構造主義の土台 マルクス・フロイト・ニーチェ
先日から読み始めた内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書2002)を無事読了しました。内田氏の記述は期待通り見事で、理解の難しい内容でも楽しく読み通すことができました。
構造主義が登場してくる上での思想の土台となっている、マルクス・フロイト・ニーチェを簡潔に扱っている『第一章 先人はこうして「地ならし」したー構造主義前史』(P16~58)の読書ノートを残します。
いずれ劣らぬ思想史上の巨星なので、今後何度か彼らの遺した思想や業績に触れ直す機会もあるでしょう。自分の手を動かしておくことにします。
偏見の時代
私は、自分が構造主義的な文脈でものを考えているという意識も、自分の思考方法が構造主義の影響を受けているという自覚も、ありません。それでも内田氏は、本書の中で、
と書いています。構造主義的なものが、自分の意識しないうちに共通の価値観に溶け込んで、「自明なもの」として社会常識化してしまっているということのようなのです。私たちは、知らず知らずのうちに構造主義的な「思考上の奇習」を使いこなしているようなのです。
ということに気付かずに生きているということです。本書が書かれた2002年時点で構造主義は、それほど「支配的なイデオロギー」になっているということです。確かに「システム」とか「差異」とかいうことばは、歴史的経緯について深い理解もないまま、日常生活の中でカジュアルに使ってしまっています。
カール・マルクス
構造主義は、マルクスの思想「階級意識」を取り込んでいるとされます。マルクスの、自由に思考しているつもりでも、実際には自分の属する階級的に思考しているという考え方が、構造主義者が共有している
という考え方に承継されていると考えられています。
フロイト
フロイトは、人間は自分自身が直接知ることのできない心的活動が考え方や行動を支配している、という捉え方をしています。抑圧のメカニズムが作用していることを説き明かしました。
ニーチェ
ニーチェは、大衆社会の成員を、他の人と同じようにふるまう「畜群Herde」と名付けています。そして、社会の均質化を志向する畜群道徳を忌避しました。
「奴隷」の対極に、外界の影響を受けずに自立的に振る舞う「貴族」を設定し、有名な超人思想を展開していきます。もっとも「超人」についての明確な定義はなく、「≠奴隷」という意味だと解されます。
ニーチェには、何かを嫌悪し距離を置きたいという衝動(距離のパトス)が人間の知性を推進させる原動力となるという信念がありました。この思想がすり替えられて、忌まわしい存在(奴隷=永遠の賤民)を正当化する思想へと行き着くことになりました。
それでも、内田氏は、ニーチェから受け継いだ思想として、
に全面的な支持を与えています。
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