれない。
ここだけの話だが、キャップの裏側に小さく私のイニシャルを記してある。
それが目印だ。








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