見出し画像

『沢村栄治』を読む

本日の読書感想文は、太田俊明『沢村栄治 裏切られたエース』(文春新書)です。

伝説の名投手

野球ファンならば、沢村栄治(澤村榮治 1917/2/1-1944/12/2)という名前を一度は聞いたことがあるでしょう。戦前の職業野球創設期に活躍した最大のスターであり、優れた成績を収めた先発完投型の投手に送られる『沢村賞』に今もその名を残す伝説の名投手です。

画像1

沢村栄治を日本野球史に燦然と輝かせているエピソードが、1934年11月20日静岡県草薙球場で行われた日米野球第十戦での快投です。

来日したベーブ・ルース率いる大リーグ選抜軍を迎え撃つべく結成された全日本軍の先発投手として登板し、強打者ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグから三振を奪うなど大リーグ選抜軍相手に快刀乱麻のピッチングを演じた。この時、沢村投手はわずか17歳の少年投手だった……。

野球に熱中していた私が少年時代に知って心躍らせた話であり、私が本書を読むまで沢村栄治に対して持っていた知識の中核でした。太平洋戦争で亡くならなければ途轍もない記録を残した選手だったんだろう……
勝手にそう思い込んでいたのですが、本書を読んで事実は私のイメージとはかなり異なっていたことを知り、驚きました。

周囲に利用され、運命を狂わされてしまった人

沢村栄治を形容して”悲運のエース”という言われ方がされます。違います。確かに彼に降り注いだ運命は苛酷で、不運に作用したと感じます。しかし、彼のずば抜けた才能は、周囲の人達に利用され、酷使され、そして捨てられた部分があり、読後に激しい怒りを感じました。

ただ、沢村栄治本人は全てを運命と呑み込み、戦場へ旅立っていったように感じました。

本書からの要約・箇条書き

● 三重県宇治山田市生まれ、六男一女の長男だった。
● 京都商業卒業後は慶応大学進学を希望していた。
● 読売新聞の販売促進に野球を利用したい正力松太郎と職業野球創設を画策する四人組(市岡忠男・鈴木惣太郎・三宅大輔・浅沼誉夫)が結びついて生まれていったのが日本のプロ野球。
● 職業野球創設の機運を盛り上げる為、米大リーグ選抜チームを招聘。
● 第一回(1931年)は興行面で成功。第二回(1934年)は大スターのベーブ・ルースの招聘にも成功
● 第二回開催にあたり、東京六大学から選手招聘が出来ず、素質を見込まれた沢村、スタルヒンを中退させてチームに加えた。
● 草薙球場は投手の真後ろからの太陽光線でまぶしくて、大リーグの強打者が戸惑ったという説あり。(試合は14:00試合開始。快晴無風)
● 日米野球終了後創設された巨人軍の前身に入団。
● 全盛期は150㎞を超える球速を投げていた。
● フォームが美しかった。
● 連投連投で極端に酷使され、晩年は快速球投手輝きが薄れていた。
● 生涯三度も徴兵された。手榴弾の遠投も肩に影響を与えた。
● ドロップも超一流だった。
● 力が衰えた後、巨人軍を解雇されていた。
● 野球を憎んでいる、とある時期の手紙に書いている
● 太平洋戦争で乗っていた船が撃沈されて絶命。

もしも彼が、当初希望した通りに慶応大学に進学していれば、徴兵は26歳まで免除されたため、運命が違っていた可能性がありました。草創期の職業野球で圧倒的人気と実力のあった沢村が、客寄せパンダのように試合で酷使され、選手としての寿命を削られてしまったことを残念に思います。

「悲運の」と綺麗な枕詞で誤魔化してはいけないと思います。稀な才能を私腹を肥やすのに利用した人達に憤りを感じました。

プロ野球の草創期の歴史を知るにも最適

本書には多くの登場人物がいます。沢村栄治の生涯を辿る書であると同時に、日本の職業野球草創期の歴史も丹念に書き込まれた意欲作です。読売グループがなぜあんなにプロ野球界で絶大な権力と発言力を持っているのか、ようやく理解できました。

正直、買う時に新書で1,100円は高いなあ、と感じたのですが、読む価値は十分でした。

この記事が参加している募集

#推薦図書

42,566件

#読書感想文

189,460件

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。