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『春の向こう側』
「どうだった?」
妻の問いかけが娘ではなく自分へのものだと気付く。
「まあ、もう少しだな」
夕食の準備をする妻の後ろを通って、風呂場に向かう。
風呂場で待っていた娘と一緒に服を脱ぐ。
娘のくるぶしにかすり傷がある。
「来年は2年生になるんだから、そろそろ自転車の乗り方を教えてよ」
少し前から妻に言われていた。
自転車の乗り方というのは、補助輪をつけなくても乗れるようにということだ。
そんなこと、お前がやれよと言いかかけてやめた。
妻が自転車に乗れるのかどうか、知らなかった。
どこに行くにも車だったので、自転車などなかった。
娘が幼稚園の年長組になってから購入した。
オレンジ色の自転車だ。
購入する時には、本人よりも両方の両親が、あっちがいい、こっちがいいと揉めていた。
支払いの際にも、これはうちが、いいえ私どもがと大変だった。
自転車の乗り方を教えると言っても、休日しか時間がない。
毎日深夜に帰ってきて、休日はできればどこにも行きたくない。
いつも、妻に言われるまでは、出て行こうとしなかった。
それに、ここのところ休日出勤も多い。
事前にわかっていることもあるが、当日に急に呼び出されることもある。
それが嫌だとは思わなかった。
むしろ、それで仕事がうまくいって、自分の収入が増えるのなら構わなかった。
それが、夫して、父としての勤めだと思っていた。
子供は父親の背中を見て育つ。
自分もそうだった。
近くの公園には、日暮れ前に行くことが多かった。
思い出したように妻にせがまれる。
結局は、近所の子供たちがみんな乗っているからということだ。
人は人だと思ったが、荒立てたくはない。
娘と自転車を引いて出かけていく。
娘の運動神経の悪さは妻に似たのだろう。
高校まで野球部で活躍した運動神経は、遺伝していないようだった。
後ろから支えている間は、何とか進んでいるが、手を離した途端にこけてしまう。
それでも、泣き言を言わないのは、どちらに似たのだろうか。
何となく、妻の強情さに似ているような気もする。
公園から帰るといつも妻は聞いてくる。
「どうだった」
こちらも適当に、
「もう少し」とごまかしている。
「そんなに焦らなくても、自然に乗れるようになるさ」
妻は不服そうだった。
2週間ほど、休日出勤が続いた。
妻は、いつにも増した勢いで迫ってきた。
「いい加減、何とかしてよ。もう春休みも終わってしまうじゃない」
春休みが終わるのは俺のせいかと言いかけてやめた。
その日は、いつもより早く娘を連れ出した。
公園の桜はほぼ満開に近かった。
何組かの親子が、シートを敷いていた。
何度やってもいつもと一緒だった。
さすがに少し心配になってきた。
この子は一生自転車に乗れないのか。
娘が、公園の隅にある滑り台で遊ぶというので、こちらも休憩した。
いつもの、背中を見て育つという言葉をもてあそんでいて、ふと思いついた。
娘を呼んだ。
「いいか、絶対に下を見るな。前を走るから、その背中だけを見なさい」
よーいどんで、娘の前を走る。娘は自転車をゆらゆらとこぎながら追いかけてくる。
しかし、途中でこけてしまう。
何度も、繰り返した。
少しずつ、倒れるまでの距離が伸びてきた。
日が傾き、少し肌寒くなってきた。
これで最後にしよう。
「よし、いくぞ」
娘の前を走りだす。
振り向くとついてきていた。
まだ走った。まだついてくる。
「さあ、もういいぞ」と立ち止まった。
娘は笑いながら、その横を通り過ぎていった。
少しふらついてはいるものの、確実に自分の足でペダルを踏んでいる。
音もなく、桜並木の方に近づいていく。
呼びかけても止まろうとしない。
弱い風が吹いて、花びらが少し舞った。
静かに、静かに、娘は春の向こうに消えていった。
一瞬ではあったが、自分が、世界にたった一人で取り残された気がした。
淀みの中にひとり首を出している杭のような。
我に帰り娘を追いかけた。
家に戻ると、娘の報告を受けた妻が乗れた乗れたと娘の手をとってはしゃいでいる。
その後ろを通って、風呂に向かった。
後年、この日のことを思い出すたびに考えた。
この時気づくべきであったことに気づけずに失ったもの。
それは、過ぎ去った時の彼方でなお、光り続けるものであること。
人々が薄手のカーディガンを羽織りたくなる、この春の夕暮れのような輝きを。
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