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『HOKUSAI』を観る

本日は、映画『HOKUSAI』の鑑賞記です。久々に映画館へ出向いて観てきました。
(※ネタバレ情報を含みますので、ご注意下さい。)

謎の人、葛飾北斎

江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎(1760/10/31-1849/5/10)の歩んだ人生を四部構成に分けて、描いた映画です。

駆け出し時代のアクが強い前半期を柳楽優弥が、独自の画風を確立し、名作を生み出す壮年・老年期を田中泯が演じています。監督は橋本一、企画・脚本を作家の河原れん(娘のお栄役で本作にも出演)が務めています。

北斎の周りの人間にも焦点を当てたかった?

北斎はかなり興味深い人物です。興味を持ったのは、河合敦『晩節の研究』を読んだつい最近のことです。その破天荒なエピソードを、映画ではどう処理するのか興味津々で映画館に出かけました。

北斎は、生涯に膨大な数の作品を残しており、ワーカホリック的な人生を送っています。”葛飾北斎”は絵描き人生の一時期(6年間)に使用していた雅号に過ぎず、生涯に50回以上も雅号を変更しています。

人生前半戦は不遇が続き、代表作の『富獄三十六景』は、既に70歳を超えた1831-1834年に版行されたものです。当時の雅号は、「画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」といった素っ頓狂なものでした。

絵を描くこと以外の私生活は破天荒そのものです。部屋は散らかし放題のゴミ屋敷で生涯に93回の引っ越しを繰り返した、お金に興味がなく無頓着だった、(若い頃は)女性関係も奔放だった、無愛想でかなりの偏屈だった、下戸だった、というエピソードも残っています。

この作品では、必ずしも史実に忠実ではなく、北斎の生活破綻者的な部分は概ねカットされています。北斎の人間性を深くえぐるのは抑え目とし、むしろ周囲を固める人物からの影響を印象づける演出がなされています。

第一部は、版元として多くの浮世絵作家の作品を世に送り出した蔦屋重三郎(阿部寛)や、喜多川歌麿(玉木宏)、東洲斎写楽(浦上晟周)を、第三、四部では、創作パートナーでインスパイアされ合う関係である柳亭種彦(永山瑛太)をより印象深く描きたかったのでは?、という印象も受けます。

個々にはいいシーンが多いけど……

本作の第一部は、鼻っ柱が強く偏屈な北斎が、重三郎、歌麿、写楽に絵描きとしての欠点を指摘されてプライドが破壊され、屈辱を味わうシーンが続きます。この展開は好きです。

決定的な屈辱感を味わった後、旅に出て、海に入り、波に打たれた後に、描く絵が覚醒する、という流れで進んでいきます。作品を描く際に水を頭からかぶるシーンは、映画の後半、晩年の北斎が雨の中に飛び出して、絵の具を頭から浴びるシーンの伏線でしょう。

重三郎に語らせた『絵は世界を変えることが出来る』というメッセージは、北斎が生涯絵を描き続けたことについての、この作品なりの答えなのかもしれません。ただ、私はやや上滑り感は感じました。

自由な表現を弾圧する側の描き方は、やや杓子定規感は否めませんでした。柳亭種彦の上役で、体制側を象徴する人物である永井五右衛門を演じた、芸達者な役者、津田寛治はさすがです。

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